リン 4

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 夫の葉尊の闇を今さらながら、感じた…  最初、結婚した当初は、感じたことのない、闇を感じた…  いや、  もしかしたら、コレは、私の思い過ごしというか…  当たり前のことかも、しれない…  なにしろ、この葉尊は、いいひと過ぎた…  善人過ぎたのだ…  この世の中、善人過ぎる人間は、いない…  神様ではないのだから、普通にズルいところがあるし、小さなウソもつく…  それが、普通の人間だからだ…  だから、善人過ぎた葉尊は、おかしい…  なぜなら、善人過ぎる人間は、この世に存在しないからだ…  だから、普通に考えれば、演じている…  善人を演じていると、考えるのが、普通だ…  そして、善人を演じれば、演じるほど、素(す)の姿とギャップがある…  素(す)の姿と、落差がある…  それゆえ、素(す)の姿を知ったとき、余計に、普段、善人を演じていると、思うのだ…  私は、夫の葉尊の言葉から、そんなことを、考えた…  考え続けた…  そして、そんなことを、考えていると、葉尊が、ポロっと、  「…しかし、この騒動…サウジアラビアの王室…あるいは、政府は、どう鎮めるのかな…」  と、漏らした…  私は、驚いて、夫を、見た…  夫の葉尊を見た…  見たのだ…  夫の葉尊は、実に、面白そうに、言っていた…  実に、楽しそうに、言っていた…  そこには、いつもと、別人の葉尊が、いた…  いつも善人を演じている葉尊とは、別人の葉尊が、いたのだ…  私は、あらためて、震撼したというと、大げさだが、正直、落胆した…  そこにいるのは、私の夫ではなかった…  いつも、善人の私の夫ではなかったからだ…  だから、震撼した…  震撼したのだ…  そして、もしかしたら、そんなふうに、私が、夫の葉尊を見る目に、気付いたのかも、しれない…  夫の葉尊が、慌てて、  「…サウジアラビアも大変だな…」  と、当たり前の意見を言った…  正直、無難な意見を言った…  そして、言いながら、チラッと、私を見た…  夫の葉尊が、私を見たのだ…  私を意識して、言ったのは、明らかだった…  私が、近くにいるから、わざと言ったのは。明らかだった…  私は、正直、幻滅したが、いつまでも、悩んでは、いなかった…  なぜなら、そのとき、ちょうど、家の電話が、鳴ったからだ…  家の固定電話が、鳴ったからだ…  正直、家の固定電話が、鳴るのは、珍しい…  大抵は、私も、葉尊もスマホ…  あるいは、ガラケーに着信があるからだ…  だから、家の固定電話が鳴ることは、滅多にない…  私と、葉尊は、慌てて、顔を見合わせた…  それから、急いで、私は電話に出た…  まさか、夫の葉尊に出されるわけには、いかないからだ…  今の時代、時代錯誤と、いうものもいるかも、しれないが、こういうときは、普通は、奥さんが、出るものだ…  大抵は、家の主人は、出ない…  なぜなら、妻よりも、主人の方が偉いからだ(笑)…  だから、出ない…  会社で言えば、上司と部下のようなもの…  上司と部下が、いる場所で、電話が、鳴れば、普通は、まずは、部下が出るものだからだ…  それと、同じだ…  とりわけ、正直、私は、家庭では、立場が弱い…  なぜなら、今、この夫の葉尊と住む、高級マンションも、元はと言えば、夫の葉尊の実父、葉敬のもの…  台湾の大実業家の葉敬が、日本に滞在したときに、住んでいたマンションだからだ…  それを、結婚した息子の葉尊に譲ったからだ…  だから、私は、お嫁さん…  正真正銘のお嫁さんだった…  いわば、着の身着のままで、この高級マンションにやって来て、同居しているに、過ぎないからだ…  だから、正直、立場が弱い…  しかしながら、自分でも、それを、認めるのは、嫌だから、つい、葉尊に対して、態度が、デカくなる…  なまじ、ホントは、立場が、弱いことが、自分でも、わかっているから、それを、葉尊に知られたくないから、強く、出る…  いわば、弱点を隠しているとも、言える…  言えるのだ(笑)…  そんな立場の私だから、慌てて、電話に出た…  家の固定電話に出た…  とりあえず、受話器を取って、  「…もしもし…」  と、告げた…  途端に、  「…お姉さんですか?…」  と、間髪入れずに、受話器の向こう側から、声が、聞こえてきた…  私は、  「…ハイ…」  と、機械的に答えた…  答えながら、どこかで、聞いたことのある声だと思った…  聞き覚えのある声だと、思った…  「…お久しぶりです…お姉さん…葉尊の父の葉敬です…」  と、受話器の向こう側から、声が、聞こえてきた…  私は、慌てた…  正直、自分でも、どうして、いいか、わからんほど、慌てた…  電話の主は、夫の葉尊の実父の葉敬…  私と葉尊の結婚を許してくれた、この矢田の大恩人の葉敬だったからだ…  とっさに、  「…、お、お義父さんですか?…」  と、叫んだ…  自分でも、仰天する声で、叫んだ…  それで、夫の葉尊も気付いた…  慌てて、私を見たからだ…  だから、夫の葉尊も気付いたと思った…  「…お久しぶりです…お姉さん…お元気ですか?…」  電話の向こう側から、丁寧な口調で、聞く…  私は、  「…元気さ…」  と、答えた…  力いっぱい答えた…  すると、  「…それは、よかった…」  と、言う声が聞こえてきた…  「…申し訳ありませんが、葉尊に代わってもらえませんか?…」  葉敬が、言う…  私は、  「…わかったさ…」  と、答えて、葉尊に代わった…  私の夫に代わった…  「…お義父さんからさ…」  と、言って、代わった…  受話器を葉尊に渡した…  「…もしもし、葉尊です…お父さん…」  という声がした…  電話の主が、夫の葉尊に代わったからだ…  すると、間髪入れずに、葉敬が、  「…来週、そっちに行くゾ…」  と、いう声が、聞こえた…  …エッ?…  …来週、来る?…  私は、その言葉を聞いて、戸惑った…  お義父さんが、来週やって来る!  これは、この矢田にとって、重大事…  この矢田にとって、人生の一大事だからだ…  何度も言うように、お義父さんは、恩人…  この平凡な矢田トモコと、葉尊の結婚を認めてくれた恩人だからだ…  正直、頭が上がらない…  日本の平凡な家庭に生まれた、この矢田と、台湾の大財閥の御曹司に生まれた、葉尊との結婚を許してくれた、恩人だったからだ…  そのお義父さんが、やって来る…  台湾から、日本にやって来る…  これは、歓待しなければ、ならない…  歓迎しなければ、ならない…  そう、思ったからだ…  そして、そう思っていると、お義父さんが、続けて、  「…リンも連れて行く…」  と、言った…  私は、思わず、耳を疑った…  まさか、このタイミングで、リンの名前が出るとは、思わなかったからだ…  だから、驚いた…  驚いたのだ…  文字通り、仰天するほど、驚いたのだ…  そして、それは、葉尊もいっしょだった…  「…リンですか?…あの台湾のチアガールの?…」  と、驚いた口調で、言ったからだ…  「…そうだ…」  電話の向こう側から、お義父さんが、言った…  「…でも、どうして?…」  葉尊が、聞く…  当たり前だった…  が、  それに対して、お義父さんが、明確な答えを出すことは、なかった…  「…それは、オマエには、関係のないことだ…」  と、ピシリと、言った…  有無を言わせぬ口調だった…  だから、葉尊は、なにも、言えなかった…  私の夫は、なにも、言えなかった…  ただ、悔しそうな表情を浮かべた…  頭に来ているのは、明らかだった…  が、  それを、口に出すことは、ない…  それゆえ、傍から見ると、余計に、夫の悔しさがわかった…  夫の葉尊の悔しさが、手に取るように、わかったのだ…  「…とにかく、来週、そっちに行く…日本に行く…用事は、それだけだ…詳しいことは、追って、秘書から、連絡する…」  と、言って、電話が、切れた…  一方的に、電話が切れた…  私は、それを、見て、唖然とした…  あまりにも、一方的な展開だったからだ…  いかに、父子とはいえ、あまりのも、一方的な物言いだった…  まさに、会社の上司が、部下に、言うような物言いだった…  別の言い方をすれば、普通の父子の関係では、なかった…  思わず、本当の父子なのかと、思った…  本当に、血が繋がった父子なのかと、思った…  だから、夫を凝視した…  マジマジと、見た…  すると、夫が、必死になって、自分の感情を押し殺そうとしていうのが、わかった…  自分の感情を殺そうとしているのが、わかった…  別の言い方を、すれば、それほど、頭に来ていると、いうことだ…  必死になって、自分を落ち着かせようと、しているのが、見て取れた…  そして、しばらくすると、何事もなかったように、あっけらかんと、すました顔で、私を見た…  この矢田を見た…  それから、  「…なにを見ているんですか? お姉さん?…」  と、私に問いかけてきた…  が、  私は、騙されんかった…  騙されんかったのだ…  「…オマエ…葉尊じゃないな…」  と、私は、言ってやった…  いわば、見抜いたのだ…  「…葉問か?…」  と、私は、言ってやった…  すると、目の前の葉尊、いや、葉問が、笑った…  実に、楽しそうに、笑ったのだ…                <続く>
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