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土砂降りの中、カッパを着た男が二人山道を登っていく。途中、獣道を分け入り前を歩いていた男が懐中電灯である場所を指し示す。後ろの男がおそるおそる照らされた場所を覗き込んだ。次の瞬間。
「うわぁぁ!」
響き渡る夫の絶叫。男のひとりは夫だった。みるみるうちに崖下の闇へと吸い込まれていく夫の姿。懐中電灯で道を照らしていた男が、崖に向かって夫を蹴り飛ばしたのだ。少し離れた場所で、その様子を私は傘をさしぼんやり眺めていた。男が息を切らし、こちらに駆け寄ってくる。
「さ、終わった。帰ろうか」
「ええ、ありがとう」
二人で近くに止めてあった車に乗り込んだ。
「ホントはね、命まで取るつもりはなかったのよ。でもね、あれを見ちゃったから……」
「ああ……〝あんな女早く死ねばいいのに。お前との子供の顔、早くみたいな〟ってやつ? それとも〝うまく托卵できそうなの。楽しみにしててね〟って返信の方? ま、死んで当然のクズだよ、気にすることないさ……母さん」
息子はそう言って私を慰める。夫と浮気相手とのやり取りを、息子はずいぶん前からパソコンで確認できるようにしていた。本当は今日、離婚話をするつもりで息子を宿に呼んでいたのだが急遽計画を変更。夫の殺害を実行した。
「離婚話だけのつもりだったんだけど、気が変わっちゃった。変わりやすいのは山の天気だけじゃないのねぇ」
夫の言葉を思い出しそう呟くと息子は暗い表情で首を横に振った。
「俺は最初っから親父を許す気なんてなかったよ。母さんが離婚で済ませるって言ってたから一応同意はしてたけど」
「そう、あなたも被害者ですものね。でもどうするの、佳奈さん……あなたの奥さんのことは」
息子は口元を歪ませて笑う。
「親父が行方不明になって動揺する姿をせいぜい堪能させてもらってから……後を追ってもらうかな。いろいろ考えてある。実はさ……」
そう言って息子は私に、きっと今まで散々考えたのであろう計略を話してくれた。
「なるほどね。でもまぁよく考えて。気が変わるかもしれないわよ?」
「まさか。自分の妻が親父とできてたって知った時から俺の気持ちは変わらないよ。生きてること自体が許せない。しかも托卵? 冗談じゃない。さ、行こう。宿には後から電話して、離婚話がこじれて暴力を振るわれたので逃げたとか何とか言っておけばいい。親父は妻を探して山に登り遭難ってことで。死体が見つかったらせいぜい悲しむフリしなきゃな」
そう言って嗤いながら、息子は車を発進させた。
了
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