箱 ――こけし――

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 四  白木の箱に納められていたのは、生成の綿にくるまれた小さなこけしだった。  親指ほどの大きさだろうか。  丸い頭と手足のない細い胴体だけの、小さな人形だ。  この古びたこけしに、俺は見覚えがあった。  フィールドワークの終わり際、彼女にせがまれて、この村で買ってあげたものに間違いない。  墨で塗られた艶やかな髪と、夢見がちな大きな目が彼女とよく似ていて、彼女の一目惚れだったようだ。  俺の脳裏に、里の古老から聞かされた村の歴史が蘇る。  里の寒村は、農繁期には米作を営み、農閑期には主に木製の民芸品を作って日々の糧を得ていた貧しい村だった。  いつの頃か、この地方一体がひどい凶作に見舞われて飢饉に苦しんだ時、新生児を『間引』いて潰滅の危機を逃れたそうだ。  それ以降、寒村では間引いた()の霊を慰める意味も込めて、閑農期のこけし作りに力を入れ始めたのだという。  併せて、古来『根の国』と繋がっているとの言い伝えがある奥山の滝を(あつ)く「お世話」するようになったのだとか。  そんな訳で、里村では仏壇にこけしを祀る家も少なくない、とのことだ。  そこで俺の意識は現実に引き戻された。  何かに衝き動かされ、俺の体が勝手に動く。  白木の箱からこけしを取り出した手が、そのまま小さな木の人形を滝壺の中へと投げ込んだ。  かすかな水音ともに、静謐に覆われた水面(みなも)がわずかに波打つ。  一度沈んだこけしの顔が、とぷん、と浮かび上がった。  その黒い目に俺の視線が囚われた刹那、こけしはとぷん、と沈み込み、二度と浮いては来なかった。    訳の分からない冷や汗に全身を舐め尽くされ、がくりとその場に膝から崩れた俺のポケットがぶるぶると振動した。  モバイルだ。  震える手で電波の届かないモバイルをタップすると、相手はさっきの産婦人科医院だった。  妻の流産は危ういところで回避され、陣痛が始まったという。  彼女の求めを果たした俺は、すぐに奥山の滝を離れた。
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