第4話 風凪の眠りに灯る光(6)

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第4話 風凪の眠りに灯る光(6)

〈スー〉は、キリファではない。  たとえ〈スー〉が、母から作られた有機コンピュータであったとしても、母本人ではない。   死んだ人間は生き返らないのが、自然の(ことわり)だからだ。  そして、おそらく『〈冥王(プルート)〉の破壊』という目的が達成されたら、〈ケルベロス〉は消える。〈七つの大罪〉の技術を否定する母が設計したものであるのなら、それが道理だ。  だから、〈スー〉を目覚めさせても、いずれ別れを経験することになる。  それでも――。  家の中に足を踏み入れると、ふわりと埃が舞い上がった。かび臭さが、むわっと広がる。  庭の荒れ具合いから、メイシアは屋内の様子を覚悟していたらしく、驚くことはなかった。だが、如何(いか)にも廃屋然とした暗がりの廊下は、やはり怖かったようだ。ルイフォンの服の端をぎゅっと握りしめてきた。  だから彼は、華奢な肩をそっと抱き寄せる。 「メイシア、まずは地下だ」  前回、この家に来たときには、〈スー〉のいる地下へは行かなかった。〈スー〉のプログラムの解析が終わらないうちは、行くべきではないと思ったのだ。  けれど、今日は事情が違う。  業者に掃除を頼むつもりでありながら、わざわざメイシアと『ふたりきり』で来たのには、ちゃんと理由がある。 「お前を〈スー〉に――母さんに紹介したい」 「えっ」  薄明かりの中でも、はっきりと分かるほどに、黒曜石の瞳が大きく見開かれた。 「お前だって、俺のことをお継母さんに紹介してくれただろ? だから俺も、お前を母さんに紹介したいんだ」 〈スー〉は母ではないし、そもそも、まだ眠りの中だ。メイシアが彼を継母に紹介してくれたのとは、同じ意味にはならないだろう。  けれど、意義はあるはずだ。 「俺にとって母さんは、『乗り越えるべき壁』みたいな存在だった。母さんに認められれば『一人前』なんだと、ずっと思っていた」  昔を懐かしむように苦笑しながら、ルイフォンは語る。 「母さんが死んだとき、俺はまだまだ餓鬼だった。自分が『一人前』には、ほど遠いのは分かっていて、俺のことを認めさせる前に、母さんが死んじまったのが悔しかった」  メイシアの眉が曇った。  そんな顔はしなくてよいのだ。もうとっくに過ぎた過去の話だ。ルイフォンは柔らかな表情で、彼女の髪をくしゃりと撫でる。 「今だって、どうなれば『一人前』といえるのか、分かっているわけじゃない。でも俺は、お前と出逢って確実に変わったと思う。『一人前』に近づけたんじゃないかと思う。――だから、お前を母さんに見せたいんだ」  ルイフォンはメイシアを見つめ、覇気に満ちたテノールを響かせる。 「まぁ、結局のところ、お前のことを自慢したいだけかもな」  そう言って、得意げに口の端を上げた。  地下の造りも、当然のことながら〈ケル〉の家とそっくりで、迷うことはなかった。  奥の小部屋の手前には、ルイフォンが『張りぼて』と呼ぶ巨大なコンピュータが設置されており、体を芯から揺り動かすような騒音が鳴り響いていることも、また同じである。  この張りぼてに関しては、〈ベロ〉から新しい情報を得ていた。  曰く、光の(たま)の姿をした真の〈ケルベロス〉のために、張りぼての〈ケルベロス〉が、電気エネルギーを有機コンピュータが消費できる形の動力源(エネルギー)に変換しているのだという。  このことは、ルイフォンがこんな質問をしたことから判明した。 『まさか、〈ケルベロス〉も、〈冥王(プルート)〉みたいに人の血肉を喰らって動いている、ってことはねぇよな?』  なかば恐喝の口調で尋ねたら、人の世には関わらないと公言している〈ベロ〉も、さすがにかちんと来たのか、声を張り上げて教えてくれたのだ。 『キリファが、そんなものを作るわけないでしょ! お前が『張りぼて』呼ばわりしている、あのデカブツ。あれが、〈ケルベロス〉の『動力(エネルギー)変換器』になっているのよ!』――と。  だから、眠っているとはいえ、密やかに息づいている真の〈スー〉に動力源(エネルギー)を供給するために、張りぼての〈スー〉は無人の家で動き続けている。そう思うと、不快な振動も、どことなく頼もしかった。  それに――。 「メイシア」  轟音に声を掻き消されても、彼女はちゃんと分かってくれる。  彼が手を伸ばせば、彼女は手を重ね合わせてくれる。  そして、ふたりで〈スー〉の部屋の扉を開いた。  小部屋に入り、分厚い防音扉を閉じる。密封された空間に、今までの騒音が嘘のような静寂が訪れる。  照明のスイッチの在り処は知っていたが、あえて点けない。余計な光は、今は野暮だ。  部屋の奥を見やり、ルイフォンとメイシアは、同時に息を呑む。  漆黒の中に、神秘的な白金の光が、淡く浮かび上がっていた。  幻想的な輝きを放つ光の(たま)は、まるで寝息を立てるようにゆっくりと明るさを変えていく……。  ルイフォンは、メイシアの手を取った。  彼女の指先は、緊張で震えていた。そして、彼は、はっと気づく。 「よく考えたら、母さんに向かって堅苦しい挨拶なんて、可笑(おか)しいな」 「えっ!?」 「だって、俺は、最高のお前を母さんに見せたい。――だから、お前が笑っていなきゃ、意味がない!」  彼は、にやりと猫の目を細めた。そして、実に洗練された動作で、滑らかに彼女の膝裏をすくい上げる。 「え……? ――きゃっ!」  最近、鍛えていたのは伊達ではなく、メイシアの体は、あっという間に、軽々とルイフォンに抱き上げられた。  ……とはいえ、不意打ちだった彼女は本気で驚き、必死に彼にしがみついてくる。 「ル、ルイフォン!」  遠慮がちな抗議の声は可愛らしく、その表情はいつもの自然なメイシアだ。  ルイフォンは満足気に微笑むと、光の(たま)へと近づき、晴れやかな声を響かせた。 「母さん、紹介するよ。俺のメイシアだ」  背筋を伸ばし、誇らしげに胸を張る。 「俺を幸せにしてくれる(ひと)。そして、俺が幸せにする(ひと)だ」  抜けるような青空の笑顔で宣告する。  腕の中のメイシアが、ぱっとルイフォンを見上げた。その瞳はうっすらと涙で潤み……、けれど、それはすぐに極上の笑みへと移り変わった。  そして、彼に床に下ろしてほしいと頼み、彼女もまた光の(たま)と正面から向き合う。  優雅に一礼し、祈りを捧げるように胸元で両手を組んだ。 「キリファさん。ルイフォンは、私がいつも笑っていられるように、と言ってくれるんです。だから私も、ルイフォンがいつも笑っていられるように尽くすと――誓います」  微笑みながらも、凛と響く声。  感極まったルイフォンは大きく腕を広げ、包み込むように彼女を抱きしめた。その動きに、彼の背で一本に編まれた髪も、彼女を守るように流れていく――。  光の(たま)が、ほのかに煌めく。  凪いだような静けさの中、ルイフォンの髪先を飾る金の鈴に、祝福の光を灯した。 ~ 第十章 了 ~ ~ 第二部 完 ~
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