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イザベルは当時の梨々香にこう告げた。 「梨々香。エティは彼はド・ヴァロアの長男で、期待の星だわ。 その彼へ貴女は、妻として何ができるの あの一族の中に入る未来を、考えたことはある? きっと男児を求められるわ。社交界での完璧な振る舞いも。 シェフという立場のままでいられなくなる未来があっても、彼の妻になる努力はできるの?」 梨々香は何一つ即答できなかった。そんな自分が、許せなかった。 「あなたとの結婚について、どれほど自分が軽く考えていたか思い知らされた。自信を無くし、不安でたまらなかった私は……あなたから逃げ出し、日本へ帰った……」 それから5年後。突如、梨々香の父親が倒れた。 彼はレストランの閉店を決めた。 「気が付いたら、私が店を継ぐと、父を説得していたの」 梨々香は思い出したように料理にのめり込んだ。その味は評判を呼び、雑誌で取材を受ける程になった。それが5年前のことだ。 「僕が見つけた雑誌は、きっとその時のものだろうな……」 「偶然があるものね、本当」 静寂の中に、小鳥のさえずりが響く。向かい合った恋人たちは視線をそらしたまま、ただただ、そこにいた。 「……まだ、登山はしているの?」 尋ねたのはエティエンヌだった。梨々香は頷く。 「ええ。こういう土地だから、よく登るわ」 「なら。おすすめのルートを教えてくれるかい……?」 息を詰めて、梨々香はエティエンヌの顔を見つめた。 彼が言わんとすることを理解したのだ。 「……わかった。明日は店が休みなの。朝の8時に、ここにきてくれる?」 「ああ。わかった」 エティエンヌは頷き、立ち上がった。
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