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私の母方の祖父は、市内でも有名な「天林山」という山の一角を土地として持っていた。
その山には竹がたくさん生えていて、4~5月の時期になると竹の整備やたけのこ掘りに行くのが日常と化していた。
そして、専用の道を祖父が若い時に作ってくれたので、私たちの家系しか知らない道がある。そこは上手く竹でふさがれていて、パズルのように組み立ててあるので、やり方を知っている人しかその塞がれている道を開くことが出来ない。
とはいえ、強引にチェーンソーなどで壊されたら、簡単に入れるのだが、この竹のパズルは見事に向こう側に道があるように見えないよう重ねられているので、祖父の代から結構な年数が経っても誰かに荒らされたことも見つかったことが無い。
割と登山ルートのすぐ脇なのだが、社長の座まで上り詰めた祖父の頭脳と技術の技で私が受け継ぐまで隠し通されていた。
その隠された道は下り坂になっていて、道の先には竹で作られた柵に囲まれた小さなキャンプ場になっている。
何度も焚火をしていたので、焚火の跡として黒い炭が山積みになっている場所を中心に椅子やテーブルがあり、ブルーシートがかけてある。
毎年、虫の少ない時期にここにきては、古い竹を燃やして、持参したおにぎりを焼いたり、キノコを焼いたり、キャンプをすることもあった。
筍の時期は、掘りたての筍をちょっとだけあぶって食べるという贅沢な食べ方もした。
幼心ながらその思い出はずっと残っていて、家族で火を囲んでわいわいと話しながらする食事が私は大好きだった。
いつも厳格な父親は笑顔に。
思春期で不愛想な兄は私に優しくなる唯一の時で。
母と私はまるで姉妹のように食事や飲み物を分け合いっこ。
祖父と祖母が居る時は、二人が負担にならないよう私が野菜などを焼いて持って行ってあげたりもした。
その思い出の詰まった山を
60歳になり管理の出来なくなった私は
売ることにした
もう、父も母もいない。
兄は祖父譲りの優秀な頭脳を持っていたので、海外暮らしであるため管理が出来ない。
兄に相談すると「かまわない」という寂しそうな声音ではあったが、許可を得たので私は動ける内にと行動を移した。
幸い、山は綺麗に整備し続けた日々のお陰でそれほど荒れている場所はなく、いい値段で売れた。
5年間整備していなかったが、それまではこまめに竹の整備や雑草、落ち葉などの掃除をしていた回があったというものだ。
なんせ、50歳からの5年間は、私にとって人生の中で一大事が起きていて必死だったから。
「この山、いわくつきとかはないですよね?」
買い手の人が私に尋ねた。
「ありません。思い出はたくさんあります。あ、でも、野生の動物の骨は、土を掘ったら出てくるかもですね。イノシシや鹿、鳥など、よく見かけていたので」
私が答えると、買い手の人は男性には似合わない「ひえぇ」という情けない声を上げた。
恐らく、ホラー系が苦手なのだろう。
「わかりました。まぁでも、キャンプ場として家族で使うので、土を掘ることはないでしょう」
「私もよく家族でキャンプをしていたので、そのように使っていただけるのなら嬉しいです」
和やかな会話を数個交わして、私はその男性と別れた。
そして、老後の資金を十分なほど手に入れた私は少し良いところの老人ホームへと引っ越しの準備を始めた。
山と共に、思い出と共に、私はこの地から遠く離れた場所に行く。
新幹線で3時間はかかる距離だから、もう戻ることはないだろう。
「さようなら、あなた」
私が50歳の時に行方不明になった私の夫。
10年たった今はもう、死亡としてみなされ、私は未亡人。
子どももいないので、私は老後を一人で過ごさなければならない。
でも、それでいい。
私が望んでいた老後が、1人だったのだから。
黒い炭で山積みにされた土の底。
あなたの上で火は焚かれ続けるでしょうから、きっと煙と共に無事に空に行けるでしょう。
手首に残った消えない大きな青あざをさすりながら、私はしわくちゃの顔で微笑んだ。
fin
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