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幼い頃から吹優は晴之と二人でひとつのように育った。
吹優が生まれたばかりの頃、木塚家はとくべつ裕福でも貧乏でもない、普通の家庭だった。ただ、父は吹優が四歳の時に事故で亡くなり、そこから母は女手一つで二人のことを育ててくれた。母は看護師で夜勤もあり、保育園の迎えに来るのはいつも二歳年上の晴之だった。ランドセルを背負って迎えにくる晴之を先生達が皆感心して見ていた。
「吹優、一緒に帰ろう」
「うん」
差し出されるひとまわり大きな掌をぎゅっと握り、夕焼け空の下を二人で歩いて帰った。母が家にいなくても晴之がいつも隣にいてくれる。遊んでくれる。わからないことはなんでも教えてくれる。
「母さん、夕飯作り忘れてる」
「えっ」
母は夜勤の前必ず夕飯を作り置いてくれていた。でも、テーブルの上を見ても、冷蔵庫を覗き込んでみても、それらしいものは何もない。晴之は、はあ、とため息をついた。
「俺にもなんか作れるかな?」
「なんでもいいよ」
「うーん」
冷蔵庫の中にあったのは、ウィンナーと卵と野菜がちらほら。二人ともまだ包丁どころかフライパンも握ったことがない。かろうじてレンジの使い方がわかるくらいだ。
「サラダは千切ったら食えるか……おっ、米は炊いてある!」
「何するの?」
「おにぎり!」
にかっと笑い、晴之は炊飯器の蓋を開けた。
「あっちっ!」
「大丈夫?」
しゃもじで掬ったご飯をそのまま掌に乗せ、熱さに晴之は飛び跳ねる。慌てて皿にご飯の塊を落とし、ふーふーっと手を噴いた。
「平気平気! あー……手べったべただな」
「お水いる?」
「お、そうだな」
吹優が茶碗に水を入れてテーブルに置くと晴之は右手に持っていたしゃもじをおろし、吹優の頭をくしゃりと撫でる。自分も役に立てることが嬉しかった。
晴之はもう一度しゃもじでご飯をひと掬いした後、ふーふーっと噴いて濡らした掌の上にご飯を置いた。今度は本当に平気そうだ。
「よし、あとは具だな。吹優、ウィンナー入れて」
「そのままで平気?」
「まあ食えんだろ」
言われるままウィンナーをご飯の真ん中に乗せれば晴之はもうひと掬いご飯をとって、慎重に息を噴きかけ、ぎゅっと握った。
「これを、こうして、んっ、よ! どうだ!」
「できた!」
ウィンナーを入れただけの丸いおにぎり。掌はべたべただったし、ちょっと力を入れると崩れてしまいそうだった。それでも、晴之が作ってくれたというだけで誇らしかった。
「なんか味うすい?」
「そんなことないよっ」
隣り合わせで椅子に腰かけ、おにぎりに齧り付いたが、当然ながらウィンナーだけのおにぎりは味気なかった。
「あ、ケチャップはどうだ?」
晴之はぴょんっと椅子から飛び降りて、冷蔵庫からケチャップを出してきた。力加減を間違えて、おにぎりも皿も真っ赤になったが、構わず食べた。
「おいしい!」
「ん、そうだな。卵があればオムライスになるかも」
真っ赤になった掌と、皿とそれから丸い頬。ただそれだけが、おかしくて楽しくて二人で笑った。結局卵も割ってみたが、案の定うまく割れずに大惨事になった。
翌朝帰宅した母親はキッチンに入った瞬間その惨状を見て泥棒でも入ったのかと驚いて叫び散らした。起きてきた晴之が「ごめんなさい」と正直に話す背中に吹優はぴたりとくっついていた。
「私が悪かったの。ごめんなさい。えらかったね」
母は兄弟二人をぎゅうと抱きしめた。怒られると思っていたから力が抜けて、吹優は晴之にしがみついて泣いた。
「なんで泣くのよ」
「だって」
ぐずる吹優を今度は晴之が抱きしめて、母に告げた。
「ね、母さん、俺に教えて。片づけも、料理も、覚えるから」
「晴之……」
最後に泣き崩れたのは母の方だった。
その後三人で惨状を綺麗にして、母は晴之と二人でもう一度おにぎりを作った。冷凍していたハンバーグと、卵焼きと千切ったレタスも入れた大きなおにぎり。三人で頬張る頃にはみんな笑っていた。
吹優は晴之と一緒にいればさびしいと思うことはなかった。
かっこよくて優しくて温かいお兄ちゃん。
晴之のことが大好きだった。
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