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第1話 真白き夜更け(3)
「セレイエさんは『ライシェン』に、愛し、愛される、幸せな世界を贈りたかったの」
メイシアの声を借り、セレイエの願いが唱えられた。
窓からの涼風が薄いカーテンを揺らし、差し込んできた白い月明かりが、セレイエの祈りを包み込む。我が子の幸せを望む愛情が、淡い光に溶けていく。
「セレイエさんは、本物の愛、真実の愛で『ライシェン』を迎えてあげたかった。だから、養父母にと選んだ私たちのことは、ただ出逢いを仕組んだだけで、心を操るようなことはしなかったの」
「そう……か」
ルイフォンは、忘れかけていた出来ごとを思い出す。
以前〈蝿〉に、『メイシアの恋心は、操られてのものだ』と言われ、激しく動揺したことがあった。そう考えたほうが、セレイエと『デヴァイン・シンフォニア計画』にとって都合がよいと思われ、〈蝿〉の言葉は理に適っていると惑わされてしまったのだ。
「――なるほどな」
もはや気にも留めていなかったことだが、やはり、どこかすっきりした。
「異父弟のルイフォンと、ヤンイェン殿下の再従兄妹の私。このふたりなら必ず惹かれ合うって、セレイエさんは信じていた。――だって、自分とヤンイェン殿下の血縁なんだから、って」
「滅茶苦茶な理屈だな」
思わずそう口走り、だが結局はセレイエの思惑通りになったわけで……、ルイフォンは憮然として押し黙る。
「でもね、期待通りに私たちが恋仲にならなくても、私たちなら『ライシェン』に愛のある環境を与えてくれるって、セレイエさんは疑っていなかった。『ライシェン』が幸せなら、細かいことは気にしないって。……セレイエさん、ちょっとルイフォンに似ている」
メイシアが、くすりと笑いながら言う。けれど、その語尾は不自然に崩れ、涙声となって消えた。
「どうした?」
「ルイフォン……」
メイシアの声が、彼女のものとは思えぬほどに低く響いた。
ルイフォンは黒絹の髪に指を絡め、何を打ち明けても大丈夫だと示す。
「昼間、〈蝿〉も言ったけど……、セレイエさんは亡くなったの。――私たちにライシェンを託して」
「……ああ」
ずっと、そんな気がしていた。
あの異父姉が生きているのなら、自分の作った『デヴァイン・シンフォニア計画』を人任せなんかにしない。中心となって動き回り、とっくにルイフォンの前に現れているはずだ。現に、〈影〉のホンシュアは、高熱を押して彼に会いに来たのだから。
「早く言わなきゃ、って思っていたけど、彼女が亡くなった原因が〈冥王〉と関係があるから言えなかった。『〈冥王〉』と口にしただけで、〈悪魔〉の『契約』に抵触してしまったから……」
「〈冥王〉?」
意外な名前に、ルイフォンは顔色を変えた。
セレイエは、てっきり王宮の関係者に殺されたとばかり思っていたのだ。
「〈蝿〉から聞いたでしょう? 〈冥王〉は、〈神の御子〉の負荷を肩代わりして、ありとあらゆる情報を無限に収集する有機コンピュータだ、って。つまり、〈冥王〉は『人間の記憶を集約する、巨大なデータベース』といえるの」
「あ、ああ……?」
だが、それがセレイエとどう関係するのだ? と、ルイフォンは眉を寄せる。
「セレイエさんは、〈冥王〉に侵入して、膨大な記憶の中から『オリジナルのライシェン』の記憶を掻き集めたの。『ライシェンが亡くなったばかりで、まだあちこちに記憶が飛び散っていなかったこと』、『セレイエさんが王族の血を引いた、力の強い〈天使〉だったこと』から、ぎりぎり可能だった」
ルイフォンは、はっと息を呑んだ。
「そうか……。『ライシェン』を生き返らせるためには、新しい『肉体』と、オリジナルの『記憶』が必要――赤ん坊にだって、ちゃんと記憶はあるはずだからな」
『肉体』だけだったら、それはクローンであって、『ライシェンを生き返らせた』ことにはならない。少なくとも、セレイエなら、そう考えるはずだ。
「セレイエさんは、広大な砂漠の中から一粒の砂を見つけ出すような無茶をした――〈冥王〉への侵入の中で〈天使〉の力の限界を超えてしまって、熱暴走を起こしたの」
「そういうことか……」
ルイフォンの呟きに、メイシアの声が「うん」と沈む。
「熱暴走が止まらなくなることは、初めから計算できていたの。ライシェンの記憶を手に入れれば自分は死ぬって、セレイエさんは知っていた。それで構わない。むしろ、死者の蘇生なんて、そのくらいの代償がなければ、やってはいけない『罪』だって」
メイシアは、ルイフォンの服をぎゅっと握りしめた。「あのね……」という呼びかけの声が、弱々しく揺らぐ。だから彼は、黙って彼女を抱きしめる。
「〈冥王〉への侵入で命を落としても、新しい『セレイエさんの肉体』があれば、生き返ることができる。『ライシェン』の肉体と一緒に作ればいい。――そのことに、セレイエさんは気づいていた」
「……え?」
「だって、セレイエさんの『記憶』なら、ホンシュアが持っているんだもの、『肉体』と『記憶』が揃えば、蘇生できるわけでしょう?」
「!」
その通りだ。
しかし、セレイエは……?
目を見開いたルイフォンに、メイシアが頷く。
「でも、セレイエさんは、自分が生き返ることを望まなかった。だって、それは『罪』だと、彼女はちゃんと分かっていたから。――それでもっ」
メイシアが、ぐっと顔を上げた。
潤んだ瞳で、けれど、毅然とした眼差しで、彼女は告げる。
「自分の命をひとつ捧げるから、『ライシェン』の命をひとつ与えてほしい。……ううん、手に入れてみせる――って、彼女は笑って〈冥王〉に侵入したの……!」
メイシアの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「セレイエの奴……!」
ルイフォンは奥歯を噛みしめる。
母親そっくりの、とんでもない異父姉だが、血を分けた異父姉弟だ。彼だって、彼女の死を悼んでいる。
なのに……。
――否、だからこそ……。
「子供のために、笑って命を捧げた――だと……!」
押し殺した声で、うなるようにルイフォンは漏らす。それは徐々に大きくなり、やがて悲痛の叫びとなった。
「そっくり同じことを、俺たちの母さんもしたんだぞ……! お前のために! セレイエ!」
ルイフォンの咆哮が、白い月夜に木霊する。
詳しい事情は分からない。
けれど、間違いない。
母のキリファは、セレイエのために、自分の脳を使って有機コンピュータ〈スー〉を完成させた。
「ふざけんなよ……!」
母の最期を、ルイフォンは覚えている。〈天使〉の母に消されるはずだった記憶を、彼は強い意志の力で手放さなかった。
――母は、誇らしげに笑っていた。
ルイフォンの瞳に焼きついているその顔と、〈冥王〉へと向かったセレイエのそれは……。
そっくり同じ表情なのだろう……。
「ルイフォン……」
メイシアの手が彼を掻き抱くように伸ばされ、後ろから髪に触れた。彼は、その手に誘われるように彼女の肩に頭を預ける。
彼の背で一本に編まれた髪が揺れ、毛先を飾る金の鈴が月光を弾いた。
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