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卑劣な行為は許しません
旧校舎というのは放課後、文化部の活動に使われているが、それ以外は誰もいない。
悠馬は旧校舎に入ると、すぐ左手にある旧応接室に入った。大きなソファにもたれ、ひとりで手製のおにぎりを食べ、読みかけのミステリーに目を通していた。すぐそばに次に読むミステリーの文庫本を置いている。ブックオフで購入したものだった。
父の保険金や退職金は大事に使わねばならない。本を買うのもなかなか大変だ。高校では原則、アルバイト禁止なので、悠馬ったら、新聞やミステリー雑誌のオピニオンコーナーなどに投稿し、せっせと図書カードを稼いでいた。
突然、複数の声が聞こえてきた。
「態度悪いじゃない?」
「私、自分のノートを人に見せるのはイヤだから貸さない。コピーもお断り。宿題とかテストとか自分の問題でしょう。自分でしっかり授業受けて」
「お~い、上杉」
「ちょっとはクラスのみんなに協力しろよ」
「ノート見せる義務なんてない。それが義務だというなら先生に報告したら。早く職員室に行ったらどう。先生、何て言うだろう」
「あんたね、そんなことばっか言ってるとみんなに嫌われるよ」
「もう嫌われてるよ、こいつ」
「いつまでもボッチじゃないか」
「いい加減にしてよね」
「どうして嫌われるの? 私、全然分かりません」
女子と男子の声が入り交じって聞こえる。
「おいっ」
「お前なあ、どうなってもいいのか」
「ここ学校でしょう。変なこと言わないでよ」
声は小さく弱々しいけれど、高貴な響きが漂う女性の声だった。悠馬はソファから立ち上がった。
「私はあなたたちのパシリにはならない。教室に戻るから」
女性の声は、悠馬の胸に強く響き渡った。悠馬は応接室を飛び出し、正面玄関へ急いだ。
五人の女子生徒、ふたりの男子生徒に囲まれていたのが、上杉明日香だった。
七人は悠馬を見てポカンとする。
明日香ひとりだけが、悠馬の顔を見てニッコリと微笑んだ。悠馬には不思議に思った。あのとき、悠馬は一瞬、明日香の顔を見ただけだったので、明日香のことなんか覚えていなかった。
旧校舎の前にいるのは、全員、二年の生徒だった。
「おい、一年生」
「この不審者」
「ここで何してるんだ」
「隠れてR18の本を読むのは、立派な犯罪だぞ」
「ぼ、僕は一年二組の朝井悠馬です」
「だから何してるって聞いてるじゃない」
「答えろよ」
悠馬は先輩たちに囲まれた。全員が悪意に満ちた表情で、悠馬をにらみつけている。どう考えてもまずい状況。悠馬は極度に緊張している。
朝井悠馬。弱虫で臆病で気が小さい。
けれども絶対に不正を許すことだけは出来ない。七人に囲まれていた明日香が、悠馬を見つめている。ここは絶対、負けられない。
悠馬は、真っ青な顔で口を開いた。
「僕、今から職員室へ行くところでした」
「何だと?」
「お、おい。何しにいくんだ?」
悠馬はガクガク身体を震わせながら叫んでいた。
「今、聞いたこと、全部生徒指導の草野先生に報告します。それじゃあ」
七人の二年生の表情が、仁王と夜叉に変身した。このまま、怒りの表情で、悠馬につかみかかってくるかもしれない。そうしたら悠馬は、明日香を助けるどころか、自分自身の明日が来るかどうかも分からない。
危うし、悠馬。
だが次の瞬間、七人の生徒は顔を見合わせていた。そのまま、足早に旧校舎の玄関から去っていった。
緊張の糸がほどけた。
そのまま悠馬の身体はヘナヘナと崩れ落ち、地面に叩きつけられるところだった。
もし上杉明日香が、お姫様抱っこしてくれなかったら……。
「朝井くん、カッコよかったよ。やっぱり私の王子様だった」
この言葉、夢の中の悠馬は、決して聞いていない。
そしてもうひとつ、悠馬が気づいていないことがあった。
京文字明音がそっと旧校舎の陰から様子を伺っていたことである。七人が逃げ去るのを見届けると、その場を離れて校舎に向かった。
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