それだけの話

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 紹介を受けてお会いしたUさんは、見るからにエネルギッシュで野性的、いかにも豪放磊落といった感じの中年男性だった。 「え、怖い話?なに、あんた怖い話を集めてんの?ふーん、よっぽど暇なんだねえ、あんた。あっはははは。いや、失礼。だってさあ、怖い話ってあれだろ?幽霊とかお化けとか出てくる奴だろ?そんなもん、この世にいるわけないじゃん。あんなもん、みんな幻覚とか見間違いとか、思い込みの産物だろうがよ。俺は全然信じてないよ。だってこの目で見たこと無いしさ。そんなもんを信じるわけにはいかねえだろうが。そういうものを大真面目に話す人ってのは、俺にとっては、よほどの暇人にしか見えねえんだよな。大体、俺自身生まれてこのかた、怖い思いなんてしたこと無いしさ。ああ、人間だって、怖い奴なんていねえよ。俺、ケンカだって今まで一度も負けたことねえんだ。腕にはかなり自信はあるぜ、あっはははは。  じゃあ、怖くなくても不思議な話?不思議な話ねえ……うーん、あれか?オカルトとかそういうやつかい?そういうのも、全然興味ねえからなあ。そうだなあ、あえて言えば、一つ、俺がガキの頃育った田舎の村に、伝承みたいなのがひとつあったな。俺のばあちゃんから聞いたんだけどさ。このばあちゃんもとっても豪快な人でな。そして俺の事をよく可愛がってくれてた。俺もばあちゃんのことが大好きだったんだ。  で、その伝承ってのは、村にあるY山っていう山にまつわる話でな。そこそこ大きな山で、うちの村はその麓から染み出すような恰好で広がっていたんだが、村にとっては色々と恵みの多い山だったんだ。山菜とか、キノコとか筍とか、栗とか、食べ物も豊富だった。また、子供にとっても恰好の遊び場にもなってくれてたんだ。俺もガキの頃しょっちゅう遊びに行って、カブトムシとか取っていたもんだ。  ただ、この山には年に一回、誰も入っちゃいけない日っていうのがあったんだ。というのも、その日は山の神様が木を数える日だから、人間が入ると一緒にカウントされて、木にされちまうって話なんだな。だから、その日は誰も山に入ろうとはしなかったってわけだ。こんな時代になっても、まだみんなそんなこと信じてたんだよな。馬鹿みてえだろ?何月何日だって?もう、日付なんか忘れちまったよ。だって俺、そういう日にも平気で山に遊びに行ってたから。あははは。だから言ったろ?俺、そういうものってガキの時から、全然信じてないんだよ。これもばあちゃんの影響かなあ。確かにそういう言い伝えがあるってことは、ばあちゃんから聞いたんだけど、”でも、今のこの世にそんなもんあるわけないだろ。迷信だよ”って当のご本人が言ってたくらいだからね。だから俺がそういう日に山に入っていっても、”元気がいいねえ”とか言って笑ってたよ。そう、だから何の怖い思いもしたことはねえな。  というわけで、結局これもそれだけの話だなあ。うん、悪いけど、他にあんたの気に入りそうなネタは無えなあ。金儲けと女の話だったらいくらでもあるけどさ、あっはははは」  以上がUさんから聞いた話である。  そう、これだけである。  これでは怪談にならないじゃないかと思われた方も多いと思う。実際、私もインタビューが終わった時は、これはボツだな、と即座に見切りをつけた。そもそも、山には年に一度、山の神が木を数える日があり、その日に入山した人間は山の神の怒りを買い、怖ろしい目に合うという話も、もうかなり前から広く知られている伝承ではないか。だが、こればかりはしょうがない。どんなに取材を重ねても、使えない話の方が圧倒的に割合が高い。だからこそ、分母を増やす必要があるのだ。  そう思っていた矢先、このUさんを紹介してくれた人物、Kさんから連絡が入った。Kさんと私はもともと別の仕事での付き合いだったのだが、「あいつなら何か面白い経験をしているかもしれない」ということで、同い年の幼馴染であるUさんを紹介してくれた、というわけなのだ。  Uさんとは違って、腰の低い、他人に気配りをするタイプのKさんは、紹介した手前、インタビューがうまくいったかどうかを気にして、わざわざ電話をくれたのである。 「あいつ、何か失礼なこととか、ありませんでしたか?」 「いえいえ、別に不快な思いはしませんでした。とても豪快な感じの明るい方ですね」 「どんな話をしてましたか?」  Kさんの質問に、私はUさんから聞いた短い話をそのまま伝えた。 「とても、おばあ様に可愛がられていたみたいですね。初孫だったそうで、そのせいもあるんでしょうね」 「ええ、まあ、確かに可愛がられてはいましたね。ただ、正確に言うと、生まれた時から直ちに、という感じでもなかったみたいですけどね」 「……と、言いますと?」  Kさんの少し微妙な言い回しに、私は興味を惹かれた。 「Uと私は同い年で、幼稚園も一緒に通った仲なんですけどね。幼稚園の年少くらいまでは、そのお婆さんにかなり厳しくしつけられていたみたいですね」 「そうなんですか」 「ええ。彼の家は古い家系で、先祖は彼の郷里の一帯を支配していた地頭か何かだったようです。勿論、現代では”だから何?”という話なんですが、このお婆さんというのが、その家系というものを物凄く誇りに思っていたみたいですね。そして、彼は初孫であり、孫の世代の筆頭なわけで、お婆さんも、この家の将来を担うものとして、物凄い期待をかけていたようです」 「それは、Uさんにとって相当なプレッシャーになりそうですね」 「まさに、そうなんです。そして、Uという奴は、実は幼い頃は、気弱で、引っ込み思案な子供だったんです」 「あのUさんがですか?」  気弱で引っ込み思案という言葉と、およそ正反対の強烈な印象を与えられていた私は、思わず大声で聞き返してしまった。 「ええ、そうなんですよ。意外ですよね。でも、本当なんです。まさに幼稚園の年少くらいまでは、とても気弱で、同年代の子供からもいじめられたりしていたくらいです。その姿を見て、あのお婆さんは、いかにも歯がゆく思ったんでしょうね。だから厳しくしつけていたんでしょう。私も、お婆さんに叱られて泣いているUの姿を何度も見た記憶があります」 「なんだか気の毒ですね」 「特に強烈な印象があったのは、ですね。年に一回Y山への入山が禁忌とされている日がある、という話はお聞きになりましたよね?」 「ええ、その話はUさんがしてくれました」 「その日に、お婆さんが泣き叫ぶUの手をぐいぐい引っ張って山の方に向かって、歩いていくのを見ました。まさに、引っ立てて行く、という感じでしたね」 「そうなんですか?確かそもそもその日に入山すると木にされてしまう、という話はお婆さんから聞いたとか」 「そうなんです。つまり、Uを怖がらせたうえで、あえてその禁忌の日に、無理矢理山に押し込む。そうやって恐怖心に打ち勝つ強い心を植え付けようとしたんでしょうね」  その発想のすさまじさに、思わず私は言葉を失った。いくら強い心を育てるためとはいえ、幼稚園児にそういう経験をさせるとは、もはや虐待ではないか。 「ところがね。その後、暫くしてUに会った時には、彼の性格ががらっと変わっていたんですよ。現在の彼を彷彿とさせるような、いかにもアグレッシブで野性的な感じになり、やんちゃ坊主なんて言葉では軽いくらいの子供になっていました。今までUをいじめていた子供たちも、今度は自分たちが彼に毎日泣かされることになりましてね。しまいには、Uの姿を見かけるだけでみんな悲鳴をあげて逃げるようになりました」 「なるほど。お婆さんのスパルタ教育が身を結んだわけですね」 「そういうことでしょうね。果たしてUの性格が激変してからは、お婆さんもいつもニコニコしながら彼のことを見ているだけになって、いつも仲良く楽し気に話しながら歩いているのを良く見かけるようになりました」 「そうですか……それは、まあ、何と言いますか、良かったですね」  すっきりしない返事を返しながら、私は少し引っかかるものを感じていた。Uさんの話では、禁忌の日の存在について、お婆さんから教えられたと、確かに言っていた。だが、当のお婆さんは、それは迷信だよと笑い飛ばしていたとも話していた。ところが、今のKさんの話では、お婆さんは、同じ話でUさんを怖がらせていたという。UさんとKさんで、認識が違うのだろうか。 「そう言えば、最近知ったんですけれどね」  Kさんが新しい話を始めた。 「例の禁忌に関する伝承なんですけれども、続きがあるらしいんです」 「続きですか?」 「ええ、続きというか、バリエーションみたいなものですかね。都市伝説なんかも、オリジナルの話から派生して、色々バリエーションが出てくるじゃないですか。私はこれもそういうものかなと思っているんですが、要はこの禁忌には救済策みたいなものがある、という話があるんです」 「救済策ですか?」 「ええ。どういうことかと申しますと、この禁忌の日に山に入った人間は、木にされてしまう。ただ、子供に関しては、救済が認められる場合があるというんです。つまり、子供というものは、まだよく物を知らないし、ダメだと言われれば余計にやりたくなる。だから、子供が禁忌を犯してしまうのも、ある程度致し方ない面もある。そもそも子供の行動については親の責任でもあり、子供自身の身をもって償わせるのも酷である。山の神もそこには一定の理解を示してくれるというのです」 「なるほど。それは確かに合理的で、なんだか現代の法律に通ずるような感じもしますね」 「幼い子供が禁忌を犯した場合、その子は年齢に見合った形で、小さな苗にさせられます。そこで、保護者は、まず心から子供の禁忌違反を悔いて山の神に謝罪する。そして慈悲を乞いながら、一本の苗を植樹します。そうすると、三日後に我が子は戻って来る、というのです。つまり、苗にさせられた我が子を返してもらう代わりに、新しい苗を植えるというわけですね。”身代わり苗”とも言われているそうですよ」 「へえ、それはまたドラスティックというか、明快なお話しですね。面白い」 「私も最近聞いたのですが、この部分は、この村のごく限られた家系にだけ伝承されてきたみたいですね。どうもあまり外部に知られないようにされてきたようです。まあ、そうは言っても、この21世紀の世の中ですから、流石に大真面目に考える人はいなくなって、まあ、ある意味無責任な噂として、軽い気持ちで人から人へと話されるようになった、ということみたいですね」 「ごく限られた家系……ですか……」  Kさんからの新しい情報を得て、今回のインタビューは少しは意味があるような気がしてきた私は、はなからボツ扱いするのはやめて、もう一度今回の話を振り返ってみた。そうするうちに、だんだんと不穏な気持ちが自分の中に広がっていくのを感じ始めていた。  古来から、特に冥界関連でよくある話だが、一度異界に行った人間は、そのまま現世に戻って来ることは出来ないものとされている。仮に戻って来たとしても、それは元の人間ではない。見かけは元のままであっても、中味は全く違ったものが入って帰って来る。そういう話は昔から沢山あるではないか。  Uさんの祖母は、幼い頃の彼の気弱な性格や振る舞いを見て、大いに落胆していたのではないか。こんな孫では誇り高いこの家の跡取りとしては、いかにも頼りない。三つ子の魂百までとも言うではないか。この子の気弱な性格は、多分一生治らないかもしれない。ならば、もう、中味ごと”交換”する必要があるのではないか……  祖母は、嫌がるUさんを、禁忌の日に無理やり入山させて、一旦苗木にしてしまう。その後で、「身代わり苗」を植える。この手続きによって、Uさんは再び家族のもとに帰って来た。ただし、あくまでも”肉体的”な話で、中味は全く入れ替わって……望み通りの、野性的で強烈な性格になって帰って来た孫を見て、祖母は心から満足し、以後は普通に可愛がるようになった。”戻って来た”Uさんにとっては、それ以降の記憶が、そのまま自分の全ての人生の記憶として積み重ねられてきた……。 (だから俺がそういう日に山に入っていっても、”元気がいいねえ”とか言って笑ってたよ)  それは、そうだろう。戻って来たUさんにとっては、そもそもそこは“故郷”なのだから、何も起きるはずが無い……  記憶の中で響き続けるUさんの豪快な笑い声に、私はだんだん頭が痛くなってきた。 [了]
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加