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月日が経つというのは本当に早いものだ。結婚してからの22年という時間も、過ぎてしまえば瞬きのように一瞬だった気もする。
夫は昨年に病死し、広い旧家には私と萌歌だけが残された……と思ったのだが。
ある日、萌歌が「会って欲しい人がいる」といって、一人の男性を連れてきたのだ。爽やかな笑顔。
「萌歌さんと結婚したいと思っています」
と、恥ずかしそうに下げられた頭に亡き夫の面影を見る気がして、何だかとても幸せな気分になった。無論、私に異存なぞない。
更に『これで我が家も遂に一人暮らしか』と思っていたのだが、驚いたことに萌歌が「この家に住みたいと思う」と言ったのだ。彼氏の男性も「よろしければ是非」と。
「私のことは気にしなくていいんだよ」と体裁を整えはしたものの、心中ホッとしたのも事実だった。
何故なら、長い年月は私の身体から健康の二文字を削ぎ落としつつあり、こともあろうか義母と同じ狭心症の発作を抱える身となっていたからだ。
最初に救急車で運ばれて医者から狭心症の診断を受けたとき、私は『これが報いを受けるということか』と天を仰いだものだ。
まさか同じ病を身に受けるとは。
だから私にとって『家に一人でいる』というのはとてもリスキーなことなのだ。だから萌歌が彼氏を「そういう理由だから」と説得してくれたらしい。正直、涙が出るほど嬉しかった。
やがて、萌歌に子どもが産まれた。健康な女の子だった。私にとっても初孫である。嬉しくないはずが……あった。
何処をどう遺伝したらそうなるのか。
生まれたての『その顔』はどう見ても、あの『姑』そのものだったのだ。いや、少なくとも私の目にはそう映った。
赤子を相手に無邪気にはしゃぐ萌歌とその夫を前にして嫌なことは言えないが、私にはまるで姑に地獄の底から這い上がってこられたような気がした。
いなくなったはずなのに。永遠に会わずに済むと安心していたのに!
だが、あくまで血の繋がりがある以上は遺伝というものを否定はできない。孫に責任はないのだ。顔が似ているのは致し方ないと飲むしかなかった。
萌歌は孫に『綾香』と名付けた。『綾』の1字はあの姑の位牌に書かれた文字から取ったという。私は、あえて何も言わなかった。何か操られているかのような不気味さを感じて何もいえなかったのだ。
そして、両親から愛されながら『綾香』はすくすくと育っていった。
その、ひとつ々の仕草に死んだ姑の面影を見せながら。
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