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明音の手の緑茶
明音の薙刀の切先は、今までと同じように樫の木の手前で止まっていた。
台風のような巨大な風が、宙を裂くうねりと共に吹き荒れる。
森中の木々が左右に揺れた。無数の木の葉が宙を舞う。前方が見えないほどだ。
地鳴りが響き渡り、あたりが大きく揺れた。
メキメキメキ
樫の木が無気味な断末魔のうめきをあげる。音は天地に響くほど大きくなっていく。
高さ三十メートル以上の樫の木に大きな亀裂が入った。
そのまま真っ二つに裂け、左右に倒れた。
明音は表情も変えず、この様子を見つめている。
悠馬は思わず大きく拍手をしていた。
明音が驚いてこちらに目を向ける。
「す、すみません。あまりにも素晴らしかったので……」
「君は見てたのか。一瞬、確かに空気が揺れたが、その後は人の気配がしなかった」
「練習のお邪魔をしてはいけないと思って、動かないようにしていたんです」
「そうか、道理で。心遣い礼を言う。私のことを言葉だけで賞賛する人間は大勢いる。だが心から私の武芸を尊重してくれたのは、君が最初のような気がする。君は一年生か?」
「はい。一年特進クラスの朝井悠馬です。ずっと緊張しながら拝見していました。今でもドキドキしています。京文字先生の素晴らしい薙刀を拝見出来て感激です」
明音は悠馬の感激した表情に心を動かす様子もない。悠馬に背を向け、近くに置いてあったクーラーバッグから水筒を取り出す。顔の下半分を覆う布をずらし、水筒に口をつける様子が見えた。
「なくなってたとは……。しかたあるまい」
明音の小声が聞こえた。悠馬はあわてて声をかけた。
「あの……」
「何か用か」
「これよかったら」
悠馬はペットボトルの緑茶を、恐る恐る差し出す。
「買ったばかりです。まだ冷えています」
明音はしばらくその場に立ち尽くしていた。時間にしたら三十秒前後だった。再び顔の下半分を白の布で覆い、ゆっくりと振り返る。
悠馬の差し出すペットボトルの緑茶を受け取る。
「素晴らしい薙刀の技、本当にありがとうございました」
悠馬は大きく頭を下げると、旧校舎に立ち去った。
明音は何も言わずに悠馬を見送った。ただし悠馬が見えなくなると、まだ冷たいペットボトルを頬にくっつけ、しばらくそのままでいた。それから無言のまま、ペットボトルを袖に入れた。目元にかすかに笑みが浮かんだ。
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