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玄関を開けて、外に出た。
吐く息が白い。
「寒……」
通勤用のバッグを肩に、いつもの道を歩き出す。
会社から呼び出しの電話があった。通訳が必要だから、至急来てほしいと。
「就職活動を思い出しちゃった。懐かしいな……」
あれから私は、語学留学した。英語を自在に扱えるよう、思ってもみなかった方法を貪欲に試したのだ。念願の商社への就職を目指して。
書類も通り、面接でも、試験でも、海外での経験は好材料となった。それがなければ不採用だったと、後に上司から聞かされた。
春なのに、頬が冷たい。
駅までの途中、五軒先のお屋敷の前を通る。
この道を歩くたび、いつもあなたを思い出す。思い出さない日はなかった。
「やっぱり降ってきた」
頬をかすめて、冷たい粒が地面に降りた。
立ち止まり、灰色の空を見上げる。
かくれんぼしよう!――
「あなたの場所は、すぐに分かるよ」
児童公園に寄り道した。砂場も、ブランコも、ロケットの形をした遊具も、ベンチも、公園を囲む植え込みも、あの頃のまま。
そしてあの頃と同じように、こんな天気の日には誰もいない。
傷ついて、いたたまれなくなった私が隠れるとしたら?
「は・や・と・くん!」
澄んだ空気に、響く声。
胸に浮かぶのは、彼の表情と、言葉と、私への想い。
――『ただ純粋に好きで、欲しいと思ってた』
あの笑顔だけは、あなただった。私を見つけて、私に見つかった時の、あなたの笑顔。
――『金甌無欠って、知ってるか』
あなたはきっと、傷ついている。
完璧な甌を木っ端微塵にされるような、余程のことがあったのでしょう。4年の間に、きっと。
だけど違うの。あなたはそれで終わったのではない。こうして私が活きているのは、あなたがいてくれたから。あなたのお蔭で、私は浪人を脱出し、こうして日々働いています。
もしも、ここに戻っているのなら……
滑り台の下。いつも隠れていたトンネルに、私はそうっと近づいた。
「はやとくん、見ーつけた!」
降りしきるのは、冷たい雪。
だけど今は、春。
私とあなたを包む、優しいこれは、春の雪だよ。
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