山の帝王

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ドキドキしながらトイレで用を足していると、腕時計が正午の時報を鳴らした。 来るならこい。気持ちを引き締める。 来た。トイレの入り口に人影。 誰だ。あいつだ。先輩だ。先輩芸人のテシガワラだ。 「あっ、ども。おはようございます」 「ういっす」 テシガワラは仏頂面をぶら下げたまま、僕の隣に並んだ。いつものテシガワラであれば、僕の顔を見掛ける度にフーゾクの武勇伝を一方的に語ってくるのだが、今日は違う。これはどうやらテシガワラがドッキリの仕掛人である可能性大である。 テシガワラがジーパンの前を開けて三秒もしないうちに、シャーッと勢いのある放射音が響き始めた。 「サトウ、おまえ」 テシガワラが、彼自身のイチモツを凝視したまま、低い声を絞り出した。 声が小さすぎる。小便が便器を叩く音のほうがデカいのだ。これではどこかに仕込んであるのだろうマイクがテシガワラの声を拾えない。それがどういうことかというと、テシガワラの今の台詞が放送で使われることは永遠にない、ということだ。 「サトウ、おまえ」 さすがはベテラン。テシガワラは自らの失態を敏感に察したのだろう。声の大きさを二段階ほど高め、同じ台詞を繰り返してきた。 「おぼえとけよ」 「はっ?」 耳を疑う――というような顔を作った。 「何がですか」 「おぼえとけよ」 「だから、何ですの?」 「山は神聖なものだ。おぼえとけ」 テシガワラは、手も洗わずにそそくさと立ち去ってしまった。 僕はジーパンの前を閉じながら、さりげなく隠しカメラの位置を探った。だが駄目だ。カメラの位置がわからなかった。それでも一応、隠しカメラを意識しながら首を傾げてみせた。 「何だあれ。山が何だってんだよ」 どこかに隠してあるのだろう集音マイクを意識しての独り言も忘れない。
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