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山に関連した季語は、四季それぞれにある。秋は紅葉で『山装う』。冬は草木も動物も活動が不活発になるから『山眠る』。春は新緑が爆発的に萌えるイメージで『山笑う』…。
「で、夏は、『山滴る』。緑が鮮やかで瑞々しさが滴るようだということよね?
何か変かしら?」
細心の注意を払って、普通のサラリーマン家庭の子というつもりで過ごしているから気づかれてはいないとは思うけれど、実は私はいわゆるお嬢様。それもかなりの。だから、幼いころから季語などは会話の折々に教養として挟み込むものとして教え込まれてきた。逆に言うと、幼いころから季語は丸暗記しているから、それを変と思うことはなかった。
鵜飼さんも、公言しているわけではないけれど、話し方や立ち居振る舞いがお嬢様っぽい。似た者同士かなと思っていたけれど、同じお嬢様でも、感じ方が違うということかしら。
そんなことを考えていると、だって、そうじゃありません? と鵜飼さんが話しはじめた。
「他は、山を江積さんに置き換えても、不自然じゃないでしょう? 江積さんが、笑う。江積さんが、装う。江積さんが、眠る。ね? でも、江積さんは、滴らないじゃない?」
「江積さんは、滴らない…」
なんか謎なドラマのタイトルみたい。というか、どうして私に置き換えるの? と思いつつ、
「つまり、夏の季語だけ擬人化になっていないということ?」
と聞いてみると、
「おう、そう、それそれ!」
と、突然、お嬢様らしからぬ言葉が、鵜飼さんの口から勢いよく飛び出した。
「え? おう?」
面食らって思わずそう言うと、鵜飼さんは、あら、失礼、と赤面し、
「その、これは、そう、ずっとお世話になっている英語の家庭教師の口癖で」
と言った。なるほど、『応』じゃなくて、『Oh!』だったのね。
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