Prolog

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「健気で良い奥さんだねえ、残業辛かったらいつでも言ってね?」 篁さんがにこりと微笑む。 ああ、いたたまれない。 エレベーター内の空気が濁りきゅっと固まった気がした。もちろん、空気は今日も透明だし凝縮などもされていない。 「いえそんなこと!家計の足しになればと思っていますし、お構いなく!」 「え、でもご主人敏腕弁護士でしょ?それなりに収入は安定してるんじゃないの」 「そ、そんな事ないです。えっと、私も驚いたんですけれど、夫の収入は思ったより普通なんです。それに残業は、ほら、私の手際が悪いだけですので!」 ほとんどきちんと定時上がり頂いています、と、ほどよい嘘を交えて会話をすると、篁さんは「そうなんだ……」とどこか同情の目を向けてくる。 懺悔します。 どちらかと言うと、喜んで残業していますし、私は彼の収入事情など不明なんです。 しかしこれは私しか知らなくて良い情報。さらに言えば、今はこの場をやり過ごすことが重要である。 「そういえば今度の飲み来れそう?人数集めろって言われたんだよね」 「あ、はい!大丈夫です、人数に入れていただいて」 「ご主人、なにも言わない?」 「はい、平気です。……あ、では私はこの辺で。失礼します!」 「うん。じゃあまた、明日」 逃げるように会社を後にした。 こういう時、普通の夫婦であれば、 「(なんと答えるのだろう)」 毎回自問し、私は勝手に答えを解釈する。
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