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 けれどその関係は突然、様子を変えた。  十二月も半分が過ぎようという頃、例によって俺たちは金曜日の川辺にいた。  そろそろ本格的に寒くなってきて、二時間も戸外のベンチに座っているのはさすがに辛くなってきた。 「なあ、寒くないか」  相変わらず制服姿でマフラーも巻かずにいる彼に俺はポツリと言った。  彼は本から目をあげ、俺を見た。 「どういう意味だ」 「え、そのままの意味だけど」  珍しくすぐさま言葉を返されて俺は戸惑う。彼は本を閉じ、疑わし気に俺を見た。あまりに強い視線に俺は不安になった。何か彼の気に障ることを言ったのだろうか。  彼から顔を逸らすために俺はスマホをバッグから出そうとしたが、見当たらない。そういえば家を出る前に充電をしていた。それでそのまま持ってくるのを忘れてしまったのだ。  腕時計をしていたが薄暗くてよく見えない。俺は何の気なしにバッグからライターを取り出して、その火の明るさで時計の文字盤を見ようとした。だがカチッという音が響いたとたん、彼がガタン、と音を立てて立ち上がった。 「え」  見ると彼が今まで見たことがないほどにハッキリと表情を浮かべて立っていた。身体は後ろに傾ぎ、その目は俺の手元で揺れている小さな火に注がれている。俺が慌てて立ち上がると、彼は強張った表情でザっと後ずさった。  俺は混乱しながらも自分の手元を見て、また彼を見た。 「火が、怖いのか?」  問いを投げかけた瞬間、もの凄い目で睨まれた。しまった、と思ったが遅かった。彼は苛立ちをあらわにベンチを激しく蹴りつけた。俺は驚いてライターを取り落としてしまう。  シンとした沈黙がおりた。 「ごめん――」  自分でもおかしいくらい声が震えていた。 「ごめん、俺、」  言葉の途中で、うるせえッと鋭く遮られ俺はすくみあがった。そんな俺を彼はあの射殺さんばかりの目で睨む。その時乱れた前髪のすき間から、その額の右半分にひきつれたような皮膚が見えた。そこだけ色が濃く、盛り上がっている。 「あ」  思わず出た声に、彼は鋭く反応した。 「おまえ…、どうして」  俺が掠れた声で言うと、彼はいっそう鋭い目で俺を睨みつけ、それから苛立たしげにふいと背を向けた。 「おい、待てよ!」  彼はずんずん土手の階段に向かって歩いていく。あまりに一方的な態度にこっちも腹が立ってきて、俺はその背に向かって言った。 「俺にどうして欲しいんだ」  彼が足を止めた。 「なんで俺に会いに来るんだよ。なんでここに連れてくるんだ。なんで…、おまえは一体何がしたいんだよ!」   彼は振り向き、けれど何も言わない。 「俺を所有したいってことか? それとも友だちが欲しいのか? まさか俺を恋人にしたいっていうんじゃないよな?」  言ってしまってから俺は急に怖くなった。そうだと言われたらどうするんだ。俺はこれ以上何も応えられない。どんなに強引な手を使われても、押し切られるわけにはいかない。 「――もっかい笑え」 「え」  ドキン、とした。  彼は大股で戻ってくると、俺の右手首を掴んだ。 「なっ、なんだよ」  俺はその手の思いがけない力に怯み、反射的に逃げを打った。 「放せ」  けれど掴まれた腕はいっこうに外れず俺は激しくもがいた瞬間、足を滑らせて転倒した。それに引っ張られるように彼も俺の上に倒れこんでくる。目と目が合った。鋭い舌打ちが聞こえて殴られると思った瞬間、左手で顔をかばおうとするとその腕が捕らえられ、言葉を持たない獣が苛立ったみたいに彼は俺の手首に噛み付いてきた。あまりのことに声が出ない。叫びたくても叫べない。心臓が早鐘のように鳴る。思いがけない力の強さ。脆い部分を攻撃された屈辱、痛み、敗北感。  彼は男の目をしていた。その時俺は初めて本能的な恐怖を感じた。男に本気で執心されていることへの恐怖。 「は……放せッ!!」  声が出た瞬間、俺は狂ったように暴れて獣の腹を膝で蹴り上げた。相手が短くうめき、その攻撃が緩んだ瞬間、俺は無我夢中で重い身体の下から抜け出した。再び伸ばされた手を辛うじて振り切り、ガクガク震える足で土手に向かい、階段を上った。    そのまま振り返らずに川沿いの道を走り、橋を渡り、あいつがいつも階段の下で俺を見送る所まで来ると、俺はそこが安全圏への入り口だとばかりに駆け上がった。上り切った所でようやく下を見る。あいつの姿はなかった。安堵とともにその場にくずおれた。  街路灯の光を頼りに噛まれた腕を見ると、わずかに血が滲み出ている。俺の頭に狂犬病という言葉が浮かんだ。あれって死ぬんだっけ。狂犬病と検索するために震える手でバッグの中を探るが今日はスマホを忘れてきたのだった。そして今調べようとしたことを思い出し、そのバカバカしさに気付く。  動揺しすぎだろ――。  俺は折った両膝に深く顔を埋めた。  一体いつ、俺がおまえの前で笑ったんだよ……。
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