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辺りはすでに薄暗い。人が大勢住んでいるような場所であれば、本来ならまだまだ明るい時間のはずだ。だが鬱蒼と生い茂る木々や雑草のせいで陽射しが遮られ、すでにここは夕闇だ。
「どうなってるんだ」
ドッキリを仕掛けられているときは、視聴者のために、心境をいちいち言葉に出して言わねばならない。言葉にしないと画面の向こう側には何も伝わらないからだ。
少し離れた場所で、ガサッという大きな音を鳴らしながら、草木が揺れ動いた。
音がしたほうへ、さりげなく視線を投げた。どうやら熊ではなさそうだ。人の姿も見えないが、もしも誰かがそこにいるとすれば、僕を隠し撮りしている撮影スタッフだろう。
「どうなってんだ。ここはどこだ」
どうせドッキリ撮影でよく使ういつものあの山だろうと思いながら、それでもさも狼狽えているかのように、辺りをキョロキョロして独り言を連発する。
「帰らないと。しかしどうやって」
立ち止まって、まるでたった今気がついたかのように、声をあげる。
「スマホ、ない。財布、ない」
頭を抱えて、掛け算の八の段を暗唱する。
「はちいちがはち。はちにじゅうろく」
ウィキに「サトウは掛け算の八の段を暗唱することによって緊張や恐怖を克服できる」などと大嘘が書き込んであるのを知っていたから、どうせだからこの際それを使わせてもらった。それにしてもだが、ネットの情報は嘘だらけだ。ウィキには僕の身長がなぜか百七十二センチと記載されているが、本当は百七十四センチだ。だが僕に関する間違い情報などまだずっとましなほうだ。ある人気俳優が何かの容疑で逮捕されたとき、悪意を持った何者かによってその俳優のウィキの記載内容がぜんぶ書き換えられてしまい、身長一センチ、体重一万トン、出生地冥王星、となっていた。
山林を彷徨いながら八の段を五回ほど繰り返した頃、ようやく開けた場所に出られた。
どうやら僕が今いるここは、どこかの山の五合目付近らしい。
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