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後編
数日後、待ちに待った夏休みが始まり、俺と清宮そして、だいちゃんこと中田大輝の三人は小さなバスに揺られていた。昨日は雨が降って、どうなるか心配だったが、幸運にも今日は晴天だった。
俺達はバスの一番後ろの列を占拠し、真ん中を俺達、両端に荷物を座らせている。ほとんどがだいちゃんのキャンプグッズだ。今回の道具のほとんどはだいちゃんが用意してくれた。
清宮の家での出来事の後、だいちゃんにキャンプの話を持ち出すと、すぐに飛びついた。どうやらだいちゃんも俺たちをキャンプに誘うつもりだったようで、計画はとんとん拍子に進んだ。場所は俺達の高校からバスで一時間ほどの距離にあるキャンプ場に決まった。川が美しいらしく、様々な種類の魚が生息しているそうだ。その他色々な事をだいちゃんが説明していたが、キャンプに関しては素人の俺は全く理解できなかった。
ちなみに、だいちゃんには清宮の事情は説明してある。だがだいちゃんは「ふぅん」と、信じたのか信じていないのかよくわからない反応をしただけだった。
そんな調子で俺達は目的地の山に向かっている。かれこれ四十分はバスに揺られているので、そろそろ飽きて来た。最初の方は先生の悪口の話で花を咲かせていたが、会話が途切れ、みんな窓の外を眺めていた。
退屈だ。聞こえるのはバスの走る音と、二つほど前の席に座る——親子だろうか——若い父親と小学生ぐらいの男の子の話し声だけだ。
沈黙に耐え兼ね、ずっと気になっていた事を聞いてみる。
「そういえば、清宮はどうしてあんな体質になったんだ? 別に言いたくなければ答えなくてもいいが……」
俺は清宮のもとに顔を乗り出して聞く。だが、肝心の清宮は外の景色を眺めていたので、俺が質問していたことに気がつかなかった。
「……ん? あーこの体質の事か。話すと少し長くなるがいいか?」
「まあいいぞ」
清宮の口から出てきた話は、奇妙で、にわかには信じがたいものだった。
「僕は生まれた時はこんな体質じゃなかった。こんな体質になったのは、確か五、六年前。僕が小学生ぐらいの頃だ。あの事が起きる前までは、他の子と同じように、水遊びが好きで泳ぎも得意な、普通の子どもだった。それじゃあ、あの事について話そう」
思わず唾を飲み込む。
「その日は今日みたいな蒸し暑い日だった。五年前にしてはかなり熱いほうで、僕は扇風機の風をかぶりつくように浴びていた。そんな中、近所に住んでいた村田ってやつ——知らないか? 近くの高校に通っている……いや、お前は知らないな。……まあいい。とにかくその村田ってやつは川遊びが好きで、頻繁に友達を誘って近所の川に行っていた。今回は僕も誘われ、集まったのは僕と村田と他二人だった。そのまま僕たちは川に行って夏の暑さを紛らわした。水鉄砲を持ってきたり、魚取り網を持ってきたりしてはしゃいでいた」
俺の家の近くではそんな事は出来無かったなぁ、と思った。俺の家は住宅地にあり、清宮のように気軽に自然に触れ合えるような環境では無かった。清宮の話を、羨ましがるように想像する。
「それで僕たちはいつも通り、遊んでいた。……その日は……誰だったかな……まあいい。誰かが魚を取ろうと言い出して、魚取りをみんなでやっていた。誰が一番大きい奴を釣れるか勝負していた。みんなのバケツに魚が溜まってきた頃、ぽつぽつと雨が降り始めた。さすがに小学生の身でも、雨が降っている時に川遊びをしては危ないことぐらい分かっていたので、雨が止むまで川から離れた場所で雨宿りをすることにした。だがいくら待っても止む気配は無い。そのうち、近所のおじいさんが『天気予報じゃあ、この雨は明日まで降るらしいぞ』などと言い出し、しまいには雷まで落ちて来たので、みんな釣り道具をほっぽり出して、家に帰って行った。道具は明日取りに帰ればいいと。……異変はそこから始まった。
帰り道、村田が僕に向かって、『お前、傘も無いのによく濡れないな』と。言われてみれば、確かにそうだった。この雨で傘を差さなければ、ものの数分でずぶ濡れになるはずだが、僕は全く濡れていなかった。
その時は『すげー』ぐらいにしか思っていなかったが、家に帰ると数々の異変が起こった。まず、親に濡れていない事を不思議がられたし、喉が渇いて水を飲んでも、一向に乾きが収まらない。更には、急に尻に違和感を感じ下着を見ると、尻の辺りがぐっしょりと濡れていた。その時は漏らしたのかとからかわれたが、今考えてみれば身体が水に触れられなくなったおかげで、飲んだ水が吸収されずに、食道を通ってそのまま出てきたのだろう。家に帰ったその日は違和感を覚えながらも、大きな問題は無かった。
だが翌日、問題が起きた。昨日から続く乾きが一向に収まらない。何杯水を飲んでも、尻から水が漏れるだけだった。昼頃になれば脱水症状が現れ、頭痛と吐き気が酷くなってきた。だんだんと立ち上がっているのも辛くなってきたので、布団で横になろうとした。普通なら水を飲んで眠っていれば治りそうなものだが、あの時はいくら水を飲んでも症状は改善されず、それどころか尻から、吸収されなかった水が流れ続けていた。それに加え、両親は仕事で不在だったので、僕はどんどん弱っていった。唯一の希望は九歳の弟。だが弟も案の定どうしてよいか分からず、慌てふためいていた。その内、吐き気こみ上げ、ゲロを部屋にぶちまけると、とうとう限界に達し、弟は外に飛び出していった。
小学生の身にもわかるほどの死が頭をよぎった矢先、弟が近所に住む祖父を連れて帰って来た。昔から“そういうもの”に詳しかった祖父は、僕を見るなり『祟りじゃ』と言った。続けて『川の主の怒りを買ったな。洋太郎、昨日川で遊んだな?』とも。祖父に川で遊んだことを伝えた覚えも無いし、あとで弟に聞いても『おじいちゃんには何も言っていない』と言っていた。とにかく祖父は僕に何が起きているかを一瞬で見抜いた。
そうして、祖父は「こうしちゃいられん」と言って僕らを置いて外に出て行ってしまった。小一時間後、祖父は両親と近くの神社の神主を連れて戻って来た。既に説明は済ませているようで、両親は泣くばかりだった。その頃には 僕は限界を迎えていて、そこで意識を失った。
目が覚めると、僕は病院にいた。ベッドの周りには両親がいて、僕の腕には点滴が繋がれていた。意識を取り戻したことに気が付いた両親に泣きながら抱きしめられ、ひとしきり喜んだあと、眠っている間に何があったか教えてもらった。
あの後、祖父は神主さんと共に倒れた僕を川に連れて行った。両親は遠くからしか見せてもらえなかった為、詳しくは不明だが、所謂お祓いのような事をしていたらしい。祖父はお祓いをしている最中、何かと会話しているようだったそうだ。やがてお祓いが終わりを迎えた頃、救急車が僕を回収していった。
祖父によるとお祓いは成功したそうだ。だが、呪いは完全には解けなかった。祖父の決死の“交渉”によって辛うじて水だけは飲めるようにしてもらったそうだ。
これがこの呪いの全てだ」
俺は清宮の話を聞き入っていた。清宮の話は、にわかには信じがたい嘘のような話だが、不思議と信じそうになる独特な雰囲気があった。
「……そもそも何でお前は呪われたんだ?」
「祖父が言うには、僕は川の主の子を川遊びの時に捕まえていたのではないか、との事だ。主の子を捕まえるだけならよかったが、捕まえていた主の子をバケツに入れたまま帰ったのが良くなかったらしい。それで主の子は死に、怒った主は僕に水に触れられない呪いをかけたそうだ」
「……なんか、あっさり許してくれたんだな」
「いや……主の怒りを治める為に祖父は——」
その時、バスがキャンプ場についた。
「さて行くか」
清宮は立ち上がり言う。
話の続きが気になったが、帰りにしてもらえばいい。今はキャンプ場を楽しみたい。
「さてついたぞー!」
バスを降りるとそこには自然が広がっていた。俺は大きく伸びをして、自然を眺める。
キャンプ場はとても静かで綺麗な場所だった。木々は夏である事を忘れさせるほどに、涼しげに揺れている。川の水も透明で、見ているだけで心が安らいでいく。魚も何匹か泳いでいるのが見えた。
俺達の他には、バスにいた親子と、既にキャンプ場にいた数人の若者だけだった。人が少ないのはだいちゃん曰く、「穴場だから」だそうだ。穴場である理由は見た所、来るのが面倒だからだろうか。こんな田舎に来てまでキャンプに行く者は少ないだろう。
俺がエモい気持ちになっている間に“キャンプマスター”だいちゃんは、手際よく椅子や調理器具を準備していった。
「さて、いよいよ待ちに待ったキャンプを始めるとしよう。手始めに昼飯だ。オレは料理の下ごしらえをしているからお前らで魚を取ってきてもらおう。……種類は何でもいい。美味しそうだと思った奴を捕まえてこい。さぁ清宮、お前の力を見せて貰おう」
だいちゃんは普段はしない、気取った話し方で指示を出す。こいつはキャンプや生物の授業など、自分が好きなものの時だけ、こういった調子になる。出会った当初はうざったらしい事この上なかったが、馴れると案外気にならない。
「あいよ……ほら、いくぞ」
俺は清宮と共に網を持って川に向かう。
川に向かうとそこには先ほどの親子がいた。子供が川で水遊びをし、父親が川岸でそれを見守っている。俺達はそこから少し上流のほうで魚を捕まえることにした。
靴をそこらに置き、靴下を脱いで裸足になる。裸足になると、ごつごつとした石の感触が直に伝わり、何とも言えない感覚になる。
「さて、入るぞ……」
清宮はいつの間にか水着に着替えていた。水に濡れないといっても服は濡れる。
清宮は足先から水につけていく。俺もズボンの裾をまくって川に入る。銭湯の水風呂に近い温度で、少し冷たく、思わず顔をしかめる。清宮を見ると、なんてこともなさそうにずかずかと入り込んでいた。
「……この感覚は慣れないな」
清宮は無感情に呟く。
やがて得物を見つけた清宮は水面を睨みつける。俺はその一部始終をじっと見つめていた。
「……」
沈黙を破り、清宮は川に勢いよく手を入れる。清宮の手は水に邪魔されることなく、魚を掴んだ。川から手を抜くと、水に濡れていない清宮の手と、水滴を弾き飛ばしながら清宮から逃れようとする一匹の魚が現れた。見ると、恐らく鮎だろうか。体長は二十センチほどで、そこそこの大きさだ。
「やったな」
「うん」
清宮は眩しい笑顔でほほ笑む。ここ最近で一番の笑顔だ。
「初めてこの力が役に立った。物を拾う時みたいに簡単に魚を捕まえられる」
「どうだ? なんか捕まったか?」
テントに戻ると、だいちゃんは昼ご飯を作っていた。料理の旨そうな匂いがする。
「何を捕まえたんだ?」
「ふふふ……」
俺達は両手のバケツ一杯に入った大量の魚を見せつける。軽く数えても十数匹もいる。
「ほう! 凄いなこりゃ。……だがこんなに食べれるのか?」
俺達ははっとした。魚を取るのに夢中になって、自分たちの食べる量を考えていなかった。
「さてどうしたものか……」とだいちゃんが考え込んでいると、川の方から「助けて!」と声がした。声の方を見ると、先ほどの小学生が川で溺れかけていた。
「清宮! あそこで子供が溺れている!」
「なんだって⁉」
清宮はそう言うと、子供の元へ向かおうとした。
「おい! 清宮!」
「何やってんだ! 早く救助隊を呼べ!」
清宮は今まで見たことのないくらい、鬼気迫った表情をしていた。
「お前は?」
「……この力なら……あの子を助けられるかもしれない」
そう言うと清宮は川に向かって行った。
救急隊を呼んだが、来るのに二十分はかかると言われた。連絡を済まし、居ても立っても居られなくなった俺は清宮の元に向かった。
「清宮!」
川を見ると、子供が岸から離れた所で溺れている所だった。川の水は先ほど見た時よりも茶色く濁っていた。どうやら、子供は川が急に深くなる場所で溺れたようだ。先日だいちゃんが言っていたのを思い出した。子供はだんだんと力を失っていき、今では弱弱しく水を搔いている。そして、たった一人で川を進むのは清宮だった。
清宮は川の流れをものともせず、一直線に子供の元へ向かう。
「待ってろ! 今助ける!」
「がぼっ! がぼっ!」
子供は今にも川に沈みそうだ。もう少しで沈む。そう思った矢先、子供の身体が安定した。
「大丈夫か?」
清宮は救い上げた子供に問いかける。びちょびちょの子供は暫くの間パニックを起こしていたが、やがて落ち着き「ありがとう」と言った。
その言葉で清宮に笑顔が浮かんだ。そのまま清宮は川岸に向かって歩いてくる。
「本当にありがとうございます」
子供の父親が子供を受け取った。
「パパ!」
子供は父親に抱きつき、泣き始めた。
その瞬間。清宮が突然バランスを崩して川に倒れた。そのまま短い悲鳴をあげたと思うと、びちょびちょに濡れた両手を水面から出しながら川に流されていった。——恐らく、子供を助けた事で川の主とやらに過去の罪が許され、呪いが解けたのだろう。……最悪のタイミングで。念願の水と共に清宮は下流に消えた。
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