首生(くびなま)

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 賛歌が不老不死であることは、町では周知の事実らしい。  おかげで、彼氏になった僕も、この狭い山の中の街で一躍有名になってしまった。  放課後、賛歌と一緒に、町に三つしかないという喫茶店の一つに入ると、店員さんやほかのお客から「あら、賛歌ちゃん」「首生様、デート?」と声をかけられる。  僕はアイスティを選び、賛歌はなににするか訊いたところ、マスク姿のまま答えてきた。 「私、なにかを食べたり飲んだりしないの。栄養の摂取が必要ないから」 「……新陳代謝とかはどうなってるんだ?」 「しない。脈もないし、呼吸もない。体温もなかったでしょう? 真夏でも暑くないし、汗もかかない。ついでに痛覚がないから、けがをしても平気。ほうっておけば少々の傷は自然に治っていくし、治らないくらいひどいけがなら、別の体に首を移せばそれでよし。痛くなくても、手足がなかったりすると不便だしね」  僕は小声で訊いた。 「血流も呼吸もない、……それでどうやったら殺せるんだ? 原型がなくなるまですりつぶすとか?」  成功して殺せても、僕が病みそうだけど。 「もっと簡単よ。首と体を切り離せば、しばらく経つと、首生は死ぬ」 「不老不死じゃないじゃないか」 「老衰じゃ死なないってことよ。町の人は、なかなか首生『様』の首を切ったりできないから、転校生ってちょうどいいのよね」 「責任重大だなあ。首を切り離せば死ぬっていうのは、ある意味普通の人間と変わらないかもだけど」 「そうね。私は不老不死の人間っていうより、マネキン人形の体を首から上が動かしているっていう感じかな。一度、近所のお姉さんが交通事故で死んじゃった時、その小指をナイフで切り取ってもらってきたのね」 「もらうなよ、人の指を。なんのために?」 「どうしても実験がしたくて。私の小指を切り取って、代わりに人の指をくっつけてみたのよ」  あまり初デートには向かない話題を広げてしまったな、と思いながら、運ばれてきたアイスティをストローで吸う。 「……で、どうなった?」  賛歌は、得意げな声音で答えてきた。 「これがね、切り離した前の指も、新しくくっつけた指も腐らなかったのよ。私凄くない? 接ぎ木みたいでしょう」  そして、左手の小指を見せつけてくる。確かに、第二関節のあたりから、不自然に少し太くなっていた。 「賛歌って、その気になれば医療にかなりの貢献ができるんじゃないか」 「嫌よ。実験動物になるだけだもの。この町の人たちはそれが分かってるから、黙っててくれてる。白野くんも、人に言ったらだめだよ」  確かに、彼氏としては自重しなくてはならない。 「分かった」 「よろしい。じゃ、ご褒美あげる」 「なにを?」 「美しい私の顔」  賛歌の指が、マスクの紐をつまんだ。  それだけで、僕の胸は動悸が激しくなる。  マスクが取れ、顔が見えた。  眼だけでもとてもきれいだけど、顔のすべてが見えると、やはり圧倒的だった。  涙まで込み上げてくる。  僕はずっと、その顔を見つめていた。  窓から差し込む夕日の中で、彼女の顔は、宝石のように輝いていた。 ■  転校してきてから、二週間が過ぎた。  僕と賛歌は、二日に一度は一緒に帰り、喫茶店で談笑した。 もっとも、賛歌は相変わらずマスクの向こうで、無表情のまま押し殺した笑い声を漏らすだけだったけれど。  僕は、賛歌を自分の家に誘った。  共働きの両親が、二人して東京に出張することになった日だ。  賛歌は少し迷ったようだったけど、土曜日の午後、うちに来てくれた。  なぜかいつも通りの制服とネックウォーマー、マスクもして、白いトートバッグを提げている。 「白野くん、言っておくけど、私は今日、白野くんと肉体接触的な意味において関係を進めるつもりできているわけではないから、そのつもりで」  靴を脱ぐ前に、玄関に立ったまま、賛歌は早口で言った。 「……善処します」  この町での僕の家は、賃貸の一軒家で、二階に僕の部屋がある。 賛歌にはベッドに座ってもらい(ソファなんてないから)、僕も賛歌の隣に座った。 「白野くん、近くない?」 「これ以上遠いとしゃべりにくいよ」 「……私、自分が、男の子とこんなふうに仲良くなるなんて思ったことなかった。首生だから。告白してくる男の子はいたけど、怖いもの見たさって感じだったし」 「僕も、不老不死の彼女ができるとは思わなかった」  僕は、賛歌の肩を抱いた。か細い体が、びくりと震えるのが分かる。 「白野くん、善処は」 「ずっとしてきた。でももう、我慢の限界だ」 「私、だめだよ。そういうことはできない」 「そういうことって? 教えてほしいな」 「お、教えるって、なにを」 「君と、円城寺リツの関係について」  賛歌は、あくまで無表情だった。  しかしその目は、驚きで、大きく見開いているように思えた。 「な、……んで、白野くんが……リツのこと」 「半年前に、僕が東京で住んでいた地区から、この町に疎開したのがリツだ。僕の幼馴染で、凄く傷つきやすい子でね。別の町に引っ越しなんて大丈夫なのかと心配していたけど、その後連絡が取れなくなった」  賛歌の体は固まっている。 「あの遺書は君のじゃない。リツのものだ。恐らくは書き上げた後、教室で人に見つかりそうにでもなって、隠すために机の裏に貼ったんだろう。あのクラスでは、一つだけ席が空いていた。あそこは、リツの席だったんだろうな」 「なんで、遺書がリツのだって分かるの……?」 「僕は雑貨屋巡りが趣味でね、きれいなマスキングテープを集めたりしてたんだ。リツが引っ越すとき、彼女が気に入ったっていうガーベラ模様のテープをプレゼントした。あの遺書を貼りつけるのに使われたものだ。それをなぜ、君が持ってる? この町じゃ売ってないと言ったのは、君だ。……リツを、どうした?」  なぜって、とマスクを揺らすこともない、小さな声が聞こえた。 「なぜって、あれは……リツの、形見だから……」 「形見……」  そう。彼女は、もう。 「リツは……死んだんだな。だって……」  僕は、賛歌のマスクを外した。  黒いネックウォーマーも、首の後ろの留め金を外して、取る。  現れた首の真ん中には、横に真一文字に、赤黒い線が入っていた。  首と体の境目だ。 「ここに、リツの首があるんだから……」  僕にとっては、この世で最も美しい、初恋の人の顔。  最初に屋上で見た時は、リツ本人かと思った。  でも体つきが違った。冬服の上からでも分かった。半年前まで、同じ地区で、すぐ傍で暮らしていた彼女を僕が見間違えるわけがない。  絶対に同じ顔。でも、絶対に違う体。思わず「君は誰ですか」と訊いた。 その答えが、首生。 「腐らないのか……本当に」 「腐らない。もう三ヶ月近く経つけど。私の体につながっている限り」 「どこで、リツは……?」 「学校の屋上から、飛び降りて。……白野くんと私が、初めて会った場所」 「町の人は、それを?」 「みんな知ってる。リツが死んだことも、これがリツの首だってことも」  あのクラスメイトたちも、喫茶店の人たちも、賛歌が死者の首を載せていると知って、あんなに当たり前に接していたのか。なにが町一番の美人だ。  自分が異邦人であることが、まざまざと思い知らされる。考え方も、感じ方も、なにもかも違う。でも、悪人がいるわけじゃない。そういう生き方をしている、そういう土地というだけだ。 「リツの両親は?」 「さっさと都市部に戻っていった。火葬の時、娘の頭蓋骨が足りないことも気にしないような親だよ。飛び降りだから、そんなものなんだろうって」  腹の中が熱くなった。持って行き場のない熱で。 「……さっきの質問に戻る。聞きたい答えとは違ったから。なんで君が、リツの形見にあのテープを持っている?」 「最後に会った時、……リツが飛び降りたのは金曜日の早朝だったけど、その前の日にくれたの。大切なものだから、もらってほしいって言われて。その時、どういう意味なのか、私がちゃんと訊いておけば……」  大切なもの。リツの声で、その言葉が頭の中にこだまする。 「……リツは、白野くんのこと、特別大事に思っていたんだと思うよ」  限界だった。  涙が、遮るものを失って、重力に引かれるままにこぼれ落ちていく。  両親がいない日でよかった。  口から洩れる声は、嗚咽では済まず、叫び声になった。  賛歌はなにも言わず、ずっと隣にいてくれた。 「ごめん、泣いたりして」 「ううん。私も、リツが死んだ時そうだったから」  飛び降りたリツの潰れた頭を、賛歌は周囲の人間の手を借りて、首から切り離してもらったらしい。  それから自宅で自分の首を切り取り、代わりにリツの頭を載せた。賛歌の体とつながったリツの頭は、三日ほど経つと完全に元通りになったという。 「なんで賛歌は、リツの頭を自分につなげたんだ?」 「友達だったから……って、これも答えにならないかな。リツはここに来てから、ううん、小さいころから親に冷たく当たられて、学校でもつらいことばかりで、ずっと死にたかったんだって」 「あの親がリツに冷たいのは、近所でも有名だったからな……」 「で、私は不老不死なんて嬉しくなくて、普通に死にたいなって思ってたの。首生には珍しいことじゃなくて、先代もそんな感じだったみたい。リツとはそれで気が合って、死にたい仲間になったのね」 「なんて後ろ向きな仲間……」  賛歌が苦笑して言う。 「リツはせっかく死ねたわけだけど、……私はもう少しだけ、リツと一緒にいたかった。だから、首を載せたの」 「……なら、賛歌の、切り取った自分の首はどこにあるんだ?」  賛歌は、いたずらっぽい声で答えてきた。リツの顔が無表情なので、かなり違和感があるけれど。 「さあて、どこでしょう」 「……前から思ってたんだけど、そのリツの首ってもう動かないんだよな」  マスクをしていると目立たなかったけれど、賛歌がしゃべっていても、リツの口は動いていない。瞬きもしないし、表情筋は完全に停止している。  賛歌の口は、どこか別の場所にある。  それに首生は、体から離れると、死ぬ。ならば。  僕は、賛歌の制服をブラウスごと下からめくり、彼女の腹を露出させた。 「ここしかないだろう」 「きゃあ」  賛歌の腹は、大きくくり抜かれて、空洞になっていた。何本か柱が入って、補強はしてあったけれど。  その空洞に、赤黒い肉に囲まれて、女子中学生の生首があった。  痛みを感じず、内臓も必要ないとはいえ、かなり思い切った「工事」だ。  ここまでしても、賛歌は、リツと「もう少しだけ一緒に」いたかったのか。 また泣きそうになってきた。  少しくせのある、とび色のセミロングヘアの賛歌の生首は、照れたように言ってきた。 「初めまして」 「初めまして、賛歌」  ちゃんと賛歌の唇が動いている。 「ブラウスも制服も少し加工がしてあって、内側から透けて前が見えるようになってるんだ。……どうかな、私の首」  僕は正直に答えた。 「かわいいよ。僕にとって、リツほどではないというだけで」 ■
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