姥捨て山

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『姥捨て山山』  N国の少子高齢化は、益々悪化の1斗を辿っている。  平均出生率は低下の一途を辿り、ついには一人当たりの出生数は0.7を記録した。  一方で延命治療の技術が進化した恩恵により、平均寿命は延び続けていた。とうとう男女ともに平均寿命が95歳を超過したことで、社会保険料と厚生年金は若年性大を圧迫した。  もはや両親を看取るために、過去なら一人分の子育てに回すことができた金額を上積まなければならない。  まして、老人ホームに預けるとなったら猶更だ。万年人手不足の介護業界が人材確保のために給与を上げ続けた結果、人件費の増額分がそのまま利用者の負担と代わった。  親を片方入所させるだけで、子供を小中一貫の私立小学校に入れるだけの金額が必要である。しかし、SNSにより格差に敏感となり、世間の悪意に晒される社会では教育の落ち度は子供の人生に直結する。  子どもを劣等感で苦しめたくない――そう考える謙虚な者ほど子供を授からず、子供の感情など気にしない粗暴な者だけが一夜の愉悦に任せて子供をこさえた。  こうして劣悪な家庭環境で生まれた子供達は両親の離婚、虐待によって亡くなるか、SNSを頼りに家出をしたまま『スラムキッズ』として浮浪者になるケースが殆どだった。いわゆる“半グレ”と称される実態が薄い反社会的勢力によって束ねられた彼らは都市部で犯罪に手を染めてゆき、治安の悪化を促進させるばかり。  そして子供を授かったり家庭を築く経済力を得られないまま“社会の底辺”と蔑まされながら素人童貞で死ぬか、“立ちんぼ”をやって望まぬ妊娠をして次世代の“スラムキッズ”を生むか、もしくは公衆便所に水子を産み落とすばかりだった。  経済と治安の格差が進む一方で、政府の支援は手薄かった。財政赤字の立て直しに本腰を入れる、国の借金完済に向けて国家の支出を抑える、というお題目の下で社会保障は縮小し続けるばかり。  今や年金は後期高齢者として現状設定されている85歳にならなければ支払われないし、その金額も減少している。  緊縮財政の一環で生活保護の規定も厳格化され、代わりに労働力の補充として国外からの移民への支援にスライドされた。  しかし移民だって専ら先進衰退国に支援金目当てでやって来るのは母国で職にあぶれた食い詰め者ばかり。前科者、アルコールや薬物の中毒者、容姿や能力に秀でない者……。  そんな者達は婚活市場で買われることもない。  結果として一時的な人口の補充にはなっても、家庭を持たない移民達では少子化の改善には至らなかった。  唯一、近隣の独裁政権国家の民だけが政府の命令の下で計画的に移住を行い、本国の国営結婚相談所に推奨された相手と家庭を築いて、民間による経済的な領土の実行支配を進めていた。  彼らは特定の市町村に密集してコミュニティを造り、法制度を利用し各種婚姻支援、子育て支援の枠組みによる助成金をせしめていた。だが彼らの経済活動によって獲得された資産は次々と本国へ送られてしまうため、N国を潤わすことはまるでなかった。自国民に流れていたかもしれない財源を吸い上げるばかりである。  結果として自国民はますます経済的に厳しい立場へと追いやられ、日々の消費行動は目減りし続け、国家の税収も減り続ける。  財政の健全化のために進めた政策で支出は減ったが、それ以上に収入が減ってしまった政府は、ますます財政赤字が促進。財務省は税収の確保が急務と主張し、各種税率の引き上げを主張した。  生産活動の保護として法人税は見逃されたが、消費税や所得税、相続税が引き上げらた。銀行口座やクレジットカード会社、各種電子マネーと紐づけられた国民背番号によって税務署の監視の目は一段と目ざとくなり、少しでも国の収入を増やすために一円の贈与税だって取りそびれるまいと嗅ぎまわってゆく。  嫌気がさした国民たちは我が身を守るために少しでも多く現金を貯めこもうと考え、消費は一段と冷え込んだ。かつて天下の回りものと呼ばれた金の動きは極度に鈍化し、不況の煽りを受けて様々な娯楽産業がつぶれていった。  かつては諸外国から“クール”と称えれたサブカルチャーも経済的に抹殺され、外貨の稼ぎ頭を失うにつれて経済状況は瀕死を迎えた。  それでも尚、現役世代によって生きながらえている後期高齢者達への憎悪は、もはや公然と吐き出される公論になっている。 ――お前たちに払う金さえなくなれば ――お前たちがサロンの様に通う医者に払う保険料がなくなれば ――お前たちが飲みもしない薬を処方するために払う金がなくなれば ――お前たちが働いて相続税に負けない資産を残してくれていれば ――お前たちが政治に目を光らせて良い政治家を選んでいれば ――お前たちが目先の貧乏に流されずに子供を産んでいれば ――お前たちが我が身可愛さから出産の重圧から逃げなければ  かつて中流階級と呼ばれた世帯は丸ごと貧困世帯へと転落し、経済的に恵まれた富裕層の子供はSNSによって拡散された情報の下で嫉妬の的として怨嗟をぶつけられている。  老人達に残された若年世代は、老人達が進めた少子化によって、今や一人残らず不幸だ。  そのため老人達は、当然のごとく若年世代から報いを受けることとなった。  ある年、政権与党に新たな総裁が誕生した。  彼はSNSや動画配信に長けた活動家で、上流階級出身ながら政治には縁がない叩き上げ。そんな彼に『刷新感』『爽やかな物腰』という漠然とした期待を込めて高齢者達も投票した。 「結局誰が政治をやったってなんとかなるんだよ」 「今までだって、結局この国は転覆しなかったじゃないか」  他人の金で生きている者は、自然と危機感が鈍るのだろう。今まで自分たちがしてきた投票行動を選んでしまったが。その習性が命取りとも知らずに。 「――自己責任、これを原則として政府の財政に断固として改革を推し進める所存であります」  国会で叫んだ彼の言葉が国勢を変えた。 「支援は必要な個所へ集中すべきです。具体的に名言すれば、これからの国を背負う若年世代にこそーー」  彼が宣言した政策は、高齢者世代の失敗を他山の石として賢くなった若年世代が投票した理由に、応える内容だった。 「ついては国民年金を廃止させて頂きます。現役世代には全額払い戻しを実行します。そして後期高齢者を超過した年齢の者は医療保険の対象外とさせていただく――」  後期高齢者に該当する年齢を控えている老人達は、呆気に取られているばかり、(既に後期高齢者を迎えた大半は認知機能の老化でそもそも理解していない) 「高齢の方がそれだけ、長年の経済活動によって貯蓄なされているでしょうから、問題ないでしょう。そして深刻な社会問題と化している不要不急な高齢者の来院による保険料の放蕩を避けるため、すべての医療行為へAIによる判定を行い、必要と判断されなかった通院へは控除を認めないものとーー」  老人を票田とする政治家ならあり得ない行動だが、いい加減な投票する高齢者など、そして先行きが長くない賞味期限が早く切れる票田など簡単に出し抜けるという算段だった。 「ただし、今現在も尊い労働者として就労されている方は、この限りではありません。日々の労働の対価として万全な医療を受ける権利があります。一方で格差是正のために、AIによって今後の生活に十分な貯蓄を有している富裕層の高齢者の方々を対象に厳正な累進課税制度に基づく所得税の徴収を――」  老人達は「二度と、あの党には投票しない」と血相を変えていたが、時すでに遅し。 現役世代の絶大な支持と、彼に乗っかれば現役世代を丸ごと支持層に出来ると踏んだ党員達は彼を担いだ。  聡い大企業達も彼による急進的な改革を受け入れ化ければ会社は守れないと判断し、アクセクと内部留保を献金として垂れ流した。 「もちろん、これまで我が国を支えてくれた先達の皆様を苦しめることなどあってはなりません。万が一、終末医療を受けられなくなった方々は、国が責任をもって保護いたします」  この文言と共に、政府がセーフティーネットと称する後期高齢者専用の公営住宅が誕生した。  老いた血縁者を金喰い虫とばかりに嫌っていた現役世代は、厄介払いとばかりに本人の意思も十分に確認しないまま『シルバーケアハウス』と称される公営住宅への入居手続きを進めた。  過疎化が進み地代が下がりきっている地方の山間部に建設された住宅街は『シルバーケア』とは名ばかりの環境だった。  あくまでも公営団地の一種である同住宅には入居者へ保護観察等の責務が一切なく、管理スタッフとして在籍している者は技能実習生として従事している日本語も覚束ない外国人労働者か、シルバー人材センターから送り込まれた入居者と変わらぬ年齢の者達、もしくは日銭を求めるスラムキッズ達だった。  当然、そんな環境下で健康な生活など遅れるはずもない。入居者は悍ましい勢いで死去していくが、そこで暮らしている者は家族から疎まれた者達だ。  狭い部屋にまるで美しい思い出かのように若かった頃の写真や、まだ幼かった我が子を撮影した動画を流して思い出に浸っていても、それは単なる独りよがり。 『これからの時代は競争に勝たないと――』等と手前勝手な理屈を振り回す親に、過保護な教育を押し付けられて高学歴難民になった子供や、『そんなSNSばっかりやってたらバカになるよ――』と時代錯誤な誤解を妄信した親から、過干渉を押し付けられて童貞や処女になった子供達は、入居者を『毒親』『はずれ親ガチャ』としか思っていない。  人生の枷となっていた老人達を手放した者達は、いかに自分たちの生活が楽になったか、精神面や経済面で救われたかを、喜びに任せてインターネット上に投稿、拡散した。  各家庭の歓びの声を参考に、当該公営住宅の利用を申請する者は続出した。  ――姥捨て山  かつての御伽噺になぞらえて、地方の山間部に隠然と聳え立つ住宅街は老人達を次々と喰らっていった。  姥捨て山は肥え太っていくのにつれて、国民負担率が劇的に軽減された若年世代の経済活動は目まぐるしく改善された。政府も彼らの世代からなら借金を取りはぐれることはないと、積極的な財政出動を行った。  当然ながら新政権の序盤こそ財政赤字は膨らんだが、激増した消費活動と所得から爆発的に復調した税収入によって税制状況も改善の兆しを見た。  スラムキッズと呼ばれる貧困層すらも姥捨て山の賃金に加え、『ガチ姥捨て山のリアルな実態に迫る!!』等の名目で行われる、老人達を冊得した見世物小屋的な配信活動で小遣いを稼ぎながら貯蓄を築いていった。    少子化の恐怖を知っている彼らは、積極的に子どもを授かろうとした。  縁もゆかりも無い老人を晒すことに抵抗のないスラムキッズ達も、配信動画の広告料でシッターを雇いながら産んだ子を育ててゆく。  受験戦争の不毛さを経験した彼らは子供一人当たりに大金をかけることもなかったため、一人当たりの平均出生は脅威の『2.01』を記録した。  子供達を愉しませようという想いが現役世代に通底していた背景もあり、各種娯楽産業も帰ってきたため、再び国家は外貨獲得の武器を携えることができた。  急激に増えた労働人口は政府が組合と連携して進めた農業改革によって、農民となるケースが大半である。農林水産関係に多額の裏金が動く金権政治と批判する向きもあったが、現実で起きている経済成長の恩恵は批判を軽々と吹き飛ばしてしまう。  本来、農林水産業にこそ適している恵まれた自然環境下で推し進められたN国の第一次産業の強化は進み、今や食料自給率は七割を超えて食品は輸出業まで伸びている。  N国は、見違える様に生まれ変わってゆく。  本来の持ち味であった第一次産業と、かつて世界を席巻した娯楽文化産業に支えられた潤沢な経済。成長を支えるのは前世代の失敗を繰り返すまいという想いを共にした現役世代達の連帯感は堅い。  自らの行いで大切な共同体たる国を衰退させ、後進達を苦しめた老人達だけが怨嗟の声を上げているが、嗄れた怨霊達の声を聴けるのは姥捨て山の中でだけ。  そして姥捨て山の中でいくら唸りを上げようとも日本語を解さない外国人労働者が物音として聞き流すか、スラムキッズが見世物小屋の演目に加えるばかりである――  *** 「――いかがでしたかな。当社が開発したAIによって導き出されたシミュレーションは」  プレゼンテーション会場は静まり返っていた。 「現在の少子高齢化を進めていると、このようなことになります。あなた方、そして我々高齢者達は、国の繁栄の犠牲となるのです」  スクリーンに映写されていたAI生成の未来シミュレーション映像の上映が終わり、ブラインドが開けられて麗らかな陽光が室内に差し込んでゆく。 「人類とは愚かなものです。かつて、国の未来のためにと我々の祖先は無謀な戦争に従軍させられ、犠牲となりました。しかしこのままでは、我々も同じように犠牲を強いられてしまうのですよ」  会場に集まった有力な政治家や企業人達に、悲しい顔で当該AIを取り扱う情報機関の所長は語りかける。  齢70を迎える彼が実用化を進めた人工知能によって予測される未来の的中率は人智を超えていた。これまでにも幾度となく国家の趨勢を占っては的中を続けており、獲得した信頼は絶大だ。 「ですから、貴方のお子さんも、このような危険思想を持つ可能性が高いのです。彼らを放置しては、SNSの利用に長けた過激なポピュリストによって扇動された若年世代が、我々を逆恨みして、非人道的な行為に手を染める可能性が極めて高いのです。現に、このシミュレーション映像を一種のディストピアを描いたショートムービーとして匿名で動画サイトに投稿したところ、10代や20代、ひいては30や40代のアカウントによって好意的に評価されてしまったという結果も出ています」  集まった高齢者達から、失笑と苦笑が漏れている。 「最近の若い者は――」は古代から老人の常套句とされているが、今回ばかりは本物であろう。このような非人道的な行いを好意的にとらえる若年世代など―― 「よって、これから我々は彼ら若者、ひいては現役世代全般の行動を抑制せねばなりません。50代や60代ですら介護疲れなどという親不孝な言葉を好んで使う傾向があります。彼らの暴走を抑えるためにも、政治の保守化を推し進め、高齢者の保護システムを充実させ、人道的な医療保険と若年世代に対する税制の整備を――」  こうして会合は進んでゆく。  若年世代の非人道的な行いから高齢者達を保護すべき法案が、次々と国家の議会へと提出されてゆく。  将来的に、高齢者を苦しめる改革派の若年総理、中でもAIが総裁になると予想した青年には、強制猥褻罪を適当にでっち上げて、検察との連携で社会的に抹殺してしまった。    グレゴリオ暦2080年を迎えるN国の命運は、2000年代生まれの高齢者の掌によって握られている。 『もしも“姥捨て山”が生まれなかったら、どんな未来になるか?』 『当該情報機関の所長が提起する政策を進めた結果は如何なる未来か?』  斯様な疑問に対してAIが生成した未来の方は、かつて“Z世代”と呼ばれた二十一世紀生まれの皺だらけな掌に握り潰されたまま。  
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