第ニ話 家出は計画的に

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第ニ話 家出は計画的に

 「あー、やっと起きたァ。」  目の前の華やかで見慣れない、何処か、古臭さがあるような不思議な光景を懸命に頭で処理しようと必死になっている莉子の目の前で、  20代前半くらいだろうか、深緑色のボディコンと少し赤黒い、服に負けず劣らず主張の激しいリップを合わせた、どこが大人っぽくセクシーな雰囲気を漂わせた女性は、独り言のようにボソッと呟いた。  それに合わせるように、連れらしきもう一人の女性も莉子の顔を覗き込みながら  「ね、ね、なんでここにいんの?なんで寝てたの?家出とか?」  と、面白そうに莉子に話しかける。  こちらの女性は、大胆に胸の部分がスリットされたかなり露出の高いデザインのラメ入りのボディコンと、少しピンク味は強いが、こちらもやはり服装と同じくらい主張が強い赤いリップを、先程の女性と同じように合わせている。  先程の女性のような大人っぽい雰囲気はあまり感じられないものの、何処か子供と大人の中間に位置しているような不思議な可愛らしさがある。  「ホラホラ、ユウちゃんは人の事情に面白がって首突っ込むんじゃないのっ。」  そうユウちゃんと呼ばれた彼女を嗜める男性は、動きやすそうな柔らかい素材でできた、やはり仕立ての良さそうなスーツと、シルクが入ってるのであろう艶々とした生地のネクタイ、少しゴツゴツとした、高そうな腕時計をしている。  どっちかの彼氏なのかな…?  と莉子はぼんやりとそんなことを考えてみる。  「何よぉ、いーじゃん別に。もしかしたら話きーてほしーかもしんないじゃん。」  うるさいよコージは〜と、ちらっと男性の方を一瞥したユウちゃんと呼ばれた彼女は莉子の方へまた、顔を向け直すと  「ねー、今日暇?ウチらこのあと、遊び行くんだ。暇なら来なよ。楽しいヨォ。」  と遊び友達を見つけたと言わんばかりに莉子に話しかけてくる。  えっ、あ……、とどもる莉子の次の言葉を待たず、コージと呼ばれた男性が駄目だ駄目だ、と彼女の提案に首をふる。  「この子、絶対未成年だよ。まずいって。未成年ディスコに連れ込んだりしたら…。ポリに連れてかれんのヤだよ。俺。  ほら君、家どこ?親、心配してるよきっと。」  そっかー、ザンネーンと大袈裟に肩をすくめ、彼女も莉子の顔を覗き込むような姿勢を元に戻す。  じゃーねー、あんま遅くなんないうちに帰んなさいよぉ、と三人は莉子から離れていく。  どうしよう、莉子は途端に不安になった。  状況はよく分からないけど、こんな誰も知り合いがいない空間に、高校生の私が一人という状況が危ないということだけは分かる。  莉子は無意識に手がぷるぷると震えていたことに気が付くのと同時に、心細さを少しでも振りほどきたい一心から、無意識に莉子の足は先程の三人の姿を追い掛けていた。      「どーすんの、あーもー俺、今のコーコーセーが何考えてんのか全然分かんねーよ。」  「やっだ〜康二、オヤジ〜」  「何、ヤなことでもあんの。」  血相を抱えて自分たちの後を必死に追い掛けてきた莉子を前に、三人は好き勝手に話し始める。  莉子は莉子で必死になっていた。彼・彼女たちに怪しまれずに保護してもらうためにはどうしたらいいのかと、静かに頭を高速回転させる。   そもそも、見ず知らずの若者に着いていくこと自体に莉子は不安を覚えたが、今は少しでもこの、迷い込んでしまった未知の世界の中で頼れる人を作りたい。  嫌なことでもあるのかと訪ねてきた大人っぽい方の女性に莉子は懸命に使い慣れない敬語を使い、訴える。     「は、はい…その、親には友達んち行くって嘘ついたので…。で、でもその、頼りにしてた友達も今日は泊めるの無理って…。」  「ふーん、フツーそーゆーのは、寝泊まりをちゃんと用意してからするもんだよ。」  大人っぽい彼女は、少し厳しさの混じった声で莉子を嗜める。  「まーまー、追い詰められてるみたいだし…」  「透子、きびしー。」  莉子は、自身の計画性の無さを改めて他人に指摘されたことに恥ずかしさを覚えた。  「分かってるよ…そんなん。だからちょっと寝たらすぐ帰ろーと思ってたのに…。起きたら変なとこに居るし…。」  莉子は心細さから、気がつけばぽろぽろと涙を流しながら言い訳している自分が、恥ずかしかったし何より惨めだった。  「ちょっと〜、泣いちゃったじゃんか〜。」  そう茶化された透子と呼ばれた彼女は、急に焦り始めた。  「えっあ、な、何も泣くことないじゃん。  あーもー五月蝿いよっ裕美!………そんなに行くとこないなら……。うちに来なっ。」  えっと驚きながら顔を上げる莉子の目には、決まり悪そうに腕組しながら、照れてそっぽを向いてしまった透子さんと、そんな彼女を、さっすが透子、やルゥ〜と囃し立てる裕美さん、そしてそんな彼女たち二人を見つめ、やれやれと言わんばかりに少し微笑む康二さん、3人が救いの天使たちの様に写った。  「ホラ、上がって。狭いとかゆーなよ。分かってんだから。」  あの後、莉子はディスコにこっそり連れて行ってもらった。そこは昔、父親や母親の思い出話で聞いたような、五月蝿いくらい賑やかな場所で、とにかくみんな無我夢中で踊りやお喋りに興じていた。  賑やかな場所が元々得意な方ではない莉子は、気がつけば高速で回転するミラーボール、人々の熱気、耳が潰れそうな大音量の音楽に、目を回していた。ポリに見つかる前にとっとと帰るぞということになったものの、まだ遊び足りないと言う裕美さんと、それをなだめる康二さんは残ることになった。  透子さんはタクシーを捕まえ、目を回している莉子を乱暴に車内に押し込んだ。こうして莉子の人生初のディスコ体験は終了したのだった。  何が楽しいのさっ。あんなの…  まだガンガンする頭を撫でながら悪態づく心の中とは裏腹に、莉子は    お邪魔します…と小さく挨拶した。  無愛想に話しながらも、透子さんは莉子に温かい紅茶を出してくれた。  「ホラ、なんかこれ、心落ち着かせるとかそーゆー作用あるみたいだし。」  莉子は慌てて「ありがとう御座いますっ。」と紅茶を受け取る。  そこでふと、先程タクシーの車内で  「すみません、盛り下げるみたいなこと…せめてタクシー代は私が…」  と莉子が謝罪し、鞄から財布を探し始めた時、  「10代のお子様が何?そこまで気ィ使ってんの?いらないわよぉっ」  と、透子さんがケラケラと笑っていたことが莉子の脳裏に過ぎった。 ちょっと透子さんってツンデレ、入ってるよなぁ…。 そんなことを考えながら貰った紅茶に莉子は口をつける。  げっ、これカモミール……。あの、歯磨き粉みたいな味がする上に高そうな…。  莉子は少し前、一時期、中学に行きたくないと駄々をこねていた頃があった。そんな時、母親がよくこれを出してきたことを莉子は思い出す。 ふと、向こうのキッチンに置かれた青緑色のカンカンが目に飛び込んでくる。  あ、あのメーカー……。フォートナム……メイソンとかそーゆーの……。家で出されたのと同じのじゃん…。  お母さん、西洋かぶれなとこあるしなぁ…。なんか、あんとき私確か、やたらと無駄に高級なやつ買ってきて…買うお金あるなら貯金しろみたいなことゆって…。あの時お母さん、ちょっと寂しそうだったなぁ……。  と、莉子はその、薄黄色の如何にも『健康そうなお茶』をぼんやりと見つめてみる。  おかーさん、今何してんのかな…。   何となくそんなことを考えていると、高級そうな綺麗な匂いのするこの紅茶と、このこじんまりとしたアパートの組み合わせが莉子の目には不思議に写り始めた。  透子さん、実家がお金持ちなのかな?でもそれなら、なんで失礼だけどこんなアパートに?  そんな莉子の疑問を見透かしたように、  「それ、裕美がこの前イギリスに行ったからとか言って、持ってきたやつだから」  と透子さんは付け加える。  「へぇ、裕美さん、お金持ちなんですね。」    そうぼんやりしながら答える莉子を、透子さんはぱちくりと目を開き、少し驚いたような表情で眺めた。  「何いってんの?アンタ。そんくらいでお金持ちって……。今はみんなそんな感じじゃん。馬鹿の一つ覚えみたいにぽいぽい海外行っちゃってさぁ…。」  えっ、と驚く莉子の目に鋭く、机に置かれた卓上カレンダーの数字が飛び込んでくる。  『1988年カレンダー』  は?  そりゃ、薄々変だとは思ってたけどさ…。色々と。  だんだん莉子のぼんやりとした思考が晴れてゆく。  さっきまでぽかぽかしていた体も今は冷や汗が伝い、じわじわと莉子の体を冷やしてゆく。  じゃ、じゃあ、やっぱり…。  私、タイムスリップ……した…の……?
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