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それは一年前のことでした……-
ここで時計の針を前に戻し、悠馬と明日香、そして高嶺の花の綺集院香蓮との出会いを振り返ってみよう。
一年五ケ月前。その日が朝井悠馬にとっても、上杉明日香にとっても、そして綺集院華蓮にとって運命の日になるなんて知らなくて、悠馬はいつものように徒歩で春日中学に向かっていたんだ。
朝井悠馬中学三年。
駅前で道に迷っていたお祖母さんに声をかけ、交番に案内したところ、警察官から詳しく事情を聴かれることになった。高齢者への詐欺事件が多発しているため、たとえ中学生とはいえ、簡単には帰してくれないのである。
小柄でイケメンというわけではないけど、真面目で優しそうな少年。絶対犯罪には無縁そうに見えるけれど、それだけでは信用してもらえないのが現実だ。
ちょうど交番に立ち寄った本署の警察官が、
「君は朝井くんじゃないか。おい、君。その子は以前に、特殊詐欺にひっかかりそうになっていた高齢者を助けて表彰されたんだぞ。あまり善意の人間を疑うと、困っている人が放置され、警察が批判されることになる」
「いえ、何も疑っていたわけでは……」
やっと「善意の中学生」と結論が出て交番を出たときには、始業ベルが鳴るまでのギリギリの時間。
通常ルートでは間に合わない。
悠馬は、生徒たちが「裏門」と呼んでいる北門へ直行することにした。
駅前通りから奥に二本入った道路。スナックや居酒屋が並んでいる通り。
朝なので、どの店も閉店中。だがお店は閉店中なのに、何人もの人間がいた。
道路沿いに二軒のスナックが並んで建っている。二軒のスナックの間の細い道から男女の声が聞こえてきた。
細い道は、スナックのちょうど裏口に面している。
「私、学校に行きます。あなたたちなんかにつきあえません」
女性の静かな口調だった。
「だからさ、あたしらがイジメしてるって、チクッたの上杉だろう」
「一方的にそんなこと、生徒指導に話されて迷惑してんだよ」
「ふざけんなよ」
「今から一緒に来てもらうからな」
「お前のやったことについて、よく話し合おうぜ」
男女の怒りの声が続く。
「いじめなんてサイテー。それだけ。あなたたちと話し合う必要なんてありません」
再び女性の静かな口調だった。
「何だと? この陰キャラ」
「暗いばかりじゃなくて、他人に迷惑かける気?」
「だから上杉って、みんなに嫌われてんだよ」
「ちょっとは、クラスのまとまり考えろ」
悠馬はそっと声の方向をのぞいていてみた。高校生のようだ。クラスメイトへのいじめを生徒指導の教師に報告した生徒が、いじめの加害者たちに脅迫されているようだ。たったひとりの女子生徒を取り囲み、六人の男女で責め立てている。
(何とかしなきゃ)
悠馬はすぐにそう思ったが、自分には相手を黙らせる威厳も勇気もないことはよく分かっている。へたに関わったら、悠馬まで一緒に拉致されるかもしれない。
だが、正義の味方の女子生徒が絶体絶命のピンチなのに、知らん顔なんかは出来ない。
悠馬は一瞬、瞑想。ひと呼吸おいて目を開ける。
サッと柱に隠れて、自分の出せる精一杯の大声を出す。
「おまわりさん、こっちです。スナックの看板が目印です。はやく、はやく」
たちまち悲鳴が聞こえた。スナックの裏口から六人の男女が飛び出してきて、そのまま全速力で走り去った。
(これで大丈夫)
悠馬はホッとした。後は学校へ全力疾走。
「君、待って」
の言葉が聞こえたが無視した。
悠馬が走り去った後のこと。王道高校一年特進クラスの上杉明日香は、急いで通りに飛び出して、悠馬が走り去った方向に視線を移した。
「あの子って春日中学の生徒?」
明日香がつぶやく。そこへ制服警官と中年の女性が通りかかった。明日香は知らなかったが、先ほど悠馬に声をかけた本署の警察官だった。
「この道に入るのをハッキリ見ました。春日中学の生徒ですので、すぐ近くです」
「本当に義母がご迷惑をかけて。もしそれで学校に遅れたりしたら申し訳ありません」
「目立たないですが、母親と一緒にボランティア活動に参加している親切な少年です」
「まあ、そうでしたか? 朝井くんでしたね。そんな子に見つけてもらって、義母も本当に幸運でした」
「彼のような人間ばかりだと、私たちの仕事も楽になるんですがね」
ふたりが明日香の前を通り過ぎていく。明日香は心の中で何度も名前を呼んだ。
「春日中学の朝井くん、朝井くんね」
明日香が歩き出し、スナックの前の通りから見えなくなった頃、一台の高級車が停車した。
後ろの席には不機嫌な表情の黒薔薇アリスと美園花蘭がいた。
「どうなってんの? あなた、人選間違えたんじゃない。これから上杉に用心されるじゃん」
「黒薔薇さんは黒薔薇財閥後継者ですよね。ご存知じゃないですか? 成功までには色々あるものです」
「何かあったら倒れそうなマンションに、パートの母親とふたり暮らし。父親は不明。だいたい王道に入れるような生徒じゃないでしょ。あんなヤツが私にひざまずかないなんて許さない」
アリスは明日香が歩き去った道を、憎しみのこもった目でにらみつけていた。
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