みち

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 わたしの家の前には、細く短い道がある。  その道に、草が生い茂ってしまった。 23d31a2d-0990-428c-8685-ffa756e6ab6e  昔から住む前の家の人と、14年前に越して来たわたしの家とで、半分ずつ管理している道。  地元の人が、ほんの少しだけ、近道ができる程度の、道。  別に通らなくても困らないから、草だらけになっていても、誰も何も言わない。  だから、こんなことになっているとは、気がつかなかった。  と、言うか、そろそろ草がすごいことになって いるだろうな、とは思っていたけれど、現実を直視したくなかったのかもしれない。  草を見たら、草退治をせざるを得なくなるから。  うちの前の家のおじさんは、つい先日、長男さんを亡くしたばかり。  そのことを、おじさんがわたしに話してくれるまでの、一ヶ月半ほどは、おじさんは、それなりに家の前の畑に出たり、庭の垣根を手入れしたりしていたと思う。  しかし、わたしに、 「 朝起きてさ、なんか、コップにさ、酒くんじゃだろ、そしたら、もう、かったるくなっちゃうんだよな。」  と、話をしてくれてからというもの、おじさんは、めっきり外に出ている様子が見られなくなった。  ただでさえ草が生えやすい、そのおじさんの畑には、勢いよく草が生い茂り、ネギの先や、さつまいもの葉が、わずかに見えるだけになってしまっている。  こうなると、野菜が草に負けてしまい、もう、収穫は難しいかもしれない。  そんな状態だから、おじさんの家の裏にある道の草退治どころでないことは、考えなくてもわかっていた。  それに、前回この道が草だらけになってしまった時には、おじさんが草を刈ってくれていた。  だから、今回は、わたしが草退治をしようと思っていた。  週末を迎え、エンジン式の刈払機を使い、草刈りを始めた。  とりあえず、わたしの家に近い方の半分を刈りながら、様子をみる。  わたしは、刈払機を使うことは滅多にないし、刈払機で草を上手く刈るのは、とても難しい。  だから、わたしがやると、草を平らに刈ることができず、刈った跡が縞模様になってしまう。  しかし、長年の経験と技術のある人がやると、草の長さが均一になり、刈ったあとの草が、文字通り、緑の絨毯になる。  とにかく、今は集中しなくてはならない。  刈払機を使っている間は、少しでも気を抜くと、とても危険だ。  周囲に目を向け、気を配り、常に自分の前後左右に人がいないか、物がないか、動物が隠れていないか、確認していなくてはならない。  そして、同時に足元にも気をつけていなければならない。  うっかりつまずいて転んでは、大変だから。  刈払機は、自分の命も、他人様の命も、奪いかねない、恐ろしい道具だ。  注意力は、長く続かない。  疲れてくると、注意散漫になり、土の上にわずかに出ている小石に、刈払機の刃をぶつけ、刃をダメにしたり、小石が飛んで、怪我をしたり、物を壊してしまう危険もある。  道の半分を刈りながら、わたしは、おじさんの家に近い方の半分を刈る前に、おじさんに一声かけたほうが良いかどうか、考えていた。  黙ってやるか、どうするか。  わたしは、わたしらしい選択をした。  つまり、おじさんに一声かけることにした。  おじさんの家に行き、今回は、わたしが草を刈っても構わないか、聞いてみた。  おじさんは、 「 ありがとう。そうしてもらえると、助かるよ。あっさりでいいからさ。悪いねぇ。」  と、笑顔で言ってくれた。  わたしも、笑顔で、 「 わたしがやるんですから、あんまり上手くは出来ないですけど。」  と、答えた。  さて、許可も得たし、残りの半分を刈ってしまおう。  片側の半分を刈り終えたあとだから、少し疲れてきているし、注意力も怪しくなってきている。  だから、今まで以上に気をつけなければならない。  それに、既に、何度か小石にも軽く刃をぶつけてしまっていたから、刃へのダメージも気になっている。  刈払機の刃を、地面より少しだけ浮かせ、しかし、あまり上になり過ぎず、同じ高さを維持する。  これが、難しい。  まぁ、わたしができる限りのことをするしかない。  そう思いながら、丁寧に時間をかけて、慎重に草を刈っていく。  道の端の、おじさんの家の垣根の下に潜り込んでいる草は、特に気をつけなければならない。  木を傷つけてはいけないし、道の端には、小石が潜んでいるから。  それでも、終わりに近づくにつれ、何度か小石に刃をぶつけた。  本当は、自分の畑の(きわ)の草も刈りたかったが、もうダメだ。  これ以上この作業を続けるのは危険だ。  今日は、この道の草刈りが終わることに、満足しよう。  そう思い、最後まで草刈りをし、またおじさんの家に行くか、考える。  草刈りが終わったことを、知らせるか、知らせないか。  今度は、行かないことにした。  言わなくても、大きなエンジン音が止まればわかるし、わざわざ言うのは、なんだかお礼の言葉を催促しに行くようなものかと思ったから。 e0ce9425-209d-419e-bb45-e03413cd6e5d  刈ったあとの道は、切れた草でいっぱいだが、少しは道らしくなった。  いつもなら、外でひと仕事したあとは、達成感を感じるものだが、今日のわたしの心は、晴れたような、曇ったような、複雑な感じだ。  おじさんは、どんな気持ちだろうか。  あれから一週間、道の草は、既に少しフワフワと長くなってきてしまっている。  おじさんとは、顔を合わせていない。  一度、庭に出ているところを見かけたが、斜め下の方向、道の様子を見ているようにも、見えた。  今は、秋の彼岸、そろそろおじさんの家の長男さんの四十九日が終わった頃だろう。  おじさんは、おじさんも、アチラに行きたいとか、思うのだろうか。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加