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人生で一番古い記憶。
音も鮮明な映像も無く何も分からないけれど、ぼんやりとしたイメージだけずっと心にある。
微睡みのなか優しい声で囁かれ、ゆらゆらと揺すられる。
状況も何もかも分からないけれど、ひどく甘やかな時間だった。
自分の意思で瞼を持ち上げることも上手くできず相手に働きかける事も叶わず、ただ見つめて…恐らく…見つめられて満たされるだけの記憶。
幸せな時間。
それから後は自分の記憶の中にはいつもマコちゃんがいてくれて、惜しみなく注がれる愛情を全身で受け止めた。
マコちゃん。
俺の、愛しい人…。
「マコちゃんの所から大学に通うから」
「あら、そうなの?いいんじゃないかしら」
ソファーで読書をしていた弘美は息子の言葉に少しも驚くことなく賛同した。
「翼は本当に真くんが好きなのね。小さい頃からマコちゃんをお嫁さんにするって言ってたし」
生まれた瞬間に恋に落ちたと言っても過言では無い。
翼は十年以上真に愛の言葉を捧げている。
親兄弟、さらにはお隣さんまでもがその事実を知っている公然の仲(翼談)。
「静さんが引っ越したからマコちゃんも大変だと思う。ミチコさんに会いに来れないほど仕事も忙しそうだし」
夕飯の片付けを終えた翼は弘美の正面に座り、硬い表情をして指を組む。
真の仕事がある程度忙しいのは事実だが、それが理由で実家に寄り付かない訳じゃない。
真には真なりの理由はあった。
だが弘美はそんな理由など知るはずもない。
「そうよね、あなたが家事をしてあげたら真くんもきっと喜ぶんじゃないかしら」
「弘美さんにしごかれてきたからね。まかせてよ」
「私からミチコに言っておいてあげる」
「ありがと!弘美さん」
翼の顔が花が咲いたように綻んだ。
「さて、マコちゃんに電話しよ」
ソファから立ち上がるや翼はスキップしそうになる気分を抑えながらリビングを出ていった。
本当は小躍りしたい気分だが心だけ踊らせておく。
全てマコちゃんの為だけに積み上げてきた信頼や実績が実を結んだ。
ここまで来ればあと一押し。
だが焦りは禁物だ。
十八年越しでやっとスタートラインに立てた。
ここからが本当の勝負だなのだから。
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