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第1話 真白き夜更け(2)
メイシアの喉がこくりと動き、薄紅の唇がゆっくりと動き出す。
「私、まだ言っていなかったの。セレイエさんの心からの願い。『デヴァイン・シンフォニア計画』の――セレイエさんの真の目的を……」
「なっ!?」
ルイフォンは、メイシアの言葉の途中で、思わず驚愕の叫びを上げた。
「セレイエの目的って、息子の『ライシェン』を生き返らせることじゃないのか!?」
メイシアが、すべて言い終えるまで待つのが礼儀だ。しかし、口を挟まずにいられなかったのだ。
「――と、すまん」
話を遮った彼にメイシアは気を悪くしたふうもなく、むしろ、自分の話の進め方がよくなかったことを恥じらうように「ううん」と首を振る。
「その通りなんだけど、それだと半分なの」
「半分?」
「うん。『ライシェン』を生き返らせることは、大前提。でも、セレイエさんには技術で解決する『蘇生』よりも、もっと重要視していたことがあったの」
セレイエの気持ちに同調しているのだろうか。メイシアは切なげに顔を歪めた。
彼女は祈るように瞳を閉じ、澄んだ声で告げる。
「『生き返った『ライシェン』が、今度こそ幸せな人生を送れるようにすること』――これがセレイエさんの願いで、『デヴァイン・シンフォニア計画』の真の目的」
その瞬間、ルイフォンは軽い困惑と、不思議な感覚に陥った。
あの我儘で、自己中心的な異父姉も、『母親』になったのだなと、初めて心に響いた。『ライシェン』が、セレイエの息子だという話は既に聞いていたが、今まで実感がなかったのだ。
そして。
それはつまり、あの硝子ケースの中の赤子は、ルイフォンとは血の繋がった甥ということでもある。
「セレイエさんは『ライシェン』のために、ふたつの道を用意したの」
メイシアの声が、静かに続けられる。
「ひとつ目は、オリジナルのライシェンが本来、送るはずだった未来。王家に生まれた〈神の御子〉として、王となる道」
ルイフォンは、ただ黙って、相槌を打つように頷く。
ライシェンが誕生した当時、男の〈神の御子〉は先王シルフェン、ただひとりだった。だから、ライシェンは生まれた瞬間に、次代の王を約束されたはずだった。
「『ライシェン』が、スムーズに王位を継承するためには、女王陛下の御子として生まれるのが順当。だから、セレイエさんは、過去の王の遺伝子をすべて廃棄して、『ライシェン』を唯一の〈神の御子〉の男子にしたの。そして、更に……」
まだ、何かあるのか? と、また余計な口出しをしそうなところを、ルイフォンはぐっと押さえ、無言で耳をそばだてる。
「セレイエさんは……――正確には〈影〉のホンシュアが、『唯一の〈神の御子〉の男子である『ライシェン』を渡してほしければ、女王陛下の夫をヤンイェン殿下にするように』と、カイウォル摂政殿下に迫ったの。そうすれば、『ライシェン』は、実の父であるヤンイェン殿下の子供として生まれることができるから……」
「……」
――そう。
セレイエが子供を産んでいたことにも驚いたが、その子供の父親が、王族のヤンイェンであったことも、ルイフォンには衝撃だった。
母のキリファは『セレイエは、貴族と駆け落ちした』と言っていたが、それは『セレイエは、身分違いの相手の子供を身ごもった』ということを示唆していたのだ。
ヤンイェンは、表向きは神殿に属する神官である。しかし、彼の実質の役割は、先王から〈七つの大罪〉の運営を一手に任された、事実上の〈七つの大罪〉の最高責任者だった。
『自分のことを知りたい』と言って〈七つの大罪〉に飛び込んでいったセレイエと出逢ったのは、自然の流れだったのだろう。
「ん? ヤンイェンって、もともと女王の婚約者に内定していたんだろ? なら、そんな脅迫まがいのことをしなくても、夫に決まったんじゃないのか?」
「ルイフォン、思い出して。ヤンイェン殿下は、公的には病気静養だったけど、本当は先王陛下を弑逆した罪で幽閉されていたの。そんな大罪人が女王陛下の夫になるなんて、あり得ないでしょう?」
「!」
ヤンイェンは、息子のライシェンを殺された恨みで、先王を殺害した。その思いは正当であったとしても、許される罪ではない。
「ましてや、女王陛下の夫を誰にするかの決定権があるのは、この国の現在の最高権力者、カイウォル摂政殿下なんだもの。彼にしてみれば、仲の悪いヤンイェン殿下なんて選びたくないはず」
「そうだよな……」
「摂政殿下は、ヤンイェン殿下を生涯、幽閉の館に閉じ込めておくつもりだった。摂政であれば、それができるだけの権力があった」
淡々と告げるメイシアの顔が、切なげに揺れる。それは、おそらく、メイシア自身の感情ではなく、セレイエのものだろう。
セレイエは、愛しいヤンイェンが一生、囚われの身であることを憂い、彼を解放するためにも、彼を『女王の夫』にする必要があったのだ。
「ヤンイェン殿下は、その血統から、内々に女王陛下の婚約者とされていただけで、正式に発表されていたわけじゃない。だから、摂政殿下が『療養が必要なヤンイェン殿下よりも、他の健康な者を陛下の婚約者に選んだ』と言えば、誰もが納得する状況だった」
「そこに、セレイエが横槍を入れた、というわけか」
「うん……」
『国王殺しの反逆者が、どうして女王の婚約者になれる?』――リュイセンが散々、疑問を投げつけ、だから、ヤンイェンが黒幕ではないかと訝しんだこともあった。その謎の答えが、セレイエだった……。
――セレイエは、一国の摂政を相手に喧嘩を売ったのだ。
ルイフォンは頭を抱えたくなった。ハオリュウとのやり取りを盗み見た限り、摂政に良い印象はまったくないが、だからといって敵に回すべき相手ではないだろう。
「あの摂政、絶対に厄介だぞ……」
ルイフォンの無意識のぼやきに、メイシアが「うん」と深々と頷く。
「セレイエさんも、カイウォル摂政殿下のいる王宮で『ライシェン』が王となることは、必ずしも幸せな道だとは思わなかった。だから、もうひとつの未来を用意したの。それが、ふたつ目の道」
そう告げたメイシアの顔には、惑うような、泣き笑いの表情が浮かんでいた。
「……?」
ルイフォンは首をかしげ、けれど彼の両腕は、惹き寄せられるようにメイシアへと動いた。彼女を抱きしめなければ、と思ったのだ。
指先に黒絹の髪を絡め、くしゃりと撫でる。
メイシアは、驚いたように瞳を瞬かせたが、すぐに彼の背に手を回してきた。
「セレイエさんは『ライシェン』に、愛情あふれる家庭の、平凡な子供として生きる道を用意したの。優しい養父母に愛されて、のびのびと育ってほしい、って」
「優しい養父母……」
かすれた声で、ルイフォンは唱える。
現実味などない。けれど、セレイエの意図が今、はっきりと見えた。
「セレイエさんは、ルイフォンと私に、『ライシェン』を育ててほしいと願ったの。……だから、私たちを出逢わせた」
セレイエの声が、記憶の中のどこかで響く。
『デヴァイン・シンフォニア』は、『di;vine+sin;fonia』――『神』として生まれたライシェンに捧げる交響曲であり、『命に対する冒涜』。
それでも、私は願わずにはいられなかった。
人を恐れたライシェンが世界を愛することを。
人を殺めたライシェンが世界に愛されることを――。
私が選んだ、ふたりに託す。
貴族の娘と凶賊の息子。
天と地が手を繋ぎ合うような奇跡の出逢いを私は紡ぐ。
この光の糸は、運命の糸。
人の運命は、天球儀を巡る輪環。
そして私は、本来なら交わることのなかった、ふたりの軌道を重ね合わせる。
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