世界が色づく小さな勇気

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裕太(ゆうた)が波打ち際から少し手前で、砂の山を作っている。浩美(ひろみ)は、それを無表情に見守っている。裕太が振り返ると、一瞬遅れて、浩美は微笑む。裕太が浩美の方を見たから、裕太の顔に向かって、母として微笑むのだ。 賑やかな若者の集団が浩美の後ろを通り過ぎる。高校生だろうか、大学生だろうか。それとも若々しい社会人なのだろうか。浩美の目には判断がつかない。30代になってから、いよいよ若い人達の年齢がパッと見て推測できなくなった、と思う。 裕太が浩美の方に近寄ってくる。浩美は笑顔を作る。 「ママ、こっち来て見て」 「はーい、また、お山?」 「うん、でも今度はこの前より大きいし、トンネルもあるよ」 「えー、すごいねー」 少し離れて見ている時は、トンネルを掘っているなんて気づきもしなかった。裕太に連れられて海の方から砂の山を見ると、確かに山にはトンネルらしき穴が空いていた。でも、大きく作り過ぎた山の裏側にはトンネルは繋がっておらず、これでは向こう側に通り抜けることはできない。 夫の裕介(ゆうすけ)は、トンネルの開通工事の途中に、死んだ。裕太が生まれてくる4ヶ月前、浩美のお腹はもう傍目にも妊娠が明らかな大きさになっていた。山の滑落だった。裕介は工期に追われた現場監督が強行した工事に携わっていた。 あれ以来、山には足が向かない。裕太を自然の中に連れ出す時に決まって海に向かうのは、浩美の中で拭えない恐怖心からだった。幼い裕太も、どうしてお母さんはいつも海に行きたがるのだろう、と不思議がっているのではないか。 海に来るたびに裕太が少しでも高い山を作ることには何の意味もないかもしれない。でも、もしかしたら「山に行きたい」というメッセージなのではないかという考えもよぎるのだった。その度に喉元まで出かかった「今度はお山に行こうか」の一言が、胸より上には持ち上げられない。 帰りの列車で、裕太は疲れ切った様子で、頭を浩美に預けて眠っている。列車は空いていて、前の座席には誰も座っていない。これでいいのだろうか。浩美はいつも考えていた。何か、自分の考えを根本的に変えなくちゃいけないのではないか。その思いを抱えながら、裕太が3歳になるまで具体的な行動に移せずにいた。
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