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三
十数戸もないこの寒村は、数分足らずで踏破された。
彼女と訪れた当時から既に過疎化が進んでいた集落だったが、伝承を聞きまわった家のほとんどは、今や住民も絶えて放棄されているようだ。
彼女と寝起きを共にした民宿も、とうに更地になっている。
朽ちかけの廃屋と枯れた棚田の隙間を縫うようにして、俺な鬱蒼とした里山の坂道を突き進む。
荒れ放題の杉の山林は、下草が腰の高さにまで生い茂り、獣道さえ判別できない。
だが彼女と登った十数年前、この山道はまだ里人の踏み跡がくっきりと残っていた。
住民たちは定期的に奥山へ踏み入り、彼女が云うところの『お世話』を行っていたらしい。
しかし今となっては人間はおろか、猪も熊も通わず、鳥も啼かない山道をひたすら登り続ける。
当時、彼女とここで交わした言葉を思い出しながら。
午後の陽光さえ届かない山道を何時間登り続けただろうか。
突如として目の前が開け、懐かしい風景が立ち現れてきた。
滝だ。
高さは二メートルもないかも知れない。
人工とも天然ともつかない岩壁の上から流れ落ちる、一筋の清水。
白いしぶきを飛ばす落流は、岸壁の小さな滝壺へと静かに注がれている。
瀑布という表現とはあまりにかけ離れた、ささやかで静かな佇まいだ。
しかし水が流れ落ちる岸壁の上には、まだ真新しい注連縄が渡されていて、この場所は誰かがまだ『お世話』をしている神域だということを暗示している。
――あの山のあの場所――
彼女が最期に告げたのは、この滝で間違いない。
俺はポケットから小さな箱を取り出した。
棺にも似た白木の箱だ。昂りと怖気の混淆した奇妙な感覚をぞわぞわと覚えつつ、俺は箱を開いた。
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