退職代行いたします

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 大卒で新入社員として今の会社に採用され、五年が経った。  憧れの企業だった。  内定をもらったときは涙が止まらなかったし、大学の友人からも「そんな大企業から内定がもらえるなんて深月はすごいね」と褒めてもらえた。  田舎に住む両親ですら名前を知っている、大きな企業なので、将来は安泰だね、なんて言われたものだ。  でもそれは、深月がこの仕事を辞めることなく続けられるならば、という前提の上に成り立っている。  木ノ瀬深月、二十七歳、独身。  憧れていたはずの企業も、いざ入社して一年も揉まれれば、自分には無理だったと悟ることくらいはできる。  毎日毎日毎日毎日、遅くまで残業残業残業残業残業残業残業残業。そして続く休日出勤。気が狂うのも時間の問題だった。  年収はそりゃあ高いよ。他の人が眠っている時間もずっと働いているのだから。  有給休暇消化率もいいだろう。土曜日も日曜日も有給休暇の日も関係なく仕事の電話がかかってくるのだから、全日出勤扱いでもいいくらいだ。  仕事ができる人に全てを押し付ける「実力主義」。  ひっそりとハラスメント行為を告発しても、加害者にしっかりと伝わって逆恨みされる「風通しのいい社風」。  どんなに仕事ができなくても社長の親戚だからという理由で役職についている男がいるのは、ある意味「アットホームな職場」なのかもしれない。  そんなに血縁を大事にするならば、いっそ親類縁者以外採用しなければいいのだ。そうすれば無能な上司の尻拭いも、血縁者がやることになる。介護みたいなものだろう。  ぐらぐらと揺れる頭で、何度目を閉じようとしてみても、考えてしまうのは会社のことばかりだった。  深夜一時、眠ってしまえば月曜日になってしまう。  仕事に行きたくない。苦しい。また一週間が始まると思うと、苦しくてたまらない。動悸が激しくて、息苦しさも覚える。眩暈も止まらず、目を閉じていても世界がぐにゃりと歪んでいた。  カチカチと真っ暗な部屋に響く、時を刻む音を聞きながら、深月は真剣に自殺を考えていた。  会社に行きたくない。会社に行くくらいなら死にたい。でも死ぬのは怖い。  隕石でも落ちてくれたらいいのに。もしくは誰かのタバコの火の不始末で火事になるとか。局所的な地震であの会社だけが崩れ落ちる。  無理だ、そんなの。疲れ切っている深月にも分かる。そんなことは起こり得ない、と。  もっと現実的な方法、と深月はぼんやり考える。  それは仕事を休むことだ。とても単純な解決策。電話で休むことを伝え、病院に行けばいい。  身体の不調にメンタルの不調。どちらも症状が出ているのだから、診断書をもらって正当な理由で休職できるかもしれない。  しかし休むことはできなかった。休めない。休むと怒られるから。休むと電話がかかってくるから。誰が代わりをやると思っているんだと怒鳴られるから。  遅刻や急な休みの連絡をする相手は、直属の上司だ。それはつまり、血統書付きのくせに尻丸出しで、何もできないどころかこちらの仕事を増やしてばかりの、尻拭い待ち上司のことだ。  仕事ができないことは、悪ではないと深月は思っている。誰にだって得意不得意はある。管理職なのだからある程度できてほしいとは思うけれど、人間なのだからミスをすることもある。  しかし深月の上司は、自分は仕事ができると思い込んでいた。部下の深月にフォローをされていることにも気づかず、全て自分の手柄だと思っている。さらに厄介なことに、自分は仕事ができると思い込んでいるから、周りへの当たりが強い。些細なミスをほれ来たものかと言わんばかりに当て擦り、最終的には人格否定までしてくる。 「木ノ瀬はさぁ、顔はかわいいのに愛想がないからダメなんだよ。だから取引先にも可愛がられないし、こうやってクレームがくる。分かる?」  さっぱり分からない。  顧客がつけてきたクレームは、手前勝手なものだ。仕事の話でもないのに個人的な食事の席に誘ってきて、さりげなくお尻を触られて、やんわりと断ったら、烈火の如く怒り出した。目の前で課長にクレームの電話を入れる顧客を見ながら、深月が思ったことは一つ。もう疲れた。それだけだった。 「…………仕事と関係ないのに、食事を断ったらダメなんですか」 「ダメだろう、そりゃあ。そもそも関係ないだなんてどうして決めつけるんだ。そこで食事に行って、うまく次の仕事を取り付けてくるのが上手い営業の仕事だろう。それをたかが食事ごときでクレーム案件になるなんて、お前くらいだよ」  上司は知っているはずだ、顧客のしつこいセクハラを。何度も深月は報告しているのだから。食事に行って仕事が取れなかったら? 次はホテルにでも行けばいいのだろうか。  じゃあお前が汚いおっさんとホテルに行って一晩過ごして仕事を取ってこいよ。そう言えたならどれだけよかっただろう。  いつも深月は泣くのを堪え、すみませんと謝ることしかできないのだ。  思い出せば思い出すほどに死にたい気持ちが強くなっていく。  だって、命を絶って死んでしまえば、仕事にいかなくて済む。この地獄のような苦しみから、抜け出すことができる。  暗闇の中ぼんやり目を開けて、深月は起き上がった。  ふと思い立ったのだ。深月が死にたいのは、仕事に行きたくないから。仕事に行きたくないのは、理不尽な上司と気が狂いそうなほどの激務のせい。それならば、わざわざ深月が死ななくても、仕事をやめてしまえばいいのだ。  退職についてスマートフォンで調べてみるが、即日退社は難しそうだった。辞める際にはなるべく早めに直属の上司に伝えなければならない。最低でも一ヶ月前、と書かれたサイトを見て深月は絶望した。  あの話の通じない上司に退職の話をするだけでも恐ろしいのに、その後まだ最低一ヶ月は働かなければいけないというのだ。  引き継ぎや人員補充の面を考えれば当然のことだが、深月はもう限界だった。今すぐ辞めたいのだ。会社にある私物は全て処分してもらって構わないから、できれば二度と会社に行きたくない。誰とも、特に上司とは顔を合わせたくない。  上司のいやらしい笑顔を思い出すだけでも過呼吸を起こしてしまいそうだった。苦しみに満ちた恐怖の顔だとか、絶望の淵に立たされて途方に暮れているとか、そういう表情ならば見てやってもいい。そんな風に考えてしまう深月は、きっと考えが歪んでしまっているのだろう。  正常な判断ができなくなっている、そんな自覚はぼんやりとある気がした。  退職について調べているときに、『それ』は深月の視界に飛び込んできた。  インターネット上の検索関連ワードに対する広告。  退職代行サービス「クビキル」。どんな理由であろうと即日退社。パワハラやセクハラなどで苦しむ方への応援サービスも充実。退職後一切関わらずに済むよう、責任を持って縁を切らせていただきます! まずは無料相談から。  リストラのことを首をきる、と言うので、それを皮肉った会社名なのだろう。退職代行サービス「クビキル」は生々しい生首のイラストの隣に、退職請負業について記していた。  クビキルでは必ず首をきります。つまり離職率百%! また退職後のトラブルについても全面保障。労働基準法違反や、ハラスメント行為は全て告発し、退職金含め取れるお金はしっかり取ります。その上で、退職後トラブルが発生しないよう、最善を尽くします。  そしてクビキルでは、利用者様が退職後、上司や同僚に逆恨みされることのないよう、必ず縁切りをおこなっております。  二度と利用者様に関わらないという契約書にサインと捺印をしてもらいます。縁切り証明書は即日お届けしますので、ご安心ください! 万が一もないよう最善を尽くしますが、利用者様が不要なトラブルに巻き込まれないようにするため、縁切り証明書は紛失せず保管してください。  これだ、と深月は思った。  あまり働いていない頭で、とにかく応募フォームに必要事項を入力していく。日曜日の深夜に申請しても、すぐには受理されないだろう。それでも縋るような気持ちで文字を打ち込んでいく。名前に住所、勤め先、勤め先住所、所属部署、退職を報告する上司の名前と役職。支払いはクレジットカード、退職希望日、最短。最後に注意事項を読み、同意した上でクビキルサービスを依頼しますか、という文章をほとんど読みもせずにチェックを入れる。申請ボタンをタップすると、すぐにメールが届いた。  受付完了しました、というメールの文面をぼんやり眺めながら、深月はついにやってしまった、と放心する。本来ならば退職というのは自分の口から上司に伝えなければならない。それが社会人としてのマナーだ。  昨今退職代行サービスが流行っていて、何も言わず突然辞めていく人がいるらしいよ、と聞いたときは、深月だってそんな非常識な人がいるのか、と思ったのに。  でもどうしても。上司に会いたくなかった。電話ですら声も聞きたくない。クビキルのサイトに書いてあったように、縁を切れるのならば切って欲しい。藁にも縋るような気持ちだったのだ。 「これ、いつ退職になるのかな……」  暗い部屋で、一人呟く。日曜日の夜中、むしろ日を跨いで月曜日になっているので、明日から仕事に行かなくて大丈夫です! というわけにもいかないだろう。結局明日出勤しなくてはいけないのだとしたら、地獄であることには変わりない。  火曜日には退職できるといいな。もしも勤務中に上司に連絡がいったら、怒鳴られることは間違いないので、明日は休んでしまおうか。でもそのためには上司に電話をしなければならない。ぐるぐると答えの出ない闇に迷い込み、結局四時過ぎまで深月は眠れなかった。  いつのまにかうとうとしていたらしい。カーテンの隙間から朝日が差し込んできて、目が痛かった。目の奥も頭もずきずきと悲鳴をあげている。ほとんど眠れていないのだから当然だろう。  時計を確認する。行きたくないと心は叫んでいるのに、ちゃんと出社に間に合う時間に目が覚めるのは不思議な話だ。出勤するならば起きてすぐにでも準備を始めなければならない。  休んでしまおうか、でも休むには上司に電話をしなければいけない。どうせ退職代行を依頼したのだから、もう関係ないと割り切って無断欠勤? いや流石にそれはまずい。上司からの罵声も今日限り、と我慢して電話をするのが一番いい。休ませてもらえるかどうかは、また別の話だが。  深月の心臓はバクバクと大きく音を立てて鼓動していた。休む旨を連絡するには、少し時間が早すぎるだろうか。否、早くても遅くても文句は言われるに違いない。どうせ何時に連絡をしても、貴重な時間をこんなくだらない電話に使わせやがって、と怒るのだ。  それならば嫌なことは先に済ませてしまおう。用件だけ先に告げて、怒鳴られ始めたらスマートフォンを耳から離す。おさまってきたら聞いているふりをして、話を再開する。  もしくは休む旨を伝え、一方的に電話を切ってしまう。その後折り返しがくるだろうが、スマートフォンの電源を切ってしまえばいい。どうせ辞めるのだし、休むという連絡はしているのだから無断欠勤にはならない。そうだ、これでいこう。  深月はうるさい心音を聞きながら、アドレス帳から上司の名前をタップする。名前を見るだけで吐き気がする。頭もどんどん痛くなってくる。嫌だ嫌だ嫌だ。発信の文字をタップしてからの数秒間はやけに長く感じた。コール音よりも心音の方がうるさい。待っているだけで気が狂いそうだった。  ぷつっという音に、深月は飛び跳ねた。それから繋がった先が上司ではなく、留守番電話サービスだと気づき、早口で用件を喋る。 「おはようございます、木ノ瀬です。朝早くからすみません。昨日の夜中から頭痛と吐き気とめまいがひどくて起き上がれないので本日はお休みさせてください。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんがよろしくお願いします」  言い切ってすぐに電話を切り、スマートフォンの電源も落とした。  やった、やった、やった…………!  絶対に怒鳴られると思っていたのに、留守電に繋がるなんてラッキーだ。神様は深月を見捨ててはいなかった。スマートフォンも電源を切ってしまえばただのガラクタ。上司からの連絡に怯えることなく、今は寝てしまおう。何せ深月は休みたい旨を連絡し、留守番電話にメッセージを残したのだから!  夕方になっても退職代行サービスのクビキルから連絡がなければ、こちらから電話してみよう。一秒でも早く退職させてくださいとお願いするのだ。  安心感と達成感からか、強い眠気が深月を襲った。ふわりふわりと頭が揺れ、ベッドに倒れ込む。深月はそのまま久しぶりに深い眠りについたのだった。  ピンポンという音で目が覚めた。深月はどうして自分が目を覚ましたのかよく分からなかったが、再び同じ音が鳴り、そういえばさっきもこの音がした気がする、と思ったのだ。  時計を見ると四時だった。いくら疲れていたとはいえ、昼過ぎどころか夕方近くまで寝入っていたことには驚いてしまう。深月は慌てて起き上がり、玄関の覗き窓から来訪者を確認する。上司ではなかった。もしかしたら怒り狂った上司が立っているかもしれない、と頭をよぎったので、ほっと息をつく。 「どちら様ですか」 「あ、お世話になりますー。わたくしクビキルの者ですー。昨日ご依頼いただいた件について、ご報告と書類をお持ちしました」  まさか直接やってくるとは思っていなかったので、深月は驚いてしまう。しかも、こんなにすぐに動いてくれるとは。もしかしていい報告なのかもしれない。  寝起きで髪は少し跳ねているし、部屋着のままだが気にせずドアを開ける。爽やかな笑顔の男性が、大きめな箱を持って立っていた。 「どうぞ、玄関狭くて申し訳ないんですけど」  男性を招き入れるのは抵抗があったが、外で退職代行サービス云々の話をされる方が嫌だった。あそこの家に住んでいる女性、いい歳して退職代行サービスなんて使ったらしいわよ、なんて噂をされたら堪らない。  男は玄関に足を踏み入れ、ドアが閉まってから話し始めた。常識、というよりは配慮の類だろうか。少なくとも深月の直属の上司より、人の心が分かりそうだ。 「いえいえ大丈夫ですよ! この度は弊社サービスをご利用いただきましてありがとうございます! ご依頼いただいた件について、手続きが完了しましたので書類をお持ちしました!」 「完了…………? えっ、もうですか!? じゃあ、私、もう…………!」 「はい、木ノ瀬様、本日より有給休暇の消化となりますので明日からは出社されなくて大丈夫ですよ」  男の言葉に、深月の目から涙がこぼれ落ちた。優しい笑顔で男は言葉を続ける。 「こちらは退職関連書類となります。お名前や印鑑を頂戴する書類もありますので、ご確認いただいて、書類が揃いましたらこちらの赤い封筒で弊社までお送りください。その後の手続きに関しましても、弊社が企業とやり取り致しますので、木ノ瀬様は安心してお待ちください」 「あっ、あのっ、…………サイトに書いてあった…………縁切り証明書っていうのも、いただけるんでしょうか……?」  他にもたくさん退職代行サービスがある中で、クビキルを選んだのは縁切り証明書という言葉が魅力的だったからだ。  法的には効力があるか分からない。それでも、縁切り証明書にサインをして捺印もあれば、仮に上司が逆恨みして接触してきたとしてもお守りがわりにはなるだろう。  男はもちろんでございます! と答え、一枚の書類を深月に手渡す。縁切り証明書と書かれたそれには、確かに上司の名前と捺印があった。今までさんざん見てきたその字は、間違いなく上司のものだ。性根は腐っているくせに、やけに字だけが綺麗なのも腹が立つ。習字でも習っていたのか、いつも通り整った字だな、と眺めて、深月はふと気づく。文字がほんの少しだけ、歪んでいる。否、違う。まるで震えた手で署名したような…………。 「木ノ瀬様! 実はまだ同業他社に比べまして弊社は歴史が浅く、木ノ瀬様がなんと記念すべき百人目のお客様なのです!」 「え、えっと……おめでとうございます?」 「ありがとうございます!」  果たしてこの返しで合っているのかは分からないが、男はにこにこと嬉しそうに笑う。そして、ずっと手に持っていた箱をずいと深月に差し出した。 「重たいのでお気をつけください」  受け取った箱は確かに重たかった。そしてなぜか持ち手が冷たい。すう、と指先が冷える感覚と重たさに耐えかねて、深月はもう片方の手で箱を抱えた。箱の底も冷たい。そして少し傾けたからか、中でごろり、と何かが動いた気がした。 「えっと、これは……?」 「弊社サービスをご利用いただいた方に必ずプレゼントしております、縁切り証明書の謂わば片割れです。本来ならば模造品をプレゼントするのですが、今回は特別に! 本物をお持ちしました。ぜひ、ご堪能ください!」  男は仰々しく頭を下げてみせる。そして本日はこれで失礼します、と言い残し帰っていった。  深月の手元には退職関連書類が残った。サインなどをする手間はあるが、それでもクビキルに郵送するだけで、会社とは連絡を取らずに済む。何より上司だ。上司と二度と顔を合わせなくて済む。たった一枚の紙である縁切り証明書が、やけに頼もしく見える。  それなのにどうしてだろう。深月の胸はやけにざわめいていた。  書類とプレゼントだと言われた縁切り証明書の片割れとやらが入った箱を抱え、深月は寝室に戻った。スマートフォンの電源を入れてみるが、上司から折り返しもなかったようで、着信履歴はない。念のためメールも確認したが、迷惑メール以外は何も届いていなかった。絶対に何かしらの手段で文句を言ってくると思っていただけに、安堵と共に少し拍子抜けした。  深月は退職の書類を全て確認し、必要事項を記入し、早々に封筒へ入れた。この後郵便ポストに出してきてしまえば、全て完了だ。あの真っ黒な会社とも、大嫌いな上司とも、二度と関わることはない。  ふと思い出して深月は隣に置いていた箱に手をかける。箱自体が少し冷たく感じるのはやはり気のせいではないだろう。何が入っているんだろう、退職祝いのケーキだったりして。そんな浮ついた気持ちで箱を開封し、深月は声にならない悲鳴をあげた。 「ーーーーーーっ!」  そこには、二度と顔を合わせずに済むと思った上司の顔があった。顔、否、頭というべきだろうか。とにかく、上司が箱の中に入っていた。首から上だけの状態になって。 「ひぃっ………………! っぁ、え、っ…………な、……………………なに………………?」  生首だった。ドライアイスに囲まれた、新鮮な生首。どこにも視点のあっていない目と、苦痛に歪んだ表情が、上司の最期を表しているようでゾッとした。  深月は堪らず嘔吐しそうになり、床に這いつくばって必死で堪えた。頭を下げたことにより、箱の底に接地した首の断面が見えてしまった。ギザギザとした汚いそれは、まるでノコギリか何かで首を切り落としたかのようだった。  違う、何かの間違いだ。深月が依頼したのは退職の代行であって、殺人ではないのだから。きっとこれはよくできた偽物だ。映画の撮影で使われるようなレプリカ。クビキルなんていうふざけた会社名なのだ。社名を忘れられないようインパクトを残したくて、利用者に手の込んだ悪趣味なプレゼントをしているに違いない。  そう言い聞かせてみても全身の震えが止まらない。  確認しなくては。  深月は震える手でソレに触れた。指先に触れたソレは冷たすぎて、慌てて手を引っ込める。しかし同時に深月は安堵した。人間の肌の感触ではなかったからだ。やっぱりレプリカだったのだ。  まだうるさい心臓の鼓動と震える手。まんまと騙されてしまって、悲鳴まであげてしまった。あやうく吐くところだったし、本当に悪趣味なプレゼントだ。それにしてもよくできたレプリカだな、と思い、冷えたソレを持ち上げる。結構重い。まるで中に何かが詰まっているような。でもやはり触れた質感は人間のものとは違うので、何か特殊素材を使っているのだろう。  自分で退職を申告できないほど追い詰められた利用者が、せめて最後は嫌いな上司の苦しんだ顔を見られるように、とわざわざ作ったのだろうか。申請したのは昨晩なのに、ずいぶんと仕事が早い。それに上司の顔の再現度も高い。どうやって上司の顔を知ったのだろう。いろいろと考えているうちに、ふと深月は気がつく。  なんだか臭い気がする。鉄の匂い。  それに、覚えのある香りだ。これはいつも上司がつけているヘアワックスの。  一瞬で背中に怖気が走り、深月はソレを床に落としてしまった。ごとん、と音がして転がると、首の断面から血のようなものが滲み出す。再び上司の目を見て、深月は気づいてしまった。虚ろな目から、コンタクトレンズが外れて落ちていた。偽物なら首の断面から血が染み出すはずがない。レプリカにコンタクトレンズなんて入れるはずがない。  この生首は、正真正銘、上司の身体から切り落としたものなのだ。  気づいたら深月は絶叫していた。 『弊社サービスをご利用いただいた方に必ずプレゼントしております、縁切り証明書の謂わば片割れです。本来ならば模造品をプレゼントするのですが、今回は特別に! 本物をお持ちしました』  男の言葉に、嘘はなかったのだ。深月は自分の喉からこぼれる悲鳴を聞きながら意識が遠くなっていった。 「生きたまま首をノコギリのようなもので切り落とし殺害、その後被害者の頭を持ち去ったと見られているこの事件、どう思いますか」 「いやぁ、恐ろしいですね。どれだけ恨んでいてもここまで残忍なことはなかなかできるものじゃない」 「被害者の頭部がなくなっているというのも気になりますね」 「そうですね。被害者は自宅で亡くなっていますし、身分証や金銭なども盗まれた形跡はなかったそうですから。強盗でもないし、被害者の身元を隠したかったわけでもない。どういう意図があるのか分かりかねますね」 「傷口に生活反応があったことから、被害者が生きている状態で首を切られた、と分かったわけですけれど……。強い恨みがあるようにも見えますが、わざわざ頭部を持ち去ったわけですから、ストーカー殺人などの可能性も視野に入れて捜査が進められるんじゃないか、と僕は思いますね」 「亡くなった被害者と遺族のためにも、一刻も早く事件の解決、そしてなくなった頭部の発見が望まれます。それでは次のニュースです…………………………」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加