4.同居

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4.同居

 現在の僕は幽霊に取りつかれた状態らしい。ただ、取りつかれたら肩が重くなるとか、体調が悪くなるとか、よく聞くが、柚乃(ゆの)さんに関してはまったくそれがなかった。 「体質だからね。君には抗体があったってことかな」 「抗体?」 「幽霊の」  そう言って、柚乃さんはなにがおかしいんだかげらげら笑っていた。  数日共に過ごして思ったのは、柚乃さんという人は、幽霊とは思えないくらい陽気だ、ということだ。  美人だとは思う。細面で切れ長の瞳に黒髪ロング。大和撫子という言葉がぴったりな容姿をしている。が、中身は違う。  まず声が大きい。あとあまり遠慮をしない。思ったことはずばずば言う。 「(じゅん)くん、そのネクタイはさすがに駄目だと思う。見た目、完全にガラガラヘビだよ」  ちょっと言葉のチョイスもおかしい。けれど、彼女とのやり取りを楽しんでいる僕もいて、そのことに僕は驚いてもいた。  相手は、幽霊なのに。 「ガラガラヘビ、思わず検索しちゃいましたよ」  スマホを置いて僕は笑う。さすがにガラガラヘビで出社する勇気はなかったので違う色のものを選ぶ。 「男ってさ、ネクタイもらうとうれしいもの?」  鏡を見ながらするするとネクタイを結んでいると、柚乃さんが声をかけてきた。 「まあ。あ、このガラガラヘビもこの間出て行った美奈代からもらったものですよ」 「君、別れた彼女からもらったネクタイ、使ってるの」  ぎょっとした顔をされ、僕は鏡越しに首を傾げる。 「捨てるのもまあ覚悟いるので」  柚乃さんはなにも言わない。どうしたのかな、と思ったが、朝食も食べねばならない。慌しくキッチンへ行き、作っておいた目玉焼きとサラダをテーブルに用意する。トースターでパンを焼き、テーブルに戻ってくると、柚乃さんは椅子に座ってこちらを見ていた。 「盾くんてそつないよね。彼女と住んでたときも炊事洗濯掃除、全部君がやってたよね」  僕はテーブルに着きながら首を傾げる。 「おかしいですか?」 「いや、そこまで尽くしてくれる彼氏っていないし、尊いよ。ただ、彼女としては複雑でもあったかもね」  柚乃さんは丁寧に盛り付けたサラダをテーブル越しに覗き込みながら呟く。 「自分なんていなくてもこの人大丈夫だって思っちゃうかも」 「そんなことは、ないですよ」  かろうじてそう答えたけれど、思い当たる節がないわけではなかった。 ──私が作ったのより、盾くんが作ったご飯の方が美味しいなあ、やっぱり。  焦げたハンバーグを前に落とされる肩。ぎこちなく作られた笑み。  何度その表情を見ただろう。 「いてくれるだけでうれしいんですけどね」  ぽろりと思わず本音が漏れてしまった。はっとして食事に集中すると、うーん、と柚乃さんが唸った。 「盾くんはそこがだめ」 「だめ?」 「誰に対しても態度が同じ。自分の気持ちを言わず、ただ笑ってる」 ──あなたは誰にでも優しいから。  声が耳の奥で蘇る。僕はトーストをかりり、と噛んで浮かんだ思いも飲み下す。 「誰にでも優しいわけじゃないんですけどね」  ただ、理解はしてもらえない。 「理解してもらえないじゃなくて、理解してもらおうという熱意がね、ほしいときだってあるんだよ」  強い語調に思わずテーブルの向こうの柚乃さんを見返すと、彼女はバツが悪そうに前髪を引っ張って横を向いた。 「ああ、ごめん。なんかつい昔の彼氏のこと思い出して熱くなっちゃった」 「彼氏、いたんですね」  そう口にすると、柚乃さんはぽかんとした顔でこちらを見てから、肩をすくめた。 「なんだろうなあ、盾くんって悪気ないんだろうけど、なんか人をいらっとさせるとこあるよね」  自分はなにか失言をしただろうか。自分の発言を辿っていると、柚乃さんは呆れた顔をした。 「彼氏いたんですねって、あなたなんかにいるとは思わなかったです、に聞こえない?」  そうだろうか? いや、まあ、確かにそう聞こえなくもない。焦って箸を置き、姿勢を正した僕の前で、柚乃さんは気だるげに前髪を弄ぶ。 「まあ、君がね、私のことを好きで、え、彼氏いたんだ、ショック、の意味で言った可能性もないわけじゃないとは思うけど、そうじゃないだろうしねえ」 「は……」  絶句する僕を柚乃さんはしげしげと見つめてから、はあっとため息をついた。 「そんなふうだからいてほしい人には逃げられて、私みたいなのには捕まっちゃうんだよ」 「別に柚乃さんに捕まったのは嫌じゃないですけど」  とっさに言い返すと、柚乃さんは目に見えてぎょっとした。 「君さ、わかってる? 影響出てなくたって、君から生気吸い取って私はここにいるの。百害あって一利なしだよ? そんな無防備でどうすんのよ」 「柚乃さんがそれを言うのもどうなんですか」  肩をすくめる僕に柚乃さんはまだなにか言いたそうだったが、そこで思い出したように時計を見た。 「そろそろ出ないと遅刻だよ」  言われて、あたふたと僕は食パンを口に押し込む。牛乳で流し込み、ティッシュで口許を拭き立ち上がる。 「いってきます。今日は遅くならないと思いますから」 「……いってらっしゃい」  困惑が滲んだ顔で柚乃さんは僕に手を振ってくれた。
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