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僕は駆け出した。これも山神様の計らいなのか、折れていたはずの佐山秋彦の足は完全に治っていて、所々に付いていたはずの傷も消えていた。それどころか僕が佐山秋彦の足に力を込めると、信じられないくらい軽やかに高く跳ぶことができた。たぶん僕が知るところの人間の身体能力を著しく越えている。おかげで僕は長い山道を早く下りることができ、目的の人が居る街まで時間を掛けずに辿り着くことができた。
「ここか……」
僕はとある一軒家の前に立つ。
空はすっかり暗くなり、辺りはしんっと静まっていた。
クリーム色の壁とオレンジ色の屋根の、暖かみのあるこの家が、佐山秋彦の自宅だった。
僕はごくりと唾を飲み込む。どうやら僕は緊張というものをしているらしい。この後どうするべきかとしばし頭の中の記憶を検索しながら立ち尽くしていると、突然、ガチャリと、玄関の扉が開く。
「あ、やっぱり秋彦くんだった。もう、帰って来たなら、そんなとこに突っ立ってないで、さっさと入って来てよね」
「……なんで、僕がいるって、分かったの?」
「んー、何となく? もうすぐ帰って来ると思って」
玄関の扉から出て来たのは、長い髪を緩く一つにまとめた、可愛らしい顔立ちの女の人だった。
「そっか。すごいなぁ、千穂は」
「そうでしょ? 私ってば、すごいのよ。秋彦くんのことなら何でもお見通しなんだから。さあ、早く。夕飯はもうできてるから。おかえりなさい、秋彦くん」
「うん、ただいま」
彼女の名前は葉月千穂。
佐山秋彦と同棲している恋人で、行く行くはプロポーズをしようと佐山秋彦が予定していた、彼にとってこの世界で一番特別で大切な女の人。
そして、僕が佐山秋彦の代わりに、愛を伝えなければならない人だった。
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