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1-6.ニーナ・ハノン
翌日のことだった。晴れているのに雷鳴を聞いたと少し噂になっていたが、島はいつも通りだ。
ダンはいつものように朝食を食べ、鉱山に向かおうとして、やめた。
「父さん、母さん。あれから色々あったけど改めて聞こうと思う」
ハークとルイズに問い掛ける。先日、温泉の中でハークは島興しについて「考えさせてくれ」と言った。その答えを聞くのだ。
「島興し、協力してくれないか」
ダンはテーブルにこすりつける勢いで頭を下げた。
「ちょ、ちょっと、よしなさいよダン。そんな家族間で……」
「でも母さん、これは一生のお願いだ。そして多分、後生の願いにもなると思う。何てったって、頼んでいることは、フォルトゥーナ家の伝統を捨てて鉱山も捨ててくれ、だもんな」
ハークは口を閉ざしている。考えているようだ。
「鉱山を閉めなきゃいけないのかい」
ルイズは問う。
「ああ。島の人全員に全力で協力してもらわなきゃ島興しは成功しない。でも何よりも、父さんと母さんに協力してもらわなければ話が始まらない」
ダンは顔を上げる。
そこには頬を緩めたルイズと口を閉ざしたままのハークの姿があった。
「母さんはいいと思うわ。思えば、今までダンには苦労を掛けてきたもの。だから、ダンの夢を応援するわ」
「ありがとう。母さん」
一方のハークは何も言わない。
色々なことを考えているのだろう。まだダンは十五歳だ。成人もしていない。ならば、ダンのやることの責任を取るのは親である自分達だ。
ダンの提案は魅力的ではある。だが、賭けであることには変わらない。
「なあ、ダン。ひとつだけ条件を出そう」
ダンは本気のようだ。だが、運の良さに乗じて調子に乗っているようにも見えた。昨晩の魔法もそうだ。確かにアプエスタの威力は途轍もなかったが、自分の運は絶対だという過剰な自信を感じたのも事実だ。
「今から一ヶ月以内に伴侶となる人物を連れてきなさい」
「はっ?」
ハークの言葉はダンの予想の斜め上だった。
「どういうこと?」
「必ずその人と結婚しなさい、という意味ではない。けれど、その人のことを生涯にわたって支え続けると思える人を私の前に連れてきなさい」
「ええ……」
「男はな、ダン。本当に守りたい人がいればしっかりするもんだ。お前はまだ子供だ。しっかりしているというなら、それを見せてくれ」
「はあ」
ダンは曖昧に頷いた。
さて、そんな会話を聞いていたのはフォルトゥーナ家の者だけではなかった。フォルトゥーナ家の自宅の開いた窓の外に立つ者、セゼ・オルコットもまた、その話を聞いてしまっていたのだ。
(ななな、伴侶……!?)
セゼは目を白黒とさせる。親に言われて届けにきたパンの入った籠を持ったまま踵を返す。
(それって、ダンが結婚相手をハークさんの前に連れていくってこと!?)
心臓がバクバクといっていた。思い返されるのは昨日のダンの言葉。
『俺はセゼを幸せにしてみせる!』
あれが言葉の綾だということは分かっていた。分かっていたが、あんな言葉を聞いてときめかない女性はいない、はずだ。
セゼは若草亭に帰ると、籠をテーブルの上に放り出し、自室に駆け込もうとした。
「あら、セゼ。もう帰ったの」
「う、うん!」
「あら、顔真っ赤。もしかしてー、ダン君に何か言われたの」
うふふ、セゼの母は笑う。昨日のダンの言葉に少なからずセゼが動揺したのを見抜いているのだ。
「ちちちちち違うわよ!」
「そうよねー。ダン君とは生まれた時から兄弟のように育ってきたものねえ。今更、ときめかないか」
「そそそそそうね!」
「……」
「へ、部屋に戻るからっ」
バタバタとセゼは部屋に戻り、枕に顔を埋めるのであった。
そんな時、レストラ島の港に一隻の巨大な船が入ってきた。港いっぱいに鎮座するその船を見ようと多くの村の住人達が港に集結している。
その船の名はハルバード。サンドラ連合王国が誇る高速巡洋艦だ。
サンドラ王国は本島となるサンドラ島と複数の群島から為る連合国だ。領土の大部分が海洋となるため、海軍が最も発達しており、騎士団の制服も皆、青と白を基調としたものになっている。
ハルバードを駆るのはサンドラ連合王国騎士団長セルゲイ・ハノンその人だ。
帆船としては非常に速く、最高で約20ノットものスピードで海上を滑るように走る。そのからくりは大きな帆に風魔法使いが風力を供給することにあり、どのような環境下でも目的地に向かって一直線に航海できるのだ。
なぜ、騎士団の最高幹部である騎士団長が群島地域の北端の小島レストラ島を訪れたかというと、理由はふたつある。ひとつは、たまたま近くを航海していたからだ。いわゆる海上パトロールである。近年、国家間の緊張が高まっており、海上警備の重要性が増している。団長自らがその任に就くことで騎士の士気を高めると共に、平和ボケした騎士団に発破をかける意味合いがあった。
そして、もうひとつが、ミスリル鉱山崩落の報を聞いたからだ。
ハルバードには高度な医療魔法が使える魔法使いが搭乗している。崩落が起きたのは二日前とのことだが、もしかしたら今処置をすればまだ間に合う怪我人がいるかもしれないと考え、立ち寄ったのだ。
のどかな島だ、とセルゲイは口髭を指で触りながらそう思った。他の島のようにきっちりとした港があるわけではない。団長が下船してすぐに騎士団よりも先に住民達が顔を見せる。平和で実によい島だと思った。
そんなセルゲイの横には背の低い十歳ほどの少女が立っている。
「なあ、ニーナ。こんなのどかな村ならば、お前にも気のいい友人ができるかもしれないな」
セルゲイは横に立つニーナと呼ばれた少女に語り掛ける。
「不要」
短い返答にセルゲイは苦笑し、肩を竦めた。
「セルゲイ騎士団長!」
遠くから頭の禿げた騎士が駆け寄ってくる。まるで磨かれた金属のように頭が陽光を反射している。
「やあ、ゼシル君。レストラ島はどうかね」
ゼシルは名を呼ばれ、敬礼する。ゼシルはこのレストラ島に駐屯する騎士の隊長を務める男だ。
「はっ、特に異常はありません!」
「そうか。暇だろう」
「いえ、最近は帝国周辺がきな臭いので、日々の訓練は欠かさずに行っております!」
「住民との関係はどうか」
「良好です。この島には元々強力な魔物はいませんが、時折、グリフォンなどが飛来し、村の住民や家畜を襲います。我々騎士団はそういった魔物の退治を行うことで住民の安心と信頼を得ています」
「それはいいことだ」
セルゲイが笑うとゼシルも相好を崩す。
「ところで、そちらの子は……?」
ゼシルはセルゲイの横の少女を見て疑問を口に出す。
「ああ、この子はニーナ。私の娘だ。今年で十三歳になるのだがな。この歳で騎士を志望している。任務を見たいというから連れてきた」
「はあ、それは立派ですね」
「父上。私がなりたいのは一介の騎士ではなく、騎士団長」
「……と、このように大志を抱いている」
セルゲイの言葉が不服だったのか、ニーナは頬を膨らませている。
「ほら、ニーナ。村を見学してきなさい」
「拒否」
ニーナはぷいと横を向いた。
「これも騎士の仕事のうちだ。村を見て世相を知る。重要なことだ」
「……了解」
ニーナはそう言われると素直に村に向かった。
「なかなか気難しい子でね。良い友達でもできるといいのだが」
「騎士団長の娘さんとあれば、良い学校に通われているのでは」
「士官学校も考えたんだがな。あの子は少し頭が固い。ほぐしてやる必要があるんじゃないかと、親である私は思ったわけだ」
「はあ。それで、本日はどのようなご用件でレストラ島に?」
ゼシルはセルゲイに問う。
「ふむ。むしろ泣きついてくるのではないかと思っていたが。ミスリル鉱山が崩落したのだろう。怪我人はどれくらいいる」
レストラ島からの伝令船によれば、大規模な崩落で怪我人が出ているとのことだった。
「ああ、もしや支援に来てくださったのですか」
「そういうことだ。人道支援も騎士たる者の務めだからな。高度な治療魔法を使える者を連れてきている」
「その件ですが……」
ゼシルは申し訳なさそうな顔をした。
「せっかく来てもらって何なのですが、負傷者の治療は既に終わっております」
「む、かなり大きな規模の崩落だと聞いたが」
レストラ島に高度なヒールの使い手がいるとは聞いたことがない。
「ええ、確かに瀕死の重傷を負った者もいたのですが」
ゼシルは禿げ上がった頭をポリポリと掻く。
「エリクシールと招福の光湯が全て治してしまいました」
ダンは村の中を散策しながら、今朝、ハークに言われたことを考えていた。
「伴侶、ねえ」
そんなのくだらないと一蹴することはできたが、父親の言葉を無碍にはできない。ハークはロマンチストなところがある。きっと、守るべき女性のために死ねと言われたら死ぬタイプだ。
そんな時だった。村の中心で見慣れない少女が子供達に囲まれていた。
少女は村では見ないような小綺麗な恰好をしていた。胸にプリーツ状のひだ飾りがある白いブラウスに落ち着いた黒色のボレロを羽織っている。膝丈の紫のスカートからは白い足が伸びている。髪は水色のショートカット。金色の瞳が高貴な雰囲気を漂わせる。
「何が騎士団長だ。お前みたいなちっさい女がなれるわけないだろ!」
「そうよそうよ。騎士って言ったら大きな剣を持っているのよ。あなたのは短剣じゃない。しかも二本!」
どうやら、都会からやって来た少女が村の子供達にいじめられているようだ。ただ、村の子供達のことはダンもよく知っており、そんないじめをするような者達ではないと思っていた。
「黙って愚民」
「グミンって何?」
「よく分からない言葉を使うなよ!」
ダンは遠巻きに話を聞きながら、何となく事情を察した。どうやら、水色の髪の少女は都会特有の高飛車な態度で村の子供達に話し掛けたのだろう。あの格好からどこかの貴族の出だろうか。なぜレストラ島に、と思ったところで少女が村の出口に向けて駆け出していった。ひとりでは危険だ。
「おい、お前ら。どうしたんだよ」
ダンは子供達のところに行くとそう話し掛けた。
「うーん、よく分からないけど、グミンって言われた」
「将来、騎士団長になる私に守られるんだから感謝しろって言われた」
「はは……」
ダンは思わず苦笑い。
「でも駄目だろ。村の外にひとりで行かせちゃ。魔物が出たらどうするんだ」
「でも、あの子から言い出したんだよ。この島で一番強い魔物が出るのはどこだって」
「ええ……」
とすると、あの少女は魔物を退治しに行ったことになる。
「ったく、仕方ねえな」
ダンはため息をつくと、村の出口に向かって歩き出す。何かあってからでは遅い。取り敢えず、村に連れ戻すことにした。
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