記念日をどうぞ

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記念日をどうぞ

今日こそ。 今日こそ言えると思う。 いや、言わねば。 僕は呟いた。 ──今日こそは。 * うふふ。 うふふふふ。 「凛音、なんか顔がにやついてるよ」 「え? そう?」 同僚の仁衣奈が眉をひそめて指摘してくる。 私は慌てて顔をひきしめた。 わかってる。 わかってるのよ。 でもどうしてもにやついてしまう。 ここ一年付き合ってきた恋人が、ついに。 ついに! プロポーズしてくれるかもしれない! それを思うとにやにやもとまらないってものだ。 マッチングアプリで知り合って一年。 ついにこの山場を迎えている。 この緩んでしまう頬を見て見ぬふりしてほしい。 「凛音、ちょっと気持ち悪いわあ……」 またまた仁衣奈が呟いた。 へへへ。 それはごめん。 でも許して、ね? * マッチングアプリなんて信用していなかった。 祥吾と巡り会うまでは。 だって、こわいじゃない? 知らない人と会うんだよ? 写真と違う人がくる可能性だってあるんだよ? そういうときに私、ちゃんとNOって言える? そんなことを考えすぎて登録なんてしてこなかったけれど。 この、横で澄ました顔で働いている仁衣奈がマッチングアプリでいい人を見つけてきて。 私の考えが180度かわった。 すぐさまマッチングアプリに登録をした。 すぐに何人もの相手が会いたいと言ってきた。 その中で私は祥吾を選んだ。 歳も近いし、住んでいるところも近い。 何より穏やかそうで大人しそうな外見が決め手だった。 もしかして全部嘘だったらどうしようかと思ったけれど。 初めて会ったときに、この人は嘘はないって信用してしまった。 「ねえ、祥吾って付き合うの私が初めてなの?」 「もうまたそんなこと聞いてきて。そうだよって言ってるでしょ?」 顔を真っ赤にして私に抗議してくる姿も愛おしい。 そんな祥吾とのある平日の電話中。 今日職場であったことなど他愛のない話をして、そろそろ遅いし……となったころ。 いつもより硬い調子で祥吾が言い出した。 「凛音、明日、時間作れる?」 「ん? もちろんいいよ。仕事早く終わるの?」 「定時で終わらせる。7時に、いつもの最寄り駅でいい?」 * 「仁衣奈、この服おかしくない?」 「さっきから何回目? おかしくないし、可愛いから大丈夫だってば」 だって。 7時には祥吾に会うんだよ? おかしかったら早退して服選びからしなくちゃいけない。 だって。 今日は実は出会って一年目の記念日。 祥吾とは敢えて平日に会うことはほとんどなくて、大体土曜や日曜に会っていたというのに。 今日に限って……だよ? 仕事もはかどるよね。 絶対に定時で帰ろうという気迫が周りに伝わったと思う。 最後の身だしなみチェックを仁衣奈から受けて、私は職場を出た。 まだ6時。 気合いが入りすぎて自分でも笑ってしまうけれど、待ち合わせの駅に隣接している百貨店に入って、ふらふらとウインドウショッピングなどして歩く。 きらびやかなショップのアイテムが目に入ってくるけれど、上滑りしてしまう。 だって。 もうすぐ、もしかして、だよ。 考えるとドキドキして胸がたかなるので考えないようにしておく。あるいは深呼吸してやりすごす。 そんなことをしていて6時45分。 そろそろいつもの場所に動こうかと、最後に少しだけウインドウ越しに髪をととのえて──。 目に、入ってしまった。 もしかして、まさか、という言葉が口をつく。 だって、目の前に。 祥吾が、いた。 女の人と、一緒に。 とてもとても仲の良さそうな雰囲気で。 * 「今日、どうして来てくれなかったの?」 「気分が悪くて」 「連絡くれたらよかったのに」 「ちょっとできないくらい気分が悪かったから」 夜、祥吾からかかってきた電話で私は嘘をついた。 いや、気分が悪かったのは本当だ。 ただ、原因はわかっている。 祥吾が女の人といたからで──。 「もう大丈夫なの?」 祥吾は優しい声で気遣ってくれるけれど、今日のことがあったから、信じられない。他の女性といた姿が目に焼き付いている。 「大丈夫じゃない」 私は暗い気持ちで答えた。 「病院に行ったの?」 「行ってない。家で寝てた」 「あ、じゃあ電話迷惑だった? ごめん」 「あのさ、……謝ることが違うんじゃないの?」 祥吾があんまり的外れな言葉を繰り返すから思わず声を荒げてしまった。 電話の向こうで、しんと静まった空気を感じる。 「ごめん」 「何が?」 「明日」 「だから何?」 「会って欲しい人がいる」 今度は私が言葉に詰まった。 それはどういうことだろう。 あの一緒にいた女性に会えってことだろうか。 「だれ?」 「明日わかるから」 祥吾は引いてくれなかった。 どうしても誰と会わせたいのか言ってくれなかった。 そして私も断り切れなかった。 だってやっぱり祥吾と離れたくなくて。 たとえあの女と会わせようとしているとしても、それはそれで開き直って会ってやろうと思ってしまった。 素敵な出会いの記念日になるはずだったのに。 最悪の出会い記念日となってしまった。 * 「ねえ、どこにいくの」 次の日。 待ち合わせ場所に現れた祥吾は1人だった。 もしかして周りにあの女性が待機しているかも、とあたりを見回したが誰もいなかった。 そして、昨日はごめん、という言葉を繰り返して祥吾は私の手をとった。どこに行くのか聞いても答えてくれなかった。 私は諦めてついていく。 祥吾の手のひらはとても熱い。 後ろから見ていると、祥吾の耳もうなじも赤かった。 ──新しい彼女と私を会わせるのに、緊張してるのかな。 つないだ手に力を込めると、祥吾も強く握り返してきた。 ──ばか。 別れようとしてるんならそんなまるで私のこと好きみたいな体温、いらないのに。 でも、別れるために連れて行かれてるってわかってるのに手を振り払えないなんて私もたいがいばかだ。 それでもちょっとでも最後に一秒でも長く一緒にいたいなんて、私はばかだ。 すん、と鼻をすすって祥吾について歩き続けた。 祥吾はちらりと私を見て、つないでいない方の手でハンカチをだしてくれた。 ──だからさ。 そういうの、もうやめてよ。 でも私からは言えない。 だって嬉しいんだもん。 一年前に初めてアプリに登録してすぐに意気投合してお付き合いしてきたと思っていたけれど。そんな気持ちは私の独りよがりだったかもしれないけれど。 昨日の出会いから一年目の記念日。 ものすごく楽しみにしていたんだもん。 ──記念日は終わっちゃったけど。 * ついたところは総合病院だった。 大きな病院。 祥吾は迷うことなく、夜間入り口から私の手を引きながら病院へ入った。 「あのさ、おじいちゃんがいるんだ。ここに入院してて」 「え」 「それで本当は昨日ここにきたかった」 「え?」 「最近、おじいちゃんが危ない状態で」 「ええ?」 「昨日が山だって言われて。まあ、昨日は大丈夫だったけど。もういつそうなってもおかしくないっていわれてるんだ」 それきり黙ってしまって、祥吾は私を見ないまま足早に病棟のエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの5階を押す。 どの階からも乗り込んでくる人はいなくって、ずっと2人だけ。 ──おじいちゃんが入院してるんだ。 でもそれと私が何の関係があるんだろう。 考えているとあっという間に5階に着いた。 「それで凛音にどうしても会わせたくて」 「誰と?」 「もちろん僕のおじいちゃんだよ」 「ちょっと待って?」 私は祥吾の手をぐいっと振り払った。 祥吾は目を大きく開いて私を見た。 強い口調で、少し責めるように聞こえてしまったかもしれない。 けれど私は声がでてしまった。 「私が祥吾のおじいちゃんに会うのっておかしくない?」 「どうして」 「だって別れるんでしょ?」 「誰が」 「私たち」 「どうして? 別れたいの?」 「だって昨日、見たもん」 「何を」 「祥吾が彼女といるとこ」 「は?」 最後はどこかイラッとした声で私の言葉を遮ると、祥吾はもう一度私の手を引いてエレベーターをおりた。おりてすぐにナースステーションがあり、そこを通り過ぎたところの病室前で立ち止まった。 名前はひとつだけ。1人部屋なんだろう。 引き戸を静かに引いて、祥吾は中をうかがう。 私もつられて息を潜めた。 手を引かれているときは気がつかなかったけれど、病院の独特のしんとした空気も、話し声がひそひそしていることも、なんともいえない消毒の匂いも。 私が今まで経験したことのない『家族の入院』を、祥吾は経験していたんだな、と実感した。 「祥吾?」 中から女性の声が聞こえた。 手を引かれるままに部屋へ入ると、そこには先客がいた。 パイプ椅子に座ってこちらを見ている。 その顔をみて思わず声がもれた。 「あ」 「え?」 だって先客のその人は、昨日、祥吾と歩いていた女性だったから。 なんだよう。 やっぱり私なんて連れてくるの、間違ってるんじゃん。 泣きたい気持ちになる。 病院で泣くなんて縁起が悪いから、どうしてもあふれてしまう涙を意地で止めて鼻をすすった。 「凛音ちゃんでしょ?」 「え?」 その女性は私の名前を呼んだ。 え? どうして私の名前? 「来てくれたの? ありがとう」 「え?」 『来てくれたの?』ってどういうこと? 私はまた頭の中がぐるぐるしてきた。 「だって祥吾と一緒に結婚の挨拶に来てくれたんでしょ?」 「はあ?」 思わず祥吾を見てしまう。 ばつが悪そうな顔をして私からの視線に目を合わせない。 ついつい聞いてしまう。 「私たち、結婚するの?」 「あのさ、おじいちゃんに紹介したくて」 「祥吾、言葉が足りなすぎる」 「姉さん、でも」 「お姉さんなの!?」 そのとき。 私の言葉はスルーされてしまった。 眠っている様子だった祥吾のおじいちゃんが、少し咳き込んだからだ。慌てたように『お姉さん』がベッドの横でパイプ椅子から立ちあがった。祥吾も私の手を離してベッド脇に立つ。 「おじいちゃん、目あけれる?」 「──祥吾か? 大丈夫、まだそれくらいできる」 すると、祥吾は私を見て『おいで』と手招きした。 よくわからないまま私は祥吾の横へ体を寄せた。 「ほら、今度結婚する凛音さん。昨日、絶対に連れてくるって言ったでしょ?」 「嘘かと思っていたけどな」 「きっついなあ、その冗談」 その言葉におじいちゃんはふふっと笑った。 げほん、と咳き込む。 それでも明るい調子で言葉を続けた。 「でもこんなお嬢さんが本当に祥吾を相手にしてくれているなんて嘘みたいだなあ。ありがたやありがたや」 げほん、げほん、げほ 「おじいちゃん、咳でてるからもういいわよ。寝てよ」 お姉さんがおじいちゃんの背をさすった。 「私、いいお嫁さんになるから大丈夫です」 おじいちゃんのそんな姿を見ていたら、つい。 なんだか何かをいわなくては、と。 つい、ついつい、私は口走ってしまった。 まだ何も確約されていないのに。 * 「昨日、私が凛音ちゃんに直接お願いにいこうと思っていたの。祥吾が結婚するってことでおじいちゃんを安心させてあげたくて」 「はあ」 「そしたらこないんだもん。祥吾、おねえちゃんはもう諦めてたわ。あんたが高いお金出したマッチングアプリ」 「勝手に話を進めようとするから」 「だってあんたに任せておいたら永遠に進まないと思って。結婚は勢いでカバーできる。経験でわかる」 「それで失敗でしょ? 姉さんがひ孫でもつくっておけばよかったのにさっさと離婚するから……」 2人がずっと話し続けてしまう気がして私は思わず言ってしまった。 「あの。あのですね、口を挟みますけどいいですか?」 「なに? 凛音ちゃん」 「結局のところ、私たちの記念日はどうなったんでしょう?」 「マッチングアプリで出会った日でしょ? 有効に決まってる」 「ではなくて。記念日のほら、盛り上がりというか、クライマックスというか、山場? というか」 「指輪とか? プロポーズとか? のこと?」 そのものズバリを当てられて、私は顔が赤くなるのを感じた。 「……まあ、そういうことです、けど」 お姉さんはそこで祥吾のほうに向き直る。 私が本人に直接聞けないことをお姉さんはさらりと口にした。 「どうなってるの? そこんとこは」 突然話を振られた祥吾が目を白黒させる。 そして、しどろもどろ、話し出した。 「……そういう段階が必要だとは思ったんだけど、おじいちゃんが危ないっていうからそこんとこすっとばして」 「すっとばさないでよ」 おじいちゃんの話にかこつけてそこんとこを流されそうになったけれど、だめだめ。そこはちゃんと約束して。言葉ではっきり言ってくれないといやだ。 病院で、とか。お姉さんの前で、とか。 恥ずかしいような気がするけれど、仕方ないし、これはこれで記念になる。ような気もする。前向きにとらえたら。 たっぷり5分くらいは粘って、ようやっと祥吾が口にした。 「あの、僕と、結婚をしてくれませんか」 私は「はい」と答える。大きな安堵のため息とともに。 * あの日が山場だと言われていたおじいちゃんが、元気になって結婚式に出席してくれた。 結果的に僕はちゃんと言えたわけで。 僕としては記念日に言えなかったけれど翌日に言えたから十分よかったのだけど。 これから毎年毎年、あの出会い記念日は結婚を継続できるかどうかの山場の日になりそうな予感がしてる。 ──絶対に忘れてはいけない日。 そういう日として。 了
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