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第五話 リベンジ
「りーこーちゃんっ あっそびましょ〜。」
そんな聞き覚えのある声が透子さんの家のアパート扉から聞こえてきたのは、もう少しで18時になるという頃だった。
「あ、えっと…もしかして裕美…さん?」
そうドアスコープを確認しながら莉子は尋ねる。
「そぉでーす、ユーミちゃんでーす。」
ほらぁ、早く開けて〜という裕美さんの声に流されながらそっと莉子が扉を開けると、
「はーやれやれ、疲れた〜、あ、オジャマしまーす」
と裕美さんは昨日会った時と同じような、軽い調子でずかずかと透子さん不在の家へと入ってゆく。
「あ、まだ透子さん帰ってきてなくて…」
そう話す莉子を尻目に、
「知ってるよーん。おんなじ会社だかんねウチ達。」
と、返しながら裕美さんは沢山の大きなデパートの袋をドサッと乱暴に床に置いた。
「いやぁ~ヤッパシ、働いた後のお買い物はサイコー。あ、そーだ今日この後遊びに行くための莉子ちゃんの服も買ってきたよぉ。」
そう裕美さんはなんてことない様子で、デパートの袋をごそこそいわせながら、
「ね、ね、これかーいくない?莉子ちゃんせー高いからさぁ〜こーゆーの似合いそーと思って〜」
と言いながら莉子の前で、いかにも上質そうな生地でできている長袖のワンピースを合わせ始めた。
ワンピースにはイギリスの町並みや、ユニオンジャック、王冠やティーカップ等のコラージュがロイヤル調にまとめられ、プリントされている。
「え、貰えませんよっこんな高そーなのっ!」
そう言いながら莉子はそっと、ワンピースに付いてある値札を確認する。
なっなにこれ!?ゼロが…ろ、6個…!?
じゃじゃあ…とフリーズしそうになる頭で、莉子は考える。
10まん…えん……、わ、ワンピース一着で…、10万円もあったら…。我が家の食費何日、いや何ヶ月分…?
莉子がそう茫然自失としている中、裕美さんは呑気に話しかける。
「あー、ごめんごめん。ほんとはも~ちょい良いやつにしたかったんだけど、デザイン的にはそれが良いかな〜って。」
そう言いながら平然と、彼女は他の袋から次々と洋服を取り出してゆく。
「ね、ね、ほらぁ、このジュンコシマダの新作ワンピ、かーいくない?アタシきょーはこれ着てくんだ〜。」
そう話しながらニコニコする裕美さんに莉子は気がつけば凄い剣幕で、
「いいです!ゆ、裕美さんが働いて得たお金でこんなこと…!!み、惨めになりますよ!!」
と金切り声のような声を上げていた。
莉子のその声を聞いた裕美さんは、一瞬ぱちくりと目を丸くさせた。がしかし、すぐに
「やっだあー、いーんだってそんなのぉ〜、
な~に?惨めって。莉子ちゃんだってピンクハウスとか、セーラーズとかでたまーにちょっとお高めな、およーふく買っちゃったりするでしょぉ?」
と満面の笑みで答えた。
似たようなもんだってーと話す裕美さんの姿に莉子は体の力が抜けてゆくのを感じた。
だめだ…。透子さんと話してる時もたまにちょっと、ん?って思うこととかあったけど…
裕美さんとはもうそもそも、同じ国の、同じ日本に暮らしてる者同士だなんて思えない…。
そう、茫然としている莉子の様子などお構いなしに裕美さんは服だ化粧だと、殆ど着せ替え人形の様に莉子の身だしなみを楽しそうに、整え始める。
ショックのあまり、ぼうっとしながら裕美さんが細い化粧筆で、自身の化粧直しもし始めた様子を眺めていた莉子だったが、ふと先程の出会い頭の裕美さんの発言を思い出し、
「あのぉ…遊びに行くってどこに行くんですか?」
と裕美さんに訪ねてみた。
私もうあんまりディスコとかには、行きたくないんだけどなぁ…などと考えていた莉子の気持ちを見抜いたかのように、裕美さんは答える。
「だいじょーぶ、今日は前みたいなとこには行かないから。」
だいじょーぶと裕美さんは言っていたものの、一体どこに連れて行かれるんだろう、と不安になりながらも莉子は裕美さんと、まだ帰宅時間ピークで、混み合っている地下鉄に乗り込んだ。
「莉子ちゃん、洋楽好きなんでしょぉ?きのー、話してたって透子に教えてもらったんだ〜。」
そう裕美さんは車内で、莉子に話しかける。
「今から行くとこ、前に康二に教えてもらったとこなんだ。絶対莉子ちゃん、気にいると思うよぉっ。」
そう話しながら屈託のない笑みを浮かべる裕美さんに、莉子も
「そうなんですか、楽しみです。」
と、つい、つられて答えながら笑い返す。
裕美さん、お金の使い方とか、ちょっとがさつそうなとことかあるけど…
悪い人ではないんだろうな…
そんなことを考えているとき、ぞわっと莉子のお尻に嫌な感覚が走った。
えっ、まさか…
そう莉子が怯えそうになった瞬間、
「ちょっと、そこのオッサン!なーに女の子の体に触ってんだ!!」
と、先程の呑気な腑抜けた声とは180°真逆のドスのある声で、裕美さんが怒鳴った。
その声に、莉子の右斜に突っ立っていた30代なかば頃と思われる男性が、ビクッと肩を震わせた。
莉子や周りの人々も、びっくりしながら声の主の方へ視線を向ける。
裕美さんは、そんなことお構いなしに男性に向かって声を張り上げる。
「何いい年して女の子に欲情してんだ!キモッチ悪い!恥を知れ!恥を!!」
そう怒鳴り続ける裕美さんの声に、最初は怯えていた男性もムキになったのか応戦し始める。
「な、何いってんだお前…。
お前だってこんな夜中に、み、未成年なんて連れてるんじゃねーよ。女は黙って家に帰ってろ!」
その言葉に莉子もカチンときたのか、気が付けば相手に負けじと、大声を張り上げていた。
「な、なんで裕美さんが私を連れて歩いてることと、アンタが痴漢することを一緒にしてんのよっ。かんけーないじゃん!あ、あんたなんか…
あんたなんか、ただの性犯罪者じゃんっ!!」
その、莉子の『性犯罪者』という強烈な言葉に男性も周りの乗客もぎょっとした目で莉子を見つめた。
そんな中、裕美さんはニヤニヤとしながら意地悪そうに
「だってサ、どうなの?犯罪者さん?」
と言ったのだった。
「ごめんねぇ、怖かったでしょ。ほんとは警察に突きつけたかったんだけど…。あの野郎、逃げやがって…。」
そう声を掛けてくれた裕美さんに、莉子はなんてことないと言うように
「全然、裕美さんがいてくれて心強かったから…。」
と返す。しかしそう答えながらも、莉子は人生で初めて痴漢というものにあってしまったショックで、手が震えていた。
あの後、男性は莉子達の様子に根負けしたのか、はたまた周りの視線が気になり始めたのか、慌てて逃げるように、次の駅に付きドアが開くと同時に、電車を降りて行ってしまったのだった。
そりゃあ確かに…。お母さんからもよく、昔は今以上に、痴漢が多かったみたいなこと、聞かされてたけど…。
そう莉子は、苛立ちながら話していた、母の姿を思い出していた。
「何が腹立つって、もちろん痴漢そのものもそうなんだけど、何より周りの考え方!最低だったね。皆全然、犯罪だ、なんて思ってないんだもん。
むしろ、どうせ露出の高い服を着てたんでしょ?とか、それだけ色っぽいんだから…みたいに喜べみたいにいってくる同級生とかもいてさぁ…。信じらんないよね、今だったら。」
そう話しながらあんたはそういう意味では、比較的いい時代に生まれたね、と話していた母を思い出す。
そうだ、お母さんの普段の様子とか、『昔は景気もよくて…』みたいな話とか聞いてて、勝手に当時の人は得ばっかりしてるイメージだったけど…
莉子は先程の社内の中で、
「お前、なんかやつれてねぇ?」
「いやぁ~、最近仕事立て込んでてさぁ〜。明日と何だったら、明後日も土日だけど出社しろってさ。」
「まじかよっ、お前んとこ、平日もびっしりじゃねーか。」
「仕方ねーよ、男に生まれたからには、ちゃ~んと稼がなきゃいけんってもんだろっ。給料は十分貰えんだし。
早く嫁と子供を養えさせられるだけの金集めて、結婚してーしなっ。親、うるせーし。」
等と莉子が痴漢に合う前、話していたサラリーマンらしき男性の様子も思い出しながら、考えていた。
やっぱり、いつの時代もいいとこも悪いとこもあるもんか…
「お~、ユーミちゃん、いらっしゃい。」
そう定員らしき若い男性に話しかけられた裕美さんは、
「やっほー、ツヨシっ。えへへ~、今日は友達連れてきちゃった〜。現役コーコーセーだよっ。」
等といって、ツヨシと呼ばれた彼と軽く話しながらこそっと莉子に耳打ちした。
「ねっ、いーとこでしょ?康二が莉子ちゃんにはこういうことのほうが合うだろって…。」
連れて行かれた店は、確かに昨日のディスコと比べると静かで、あのディスコ特有の耳が潰れそうになるような大音量な音楽は流れておらず、代わりに、少し賑やかな位の音量で中央のステージでバンドが演奏していた。
これくらいの音で踊ったりするのはヘーキ?と裕美さんは莉子の顔を覗き込みながら聞いてくる。
「え、そ、そりゃあ音は平気ですけど…。踊りなんて…。」
そう答える莉子に、
「えー、踊ったことないのぉ?ちょー楽しいのにぃっ」
と裕美さんは言うと、莉子の腕を引っ張りながら中央のバンドが演奏するステージ付近の、人が集まり踊っている輪の方へと歩みを進めていった。
ちょうどその時、バンドの前の曲の演奏が終わり、次の曲が始まった。
その曲に、莉子は少し嬉しくなり思わず声を上げる。
「あ、これ…、ABBAの…。」
すると裕美さんはニヤッと笑いながら、
「今日、金曜じゃん?金曜の夜は必ずここの店、これかけんの。」
と返した。
ほらっ、踊ろっと裕美さんは莉子をステージに程近い場所まで莉子を引っ張り込むと、うきうきで踊り始めた。
それに習うように、莉子も周りと見様見真似で踊り始める。
「あははっ、いーぞぉ、莉子ちゃんっ。」
そう笑顔で話しかける裕美さんに、莉子も少し照れながらエヘヘっと笑い返す。
「そういや莉子ちゃん、何歳だったっけ?」
あっ、と莉子は自身の年齢を思い出し弾む声で答える。
「あと少しで17歳ですっ。」
「おっ、じゃあ今ここに莉子ちゃんくらいの子は居なさそうだし…。」
「私がダンシング・クイーンですっ!」
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