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「ただいまー!」
萌歌が明るい声で玄関のドアを開ける。幼稚園へ迎えに行った帰りだから、家には『誰』もいない。……生きている人間は、だ。
「はーい、ただいまだねー」
私は表面上そう言い繕って作り笑いを浮かべて見せる。それが日常。
きっかけは、小さな仏壇に収まっている義母の位牌を見て萌歌が「何?」と聞いたことだった。義母は萌歌が1歳のときに他界したから、覚えてはいない。私も思い出したくなかったし。
だが、そこはそれでも嫁らしく格好をつけて「萌歌のおばあちゃんがここにいるんだよ」と教えたのだ。
そうしたら子供らしく素直に『家には常に祖母がいる』と思い込んだのだろう。次の日から帰宅したとき例え家に『誰もいない』ときでも「ただいまー」というようになったのだ。
夫は微笑ましく思っているようだし、それ以上どうこうという物でもないので黙っているが。
私は一人娘である萌歌の、その『ただいま』が堪らなく嫌だった。そう、泥のような吐き気を覚えるほどに。
義母は典型的な嫁いびり姑だった。
『私に至らないことがある』のではない。『嫁いびりをすること』自体を趣味にしていたのだ。だから言っていることが首尾一貫しないこともしょっちゅうだった。昨日ガンガンと怒鳴ったことと真逆のことを『いつも言っているでしょう!』と怒鳴りつけるなんて普通にあった。
夫が間に入ると2~3日は大人しいが、またすぐに元に戻る。そしてやり口が日を追うごとに、獲物を狙う蛇のように陰湿になる。
ご近所にあり得ないレベルの嘘八百を撒き散らして貶めようとするのもいつものことだし、私の食器をわざとゴミ箱に捨てたときの『ざまあみろ』と言わんばかりの嘲笑は今でもしっかり覚えている。
無論、離婚も考えた。
こんな暮らしが続けばこっちの神経が参ってしまうからだ。……だが、当時すでに私のお腹には萌歌がいたし、シングルマザーでやっていく自信もなかった。葛藤に苦しむ日々。それと。
実は義母には狭心症の持病があった。だから常に台所にはニトロが常備されていたものだ。
稀に発作を起こして苦しむときがあって、そういう場合は『それでも人間の命だ』と思って「ただいま行きます!」と、ニトロを持って義母の元に走ったものだ。
しかし、義母からは『遅い』だの『わざと遅らせた』だのと感謝どころか文句しか返ってこなかった。
だが私はあえてそれでも黙って発作のたびに「ただいま!」と、ニトロを持って走った。『実績』を作るために。
そして『その日』。
義母が2階で発作を起こして私を呼んだのだ。そこで私はいつものように「はい、ただいまお持ちします」と言って。
そのまま放置した。
2階からは悲鳴とも哀願ともつかぬ声がしていたが、知らん顔を続けた。もうその頃には溜まりに溜まった鬱憤のせいで何の罪悪感も感じていなかったから。
そして『静かになってから』、救急車を呼んだ。
「気がついたら倒れていた」と私は救急隊員と警察に証言した。
殺してはいない。そう、ただ『遅れた』というだけだ。
そして私の生活に、夢にまで見た平穏が訪れたのだ。
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