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彼女の名前は霊山寺映山紅。植物のツツジを映山紅と書くのは当て字ではなく、そういう表記もあるそうだ。
「普通の漢字にすればよかったのにね」
と僕が言ったら、
「書けないからやだよ」
と彼女に即座に否定された。調べたらツツジの通常の漢字は躑躅。なるほど全然普通ではなかった。
名字の霊山寺もインパクトがあるが、先祖がお寺の住職だったのだろう。それは名字が大中寺の僕も同じ。僕は自分の名字があまり好きではないが、彼女はそれは気にならないそうだ。ただ、名字にも名前にも〈じ〉の発音があるのは許せないと言い張る。
僕と彼女は高二で同じクラスになった。それまで接点はなかったけど、彼女のことは噂話で聞いたことがあった。
「一年の霊山寺って実はメンヘラなんだってよ」
「メンヘラ? あんなに美人なのに?」
「顔と頭は関係ないということさ。リクのやつが告ったら、霊山寺がどうしたと思う?」
「さあ?」
「いきなり手首を切ったってよ」
「それはやべえ。まあ、つきあう前に地雷だって分かってよかったじゃねえか」
「いや、リクはあきらめてないぜ」
「どういうこと?」
「メンヘラ女はすぐにヤラしてくれるからな。彼女じゃなくセフレにするつもりらしい」
「リクは普通の女だって狙って落とせなかったやつはいなかったくらいの女たらしだから、メンヘラ女じゃ秒速で経験済みにされてるだろうな。ただ相手がメンヘラ女じゃ別れるとき絶対修羅場になるはずだから、やめといた方がいいのにな」
「セフレにしたら、おれたちにも回してくれるってさ」
「おおっ、それは楽しみ!」
「やめといた方がいいんじゃなかったのかよ」
爆笑する男子二人。もちろん、〈おれたち〉の中に僕は入っていない。知らない二年男子二人の会話を校内でたまたま耳にしただけだ。それが高一の夏休み直前の頃。
話に出てきたリクという人も含めて接点のない先輩たちだったから、彼女の貞操がその後無事だったかどうか知らずに僕は今年二年生になった。
二年生になると同じクラスに彼女がいた。彼女は確かに美人だった。髪は背中まで届くサラサラのロングヘアー。そして今まで見たことないほど整った顔つきをしていた。メイクで化かされたような作られた美顔ではなく、神様が気まぐれに創造したと思わせるような自然な印象を受けた。また、授業で先生に指名されたときくらいしか聞けることがなかったが、声も美しかった。
クラスメートで僕の数少ない友達であるリョータが密かに彼女を女神と呼んでいるが、そう呼びたくなる気持ちは分かる。でも実はすぐに手首を切るメンヘラ。地味で平凡で目立たない、ないない尽くしの僕なんかが手懐けられるような相手ではないと知っているから、僕は彼女に興味なかった。
彼女を狙っていた男子はリョータばかりではなかった。ただ彼女は誰とも関わりを持たず、一切笑わなかった。いつもぽつんと自分の席に座っている彼女を見て、やっぱりリクとかいう悪い先輩の餌食になってしまったのだろうと信じた。
僕と彼女の席は教室の一番後ろの隣同士。でも一言も言葉を交わさないまま五月になった。ある晴れた日の昼休み、リョータが面倒な提案をしてきた。
「今日の放課後、女神に告ろうと思うんだ」
「いよいよか。友達として全力で応援するよ」
メンヘラだけどいいの? とか、そういう余計なことは言わない。恋愛して頭の中がお花畑になっている相手に水を差すようなことを言ったって聞く耳を持たないだろうし、話したこともない女子のことで数少ない友だちとの関係が悪くなるのも馬鹿らしい。
「持つべきものはやっぱり友だちだな。さっそく一つ頼まれてほしい。放課後に会ってほしいやつがいるって女神に伝えてくれないか?」
応援するとは言ったが、協力すると言った覚えはない。
「僕が? どうして?」
「夏梅は女神の隣の席じゃんか」
席が隣というだけで、一度も口を利いたことはないのだけれど……
「やだよ」
「どうしても嫌か」
「どうしても嫌だ」
「伝えてくれるだけでいいのに、どうしてそんなに嫌なんだ?」
「どうしてって……」
さすがにリクの仲間たちにまでセフレとして分け与えられたということはないだろうけど、リクという男が狙った女子は必ずものにしてきたというほどの女たらしなら、彼女の貞操が無事であったとは到底思えない。誰かのセフレにされたかもしれない女子と話すなんて童貞の僕には刺激が強すぎる。席が隣なのに今まで僕が彼女と会話したことがなかったのは彼女に避けられていたからでなく、実は僕の方が彼女を避けていたからというのが正しい事情だ。
「もういい。夏梅の気持ちはよく分かった」
「僕の何が分かったの?」
「おまえも女神が好きなんだろ? 女神をおれに取られたくないから協力したくないんだろ?」
とんだ濡れ衣だ。僕は童貞だけど、メンヘラの女子を好きになるほどこじらせてはいない。
「僕は霊山寺さんのことはなんとも思ってないよ」
「それなら協力しろよ! おれたち友だちじゃねえのかよ!」
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