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第1話 真白き夜更け(4)
白い月が傾きを変え、夏の虫たちが歌い手を交代していく。
ルイフォンとメイシアは、どちらからともなく顔を上げ、互いを見つめ合った。
「ごめんなさい。話が、ぐちゃぐちゃになっちゃった」
明らかに無理やりであったが、メイシアが、ふわりと柔らかに笑う。
「ちゃんと、筋道を立てて話さなきゃね。『デヴァイン・シンフォニア計画』のこと。セレイエさんがしてきたこと。セレイエさんがしようとしていたこと……」
「ああ。頼む。教えてくれ」
メイシアの心遣いに感謝し、笑顔のぎこちなさには気づかないふりだ。
どんなことが語られても泰然と受け止めよう、そう思った矢先、彼女の顔がにわかに改まり、緊張と……困惑のようなものが入り混じった。
「メイシア?」
「セレイエさんは、〈冥王〉から掻き集めたライシェンの『記憶』を、亡くなる前にルイフォンに預けたの」
「……は?」
理解できない。
「ええと、ね。『ライシェン』が生まれるまでの間、セレイエさんが手に入れたオリジナルのライシェンの『記憶』は、どこかに保管しておく必要がある、というのは……分かるかしら?」
「それならば分かる。『肉体』がなければ『記憶』の入れようがない、ってことだろ?」
「うん。そんな感じ」
ルイフォンらしい解釈の仕方に、メイシアは苦笑しながらも同意する。
「『記憶』とは脳に刻まれるものだから、『記憶』を保管できる場所とは、すなわち『人間の脳』。――ほら、〈冥王〉だって、王の『脳』細胞からできているわけでしょう?」
「あ、ああ……、そう……だよな?」
ゆっくりと咀嚼するように、けれど、すぐには呑み込めずに、ルイフォンは曖昧に相槌を打つ。
「でも、『誰かの脳』に、ライシェンの記憶を書き込んだら、その人はライシェンの〈影〉になってしまう」
メイシアの声が硬さを帯びた。
「そもそも、セレイエさんが、どうやってライシェンの記憶を集めたかというと……」
彼女は説明に悩むように口ごもり、それから、細い声を響かせる。
「〈冥王〉に侵入した彼女は、ライシェンの記憶を見つけては、『自分の脳』に複製を書き込んでいったの」
「そんなことをすれば、セレイエが、ライシェンの〈影〉になるんじゃ……?」
訝しげに問うたルイフォンに、メイシアは、すかさず「ええとね」と受けた。
「セレイエさんはキリファさんの子供で、わずかながらだけど王族の血を引いているから、一般人よりも脳の容量が大きいの。だから、普段、使ってない領域にライシェンの記憶を書き込むことで、〈影〉になることを回避できたの」
メイシアは、上手く伝わっているかを確認するように、不安げな目でルイフォンを見上げた。彼は納得したと、深く頷く。
「お前がセレイエの記憶を持っていても、お前のままでいるのと同じ理屈だな?」
「うん、そう」
メイシアの顔が少しだけ、ほころぶ。
「――そして」
黒曜石の瞳が、まっすぐにルイフォンを捉えた。
反射的に、彼の猫背が伸びる。
「セレイエさんと同じく、キリファさんの子供であるルイフォンも、普通の人よりも脳の容量が大きいの。――だから、セレイエさんは、異父弟にライシェンの記憶を預けた。彼女が持ったままでは、彼女の肉体の死と共に、ライシェンの記憶も失われてしまうから……」
「――!」
理解した……理屈は。
だからといって、感情がついていかない。
「嘘……だろ? 俺の脳に、ライシェンの記憶……?」
いくらメイシアの弁でも、にわかには信じがたい。しかし、メイシアが、遠慮がちに水を向ける。
「キリファさんが亡くなったあと、ひとりになってしまったルイフォンは、しばらくの間、シャオリエさんのところにご厄介になっていたでしょう? そこに、セレイエさんが訪ねてきたことがあった……」
「!」
猫の目が見開かれた。
そうだ。
ルイフォンの記憶にはないが、世話をしてくれていた少女娼婦スーリンが、セレイエの来訪を証言している。しかもスーリンは、セレイエの〈天使〉姿を目撃しているのだ。
「あのとき……、セレイエは、俺の脳にライシェンの記憶を書き込みに来たのか……」
解けていく謎に愕然としていると、メイシアの言葉が更に続いた。
「しかも、ルイフォンの中に書き込まれた記憶は、ただの記憶じゃなくて、ルイフォンが見聞きし、考えたことから『善悪』を学び、成長していく心なの」
「俺から『善悪』を学ぶだって……? 俺の価値基準に何を期待……」
軽口を叩きかけ、はっと気づく。
「――オリジナルは、人を殺したんだったな」
如何にルイフォンといえど、さすがに口調が重くなった。メイシアも沈鬱な面持ちで「うん」と頷く。
「新しく作られる『ライシェン』の肉体の目が見えたとしても、〈神の御子〉の力が消える保証はない。だから、その場合でも同じ悲劇を繰り返さないように、セレイエさんはルイフォンを教育係にしたの」
「セレイエの奴……、やりたい放題だな」
ルイフォンは渋面になる。――わずかな懐かしさを含ませながら。
緻密で巧妙なプログラムは、セレイエの特徴。抜け目がなくて、ちゃっかりしているところが如何にも彼女らしい。
「それからね」
感傷めいたものに浸っていると、メイシアが彼の顔を窺いながら、そっと口を開いた。
「私が『お守り』だと信じていたペンダント――セレイエさんが、スーリンさんに『目印』だと言ったあれは、『ルイフォンの中にいる、ライシェン』に、迎えにきたことを教えるための『目印』だったの。姿は変わっていても、『目印』を持った人の中にセレイエさんがいるから安心して、って」
その瞬間。
ルイフォンの脳裏に、さらさらとした鎖の感触が浮かび上がった。それから流れるような、金属の響き合う音。
「メイシアのペンダント……、俺は『見たことがある』と感じた」
ぽつりと呟き、「違うな」と首を振る。
「――『見て』はいないんだ。盲目のライシェンが触って、金属のこすれる音を聞いて『知っていた』。その『記憶』を、俺は持っていたんだ……」
ホンシュアに会ったとき、ルイフォンは彼女を『母さん』と呼んだ。あれは、彼の中にいるライシェンの言葉だったのだ。
「あのペンダントは、ヤンイェン殿下がセレイエさんに贈ったものなの。彼女はいつも身につけていて、ライシェンは抱っこのときに、よく触っていたの」
メイシアが自分の胸元に手をやる。ペンダントに触れるときの仕草だ。
彼女は『ペンダントを握りしめると、安心する』と言っていた。セレイエの〈影〉であったホンシュアに、そう思い込まされたのだ。
そんな癖があれば、凶賊である鷹刀一族の屋敷を訪れた、貴族の箱入り娘のメイシアは、自分を奮い立たそうと、必ずルイフォンの前でペンダントを握ることになる。
やたらと触っていれば、ルイフォンは嫌でもペンダントに注目する。すなわち、『ルイフォンの中にいる、ライシェン』が『目印』に気づく――という構図だったのだ。
持っていると狙われる、危険な『目印』だと思い、預かってしまったのだが、彼こそが――正確には『彼の中のライシェン』こそが、『目印』に気づくべき対象者であったとは、なんとも滑稽な話である。
「ルイフォン」
ペンダントに関する考察に意識を飛ばしていたルイフォンは、メイシアの声に我に返った。
彼女は、悲壮にも見える深刻な顔をしていた。
「今まで話したことが、セレイエさんがしてきたこと――過去のこと。今から、セレイエさんがしようとしていたことを――未来の話をしようと思うのだけれど、その前に、ちゃんと……正確な情報で、伝えておかなければいけないことがあるの」
彼女は逡巡に言葉を詰まらせ、けれど、思い切ったように顔を上げると、澄んだ声を響かせた。
「セレイエさんの……本当の最期の情報を――」
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