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第六話 憧れ
「いや~、踊った踊った。」
そう言いながら裕美さんはどかっと、ステージから少し離れたバースペースの、カウンターチェアへと腰掛けた。
莉子もそれに続き、座りなれない、高いカウンターチェアに腰掛ける。
「な~にが踊れないんだか、めっちゃノリノリだったじゃん。」
そう裕美さんは、ニヤニヤしながら莉子を見つめる。
莉子はあの後、ABBAに続き、ah-aの『Take On Me』、The Policeの『Every Breath You Take』、Cyndi Lauperの『Girls Just Want to Have Fun』等の知っている曲が次々と流れてくる事が嬉しくなってしまい、少し休もうと言う裕美さんを置いて、気が付けば2時間ぶっ続けで踊り続けていたのだ。
「この曲が終わったら休もうっ」と思っていた時に、大好きなDead or Aliveの『You Spin Me Round』が流れた時なんかは本当に嬉しかった。
そんな莉子の様子を見ていた裕美さんは、
「ほんとーに洋楽、大好きなんだねぇー」と苦笑いしながらも一緒に踊ってくれた。
「すみません、嬉しくて、つい…。」
と莉子は謝った。それでも、少しテンションが上がってしまった自分に恥ずかしくなりながらも、笑顔を隠しきれない。
そんな様子の莉子を見て裕美さんも嬉しそうに笑う。
「良かった〜、やっと笑ったぁ。
莉子ちゃん、初めてアタシたちに会った時、今にも死にそうな顔してたんだもん。」
心配したんだからねぇ〜と裕美さんは莉子の顔を眺めながら話しかける。
そういえば…。あの時はとにかく見慣れない、怖い場所に来ちゃったって思ってたけど…。
そう思いながらも莉子は今、こうして嫌なこともあったが、それでも何だかんだでこの時代の雰囲気に馴染みながら、この時代が自然と好きになってきている自分がいることに気が付いた。
今までずっと、この時代の音楽とかは好きだったけど、この時代を過ごしてきた人達のことはなんとなく苦手だったり、嫌いで…。
でも、ほんとは…。ちょっと羨ましかったのかな…。こういう時間を過ごせたこととかが……。
そう莉子が自問自答している中、裕美さんは莉子のワンピースを見て、
「汗かいちゃったから、帰ったらすぐにクリーニングだねっ。」
と呑気に話しかけてくる。
そう言われて莉子は改めて、裕美さんに買って貰った、少し汗の匂いがするワンピースを眺める。
柄、お洒落だよなぁ…。裕美さん、センスある……。
そんなことを考えながら、莉子も裕美さんに話しかける。
「そういえば、このワンピースもそうだし、昨日、透子さんが飲ませてくれた紅茶も、裕美さんのイギリス土産だって…
裕美さん、イギリス好きなんですか?」
そう尋ねる莉子に裕美さんは少し照れながら、
「うん、めっちゃ好き〜。お洒落だもん。お菓子とか街並みとか…。
だからアタシ、いずれはイギリスに住みたいんだぁ〜。あ、これ、透子達にも言ってないことだからナイショねっ。二人に言ったら、止められそーなんだもんっ。アタシ高校まで、英語のせーせきボロボロだったからさぁ〜。」
そう、少し恥ずかしそうに夢を語る裕美さんが莉子には可愛く写った。
「大丈夫ですよぉっ。英語なんて出来なくても最悪、ジェスチャーとかで何とかなりますってっ。分かんないけど…。」
そう冗談ぽく話す莉子に、裕美さんも
「分かんないかーいっ」
と、笑いながらとツッコむ。
「じゃあ何、莉子ちゃんは海外とか、行ったことないの?」
そう裕美さんに聞かれ、莉子は思い出してみる。
「あ、そういえばずっとちっちゃい、2歳位の時に両親に連れられてそれこそイギリスに行ったこと、あるって聞いたことありますね…。覚えてないけどっ。」
莉子の母は莉子が生まれる前はよく、体調が少しでも安定する度に、家族を引き連れて海外旅行に行っていた…
と、莉子は兄や姉から聞いていた。莉子が生まれてからは体調が安定することが減って、体力が落ちてしまったこともあってかその、莉子が2歳頃に行ったイギリス旅行が今のところ、母の最後に行った海外旅行になっているらしい。
「えー、覚えてないんだ…。もったいなーい。すごくいーとこだよ。ご飯抜きにしたら…。」
そう言いながら裕美さんはえへへっと笑った。
「今度、またイギリスに行きたいな〜って思ってんの。今度は莉子ちゃんも、一緒に行こーよ。」
そう誘ってくれた裕美さんに、いいですね~と莉子も呑気に返していたが、急に莉子の思考は現実に戻った。
「そうだ…。考えてみたら私、パスポート作れないんだ…。今、私、ここに存在しないことになってるから…。」
そう思った途端、莉子は何だか急に、また、この世界から自分が切り離されたような寂しさを感じた。
「あ、あれ?どーしたのぉ、莉子ちゃん。イギリス行くの嫌?」
また暗い表情に戻ってしまった莉子を、裕美さんは心配そうに眺めている。
慌てて莉子は、
「あ、ごめんなさい。なんでもないんです。その〜…。飛行機ちょっと怖いかな、とか考えてただけで…。」
と笑顔で答える。
「あー、前にもおっきい事故あったもんねぇ〜、じゃあ、もう少し我慢しょっか。」
と、裕美さんは莉子の様子に、少し安心したようだった。
「そういえばさ、莉子ちゃん、透子の家でお手伝いさんやってるんだって?大変そーだねぇ。透子にこき使われちゃって…。あの子、人使い荒いでしょー?」
そう裕美さんに尋ねられ、莉子は首を横に振る。
「いえ、全然っ。無料で家に泊めてもらってる身ですから…。これくらい当然…。」
そう答える莉子に裕美さんは感心しながら、
「すごーい、偉いねぇ。アタシなんてそーゆー家事とかなんて、全部オヤ任せだよぉっ。立派じゃーん。」
と褒めてくれる。
少し照れながら、莉子も答える。
「い、いえ。透子さん、家、綺麗にされてるので…。掃除とか洗濯、昼間には全部終わっちゃって…。その後はずっと家にある漫画読んでたりしてて…。」
それでも十分偉いよぉっと、裕美さんは頷きながら答える。
「何?なんの漫画?透子ん家にある漫画って、基本アタシがあげたのなんだよね〜。服置くスペースが無くなっちゃった時に…。」
そう質問してくる裕美さんに、莉子は少し恥ずかしそうに答える。
「あ、えっと…。岡崎京子の読んでました。」
「えー、もっとガキンチョ臭いの読みなよぉッ。あれけっこーエッチなんだからぁ。他にも『ホットロード』とか、一条ゆかりのやつとかもけっこーあったでしょぉ?」
そう笑いながら返す裕美さんに莉子もえへへっと笑いながら、
裕美さんって名前とかもそうだけど、雰囲気とかも『Pink』のユミちゃんに似てるよぁ…
等とぼんやり考えていた。
「あ、莉子ちゃんも連れてきたんだ。」
その後ろから聞こえた聞き覚えのある声に莉子は後ろを向いた。そこには、やあ、と優しそうな笑顔を浮かべて手を振る康二さんの姿があった。
今日は焦げ茶色のシックな、相変わらず仕立ての良さそうなスーツに、クリーム色の生地に、刺繍の入ったネクタイをしている。腕には昨日会った時に付けていたのとは、別の腕時計をしている。こちらもやはり立派で、高そうだ。
「あ、康二〜。今ねぇ、莉子ちゃんと休憩がてらお喋りしてたんだ〜。」
裕美さんが康二さんに話しかける。
「それでさぁ~、電車で気持ち悪い男に会っちゃったりとかしてさぁ〜。莉子ちゃんもアタシも傷心中なわけ。」
「だから奢れってことねっ。はいはい、分かりましたよ。」
そう裕美さんに言われた康二さんは、扱い慣れたように笑いながら、
「マスター、お会計は俺持ちってことらしいよ。」
と、バーにいる初老の男性に声をかけた。
「モテる男はつらいねぇ。」
とマスターと呼ばれた男性は、にこっと、優しそうな笑顔で笑いながら
「何にしますか?お嬢さん方。」
と尋ねてきた。
裕美さんは
「アタシ前に貰った…、あのガルフ…なんとかにする〜。色、きれーなんだもん。」
と答える。
「ガルフストリームですね。そちらのお嬢さんは?」
何にしよう…。
そう迷っている莉子にマスターが、
「本日のおすすめはコーヒーですよ。今ならティラミスを、おまけでお付けいたしますが。」
いかがなさいますか?と、助け舟を出してくれた。
莉子は慌ててそれに乗るように、
「は、ハイ!それにしますっ、あ、あと出来ればコーヒーにミルク付けてほしいですっ。」
と少し恥ずかしくなりながら、アセアセと答える。
マスターはにっこりと笑いながら優しく
「かしこまりました。」
と答えると、後ろを向いて作業を始めた。
フツー、バーでコーヒーとかティラミスが出てくるもんなのかな?
と莉子が疑問に思っていると、康二さんがそっと
「いいだろ?ここ。
ここはあくまでも音楽を提供するのがメインっていうマスターの方針で、バーとは言っても、結構色々置いてるんだぜ。」
と莉子に、軽く耳打ちした。
「何があったのかは分からないけど、変な男のせいで俺等、まともな男性達のイメージが損なわれたら困るからな。」
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