ヤマモト教授の小さな趣味

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「失礼致します。事務のハラです」  ある日、大学のヤマモト教授の研究室にハラさんが大きなダンボールを抱えてやってきた。 「ヤマモト先生、いらっしゃいますか?」  パソコンに向かって論文を書いていた教授は、ハラさんの声に顔を上げた。研究室を見回すが、助手のノムラ君はいない。教授は近くのテレビがつけっぱなしであることにも今気づいたくらいだから、論文執筆に集中しているうちにノムラ君もどこかに行ったのだろう。テレビではニュースキャスターが新しく制定された『宇宙刑法』について何か解説しているが、教授はリモコンで電源を切って渋々立ち上がった。 「ああ、教授いらっしゃったのですね。ーーそちらに参りますので、どうぞそのままで」  ハラさんは教授に気づいて白い歯を見せて微笑むと、足早にデスクの方へ近づいた。教授はまず、彼女が足音をほとんど立てないことに好感を持った。教授はヒールを履いた女性が立てるコツコツという足音が苦手だったからだ。  ハラさんは教授にダンボールを渡した。中身は海外の研究者から送ってもらった専門書だ。 「あの、ヤマモト教授は研究なさっている惑星を発見されたんですか」  おずおずと、だが興味深げにハラさんが教授に尋ねた。教授はダンボールを本棚の前に置き、ハラさんに顔を向けた。 「なぜそんなことを」  声が不機嫌そうになり、教授は内心「しまった」と思った。ハラさんは慌てて頭を下げると、 「すみません、学内で噂を聞きまして。教授がずっと研究なさっているこの星とよく似た惑星を発見されたとーー」  ノムラ君だな、と教授は思った。教授が半年前にその惑星を発見し、一人用宇宙船で訪れていることはノムラ君だけが知っているからだ。 「すみません、素人なのに研究のことを伺ったりして」  ハラさんはそう言ってもう一度頭を下げる。 「それでは」と出ていこうとしたハラさんは、不意に教授のデスクに目を留めた。  教授はデスクの上に数点のミニチュアを飾っている。教授が若い頃に留学していた国の大聖堂と城、大学の建物によく似ていた。どれも本物のおよそ一〇〇分の一スケールだ。 「すごくよくできていますね! 私も学生の頃卒業旅行で訪れました!」  教授は笑って首を振った。実はこれは例の『よく似た惑星』で入手したものだからだ。そうハラさんに説明すると、彼女は「そうなんすか?」と目を丸くする。 「その惑星は、この星とそんなによく似たているのですねーー。知りませんでした」 「まだこの世でたった三人しか知らない星です。私と助手のノムラ君、そして君」  ハラさんは目をしばたかせると、ふふっと笑った。その笑顔に、教授はドキリとした。その笑顔はまぶしく感じられ、今度は教授が目をしばたく番だった。 「私、ミニチュアって好きです」  教授のコレクションをじっと見つめて、ハラさんがつぶやいた。その姿勢にも教授は好感を持った。教授のミニチュアを初めて見た人たちはすぐに触ろうとするが、ハラさんは熱心にコレクションを見つめるだけだった。教授は断りもなく大切なミニチュアに触ろうとする人間が嫌いだった。 「ちょっと違いますけど、私もドールハウスが好きで自分で作ったり集めたりしているんですよね」  そう言ってハラさんは自分の携帯端末を教授に見せた。画面にはハラさんが作ったというドールハウスの写真が映し出されている。小さなダイニングテーブルにティーセットとケーキが並んでいる。その出来に思わず教授は「すごいですね」と感心した。 「いえ、教授のコレクションの方がすごいですよ」  そんなやりとりをどれだけ続けただろう。気づけば一時間が過ぎていた。 「すみません、もう行きますね」とハラさんは研究室の壁掛け時計を見上げてつぶやいた。 「またお話を聞かせて下さい。それと、ご自宅の素敵なコレクションもいつか見せてくださいね」  髪を耳にかけて、「それでは」と彼女が頭を下げた頃には教授は完全に彼女に恋していた。教授のミニチュアにここまで感心を寄せ、礼儀正しく接してくれる人に初めて出会ったからだ。  教授はハラさんとたびたび会うようになった。大学近くのカフェでお茶を飲んだり、レストランで食事をしたり、何回か出かけているうちについに教授はハラさんを自宅に招いて自分のミニチュアのコレクションを見せることになった。  その日に向けて、教授は連日せっせとミニチュアの町を拡張していた。例のミニチュア専用部屋に、広い台を置き、その上に箱から出した家やビルを次々と並べていく。  赤い屋根の家を取り出したとき、持ち上げた拍子に家の窓から男性の人形がこぼれ落ちた。教授はちょっと思案して、町に置いたその家の屋根に、人形の腕をピンセットで曲げて乗せる。よし、これで屋根の修理をしているように見えるーー。  教授は建物と建物の間に線路を置き、手のひらに乗るような電車を置いた。それからミニチュアの建物が床に落ちたり、逆にうっかり何かが町に飛び込んだりしないように、台の端を透明のプラスチックの板で覆う。  広大なミニチュアの都市がやがて完成した。教授は余暇をすべてその町並み造りに費やしていた。テレビも新聞も見ないし、食事だけはかろうじて取っていたが、他の楽しみなど必要ないほどその一〇〇分の一サイズの町作りに情熱を傾けていた。  ただミニチュアの町並みを作るのが楽しかっただけではない。彼女がーーハラさんが楽しんでくれればいい、彼女が「すごい」と言って、尊敬の眼差しで自分を見てくれればいいーーそう願っていた。
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