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「……どうして、登ってきたんだ」
彼は立ち上がり、遥かに広がる平野を見下ろした。いくつかの集落。子供が数人、こんな時間にもかかわらず球蹴りをしている。彼らと男が同じくらいの年齢であるらしいことに、彼は今更気がついた。
「そうだね。――羽ばたくため、って言ったら、笑うかな」
彼は無表情のまま、小さく首を横に振る。
「何故か、ここにきたんだ」
訥々と、語る。
先ほどまでの殊勝さは、彼の周りからそれとなく、姿を消していた。
「別に、死にたかったとか、そんな理由じゃないよ。――ただ、悔しかったんだ」
彼の目を見る。
コウモリの目と、男の目は、同じ赤色の光に濡れている。
「ここで死ねたら、本当、楽なのにって思うよ。踊りつかれちゃった。ひとのひいた、俎板のうえで」
心が読めても、対処はできないんだから、笑っちゃうよね。口元をゆがめ、服を捲る。――痛々しい、無数の痣。
「でも、よおく考えてみて。――ここで飛び降りたら、きっとすっごい痛いんだ。そして、話すことも、きっと、永遠にできなくなっちゃう。お気に入りの毛布に包まって、温かくしてぐっすり眠ることも」
豆粒大の子供たちが、何かに気付いた風に顔を上げた。目が合う。すぐにその興味は、別のところに移ったようだった。彼らの視線がほんの少し、横にずれる。忍び笑いの声が、風に乗って上まできこえてくる。
「ねえ」
男は不意に、彼の胴に細い腕をまわした。焼けこげだらけの、蒼白い腕だった。
「僕の、……羽になってくれはしないかな」
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