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第4話 風凪の眠りに灯る光(5)
深緑の街路樹の間を一台のバイクが駆け抜ける。
郊外に位置する、貴族の別荘地。綺麗に舗装された道路は滑らかで、車輪は摩擦を忘れたかのよう。家はまばらで人影もなく、木漏れ日の差す音すら聞こえてきそうな閑静さである。
ルイフォンは、タンデムシートのメイシアの体温を背中に感じながら、風を切っていた。
目指すは〈蠍〉の研究所跡。〈スー〉の家だ。
〈スー〉のプログラムの解析が終わるのは、まだまだ先の話なのであるが、埃だらけだという家の様子を聞いたメイシアが、〈スー〉の目覚めの日のために掃除をしておきたいと言ってくれたのだ。
「もし、ルイフォンが〈スー〉の解析作業で忙しいなら、私ひとりでも大丈夫だから……」
メイシアは、如何にも彼女らしく遠慮がちに申し出た。
「何を言ってんだよ? 勿論、俺も一緒に行く。それに、俺も掃除くらい手伝うよ」
「ありがとう! 嬉しい」
顔をほころばせる彼女を可愛らしく思いながら、ルイフォンは、あの家の状態を思い出す。
電気だけは通っていたものの、何年も放置されていた家だ。しかも、〈ケル〉の家の設計図をそのまま流用しただけあって、それなりに広い。掃除『くらい』というレベルの作業では済まないはずだ。専門の業者に頼まなければ無理だろう。
どう考えても、ふたりが一日掛けて掃除をしたところで、使えるような家にはならない。それは、分かりきっていた。だが、まずは、ふたりきりで行きたいと思ったのだ。
――そう。誰かに護衛を頼んだりせずに、『ふたりきり』だ。
ここ最近、ルイフォンは、一族を抜けて以来、怠けていた鍛錬を再開した。〈スー〉の解析作業で忙しくはあるのだが、やはり体を鍛えることも大切だと心を入れ替えたのだ。――勿論、万一のときに、メイシアを守り抜くためである。いくら、普段は鷹刀一族の厄介になることにしたとはいえ、たまには、メイシアと『ふたりきり』で出掛けたいからだ。
出発準備として、〈蠍〉の研究所跡の住所をエルファンに教えてもらった。前回は車で連れて行ってもらっただけなので、正確な位置を知らなかったのだ。そして、地図で確認したとき、ルイフォンは思わず感嘆の声を漏らした。
「母さん、やる気満々だな」
「え? どういうこと?」
首をかしげたメイシアに、ルイフォンは、にやりと口角を上げる。
「ほら、ここが、俺が昔、住んでいた〈ケル〉の家だろ? で、ここが〈ベロ〉のいる鷹刀の屋敷」
彼は、メイシアに地図を示す。
「そして、ここが〈蠍〉の研究所跡――〈スー〉の家」
ルイフォンが、〈ケル〉〈ベロ〉〈スー〉のいる三箇所を順に指でなぞると、地図上に、ほぼ正三角形の図形が描かれた。
「あ!」
敏いメイシアは、それだけで分かってくれたようだ。驚きの声を上げつつも、興奮を隠しきれない様子で、指先をそっと正三角形の中心に載せる。
桜色の爪の先が示したのは『神殿』――〈冥王〉が収められている場所である。
〈ケルベロス〉は、〈冥王〉を取り囲むように配置されていたのだ。
「まさに『包囲網』って、感じだな」
「キリファさん……。なんか、凄い……」
ふたりは顔を見合わせ、改めて、キリファの『〈冥王〉を破壊したい』という思いを受け止めた。――それを叶えるのか否かは、まだ未知数であるけれども。
閑散とした別荘地の中でも、更に周りからぽつんと取り残されたように、一軒だけ離れたところに〈スー〉の家はあった。その門扉の前で、ルイフォンはバイクを停める。
タンデムシートから降りたメイシアは、生け垣の隙間から雑草のはびこる庭を覗き見て、放心していた。思っていた以上に、荒れ放題だったのだろう。
しかし、目つきが徐々に真剣になっていく。この庭の手入れをする算段を組み立てているのだ。
「あのさ、先に言わなかったのは悪いんだけど、たぶん、俺たちが手作業で、この家を綺麗にするのは無理だと思う。あとで業者を頼むつもりだ」
「え……」
ルイフォンが少し申し訳ない気分で白状すると、案の定、メイシアは愕然とした面持ちで絶句した。どうやら、張り切っていたらしい。
そういえば、今日の彼女は、いつもは長くおろしている黒絹の髪を高い位置でひとつにまとめていた。てっきり暑いからだと思っていたのだが、作業の邪魔にならないようにとの意気込みだったのかもしれない。彼女が、がっくりと肩を落とすと、あらわになった白いうなじが、彼の目に眩しく映った。
「今日はさ、この家の状況を確認しようと思う。造りは〈ケル〉の家と同じなんだけど、置いてあるものとか、壊れてしまっているものとか、いろいろ把握しておきたいからさ」
「うん、分かった。――あ、桜……!」
ルイフォンに返事をしつつ、メイシアは庭の桜の木に気づいたらしい。嬉しそうに言葉尻を跳ねかせた。掃除の件では拍子抜けしたものの、気が遠くなるような作業がなくなって、心に余裕ができたのだろう。
濃い緑に覆われた木が、夏風にざわざわと枝葉を揺らす。
根本に置かれたベンチを見つけ、彼女は「わぁ」と声を漏らした。細部までもが〈ケル〉の家と、そっくりなことに気づいたのだ。
「ルイフォン」
「ん?」
「キリファさん、本当にこの家が好きだったのね。――エルファン様が設計してくださった、この家が」
葉擦れの音に、メイシアの微笑が溶ける。笑っているはずなのに、薄紅の唇はどこか儚げで、黒曜石の瞳は切なげに細められていた。
「メイシア?」
不思議な表情を見せる彼女に、ルイフォンは戸惑う。
「ルイフォンのお父様は、本当はイーレオ様じゃなくて、エルファン様なんじゃないか――って、レイウェンさんがおっしゃっていたのよね?」
「え? ああ。レイウェンの奴、どうしても俺を異母弟にしたがっていた。よく分かんねぇけど」
それは、菖蒲の館からの屈辱の敗走の末、レイウェンの家に寄らせてもらったときのことだ。レイウェンが強引に、異母兄を名乗ったのだ。
「その話、本当だと思うの。――だって、キリファさんは、こんなにもエルファン様を想っている……」
「はぁ? 母さんは、単に設計図を使いまわしただけだろ?」
「それだけだったら、庭まで同じにしなくてもいいと思うの」
「うーん……?」
メイシアの理屈はよく分からない。
ただ、母がずっとエルファンを想っていたことは、どうやら本当らしい。〈ケル〉がそんなことを匂わせていた。だから、ひょっとしたら……とは思うものの、実のところ、ルイフォンとしては父親が誰でも構わないのだ。
何故なら、彼はもう独立しているのだから。
そして何より、メイシアという伴侶が居るのだから。
イーレオのことも、エルファンのことも、血族だと思っているし、敬愛もしている。それで充分ではないかと思う。
「――けど。〈スー〉は、エルファンに逢いたいだろうな……」
「え?」
小さな呟きは風に紛れ、メイシアにはよく聞こえなかったようだ。彼女は、きょとんと彼を見上げる。
「早く、〈スー〉のプログラムの解析を終えなきゃな、ってことだ」
そう言って、ルイフォンはメイシアの手を引き、門扉を抜けた。
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