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絶景とまではいかないが、それでもいつものごちゃごちゃした灰色の街並みに比べれば遥かに心が洗われる。これがドッキリの撮影じゃなくて、プライベートだったなら、ちょっとしたハイキングを楽しみたい気分だ。だが僕はドッキリ芸人だ。騙されておろおろしながら山中を彷徨い歩き、視聴者を楽しませなければならない。
ガサッ。また木々が揺れる音だ。
今度は背後ではなく、すぐ目の前の茂みからだった。
「あっ」
驚くしかなかった。
男がひとり、草木を掻き分けながら姿を現した。
何とも言えぬ、そのアナクロな出で立ちに、思わずため息が漏れた。
まるで百科事典から飛び出してきたかのようだ。日露戦争当時の陸軍大将を彷彿とさせる派手な衣装に身を包んだお笑い芸人の登場だった。妖しい舞踏会で紳士淑女が着用するような仮面で顔を隠しているが、それでもすぐにわかる。目の前の明治時代の陸軍大将の正体は先輩芸人テシガワラだ。
「だ、誰だおまえは!」
僕は声を裏返しながら、変身ヒーローよろしく身構えた。
「わっはっはっはっ」
陸軍大将は仰け反りながら高笑いした。
「私は山の帝王だ」
テシガワラさんも、よくやるよ。こんな仕事を引き受けざるを得なかった先輩芸人に同情しつつ、それでも僕はテシガワラの真剣さに百パーセント応えなければならない。いや応えるべきだ。テシガワラ、いや山の帝王と対峙する。
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