814人が本棚に入れています
本棚に追加
「健気で良い奥さんだねえ、残業辛かったらいつでも言ってね?」
篁さんがにこりと微笑む。
ああ、いたたまれない。
エレベーター内の空気が濁りきゅっと固まった気がした。もちろん、空気は今日も透明だし凝縮などもされていない。
「いえそんなこと!家計の足しになればと思っていますし、お構いなく!」
「え、でもご主人敏腕弁護士でしょ?それなりに収入は安定してるんじゃないの」
「そ、そんな事ないです。えっと、私も驚いたんですけれど、夫の収入は思ったより普通なんです。それに残業は、ほら、私の手際が悪いだけですので!」
ほとんどきちんと定時上がり頂いています、と、ほどよい嘘を交えて会話をすると、篁さんは「そうなんだ……」とどこか同情の目を向けてくる。
懺悔します。
どちらかと言うと、喜んで残業していますし、私は彼の収入事情など不明なんです。
しかしこれは私しか知らなくて良い情報。さらに言えば、今はこの場をやり過ごすことが重要である。
「そういえば今度の飲み来れそう?人数集めろって言われたんだよね」
「あ、はい!大丈夫です、人数に入れていただいて」
「ご主人、なにも言わない?」
「はい、平気です。……あ、では私はこの辺で。失礼します!」
「うん。じゃあまた、明日」
逃げるように会社を後にした。
こういう時、普通の夫婦であれば、
「(なんと答えるのだろう)」
毎回自問し、私は勝手に答えを解釈する。
最初のコメントを投稿しよう!