Side 鵜飼 寧音

2/2
前へ
/4ページ
次へ
「おばあさまに『山笑う』という季語を教えていただいて、そのとき、笑うはずのない山が笑うってどいううこと? って思ったんだけど。その夜、山の麓にいる夢を見たの。  夢の中で、あれ、ここどこなの? って思ったときに、突然すごい笑い声が聞こえてきて。見たら、目の前の山が大きな口を開けて笑っていたの。目も鼻もなくて、口だけがあって、その口がどんどん大きくなって、食べられる、と思って怖くて逃げようとしたときに、その口に飲み込まれて、ああ、もうだめだ! と思ったところで目が覚めた」 「それは…怖いね」 「ええ」  知識が乏しい小さいころは、大人には何でもないようなことがすごく怖かったりするのよね。そう思いながら、幼稚園のころ“おばあさま”から教えていただいたってことに、ちょっと違和感を覚えた。江積さん、もしかして私みたいなザ・庶民じゃなくて、よいおうちの子? だとしたら、そんな人の前でお嬢様っぽく振舞っている自分、めちゃ(ハズ)なんだけど…。  そんなことを考えていたら、 「鵜飼さんは、そういうことなかった?」  と聞かれた。  そういうこと? ああ、怖かった思い出? あったあった。思い出した。         *** 「小学生くらいのころ、熱を出して学校を休むことがよくあって」 「あら」 「兄弟はみんな学校で、父と母は仕事だし、お昼過ぎくらいに目が覚めると、自分一人が家にいて、怖いくらいに静かだから、音が欲しくてテレビを点けるのね」 「ええ」 「そうすると、よくマイナーな映画をやっていたりしたの。いわゆるB級ってやつ。それを見るともなくぼんやり見ていんだけど、ある日見た映画がすごく怖くて」 「え、どんな?」 「映画の終わりのほうで、経緯はよくわからなかったんだけど、森の中に女の子がいて、大きな鹿に睨まれて、で、その鹿の群れがその女の子のほうに、じりじりと向かって行くのね」 「鹿の、群れ?」 「そう、それも何十頭とかじゃなくて何百頭レベルの群れ。女の子が逃げ出すと、一気に猛スピードで追いかけていくの。女の子は半泣きで必死に走って逃げるんだけど、どんどん距離が詰まっていって、最後には追い付かれて、で、そこで映像が途切れるの。多分、踏み殺されたよねって感じで」 「うわああ」 「ずっと、逃げてぇぇ!! って思いながら見てたのに、踏みつぶされて。ほんとにめちゃ怖かった。で、その後、場面が切り替わって、男の子が、僕は彼女を探し続けますって言うシーンで映画は終わったんだけど。その彼女が、どうも踏みつぶされたのとは別の子みたいで。だから、全体通してみたら、もしかしたらロマンチックな純愛映画だったのかもだけれど、あの鹿の場面だけ見た私にとっては恐怖のスプラッター映画以外の何ものでもなくて、それから3日3晩、うなされたわ」 「そりゃ、うなされるわね。映画のタイトルは?」 「確か、わが青春の何とかってやつで、やっぱり純愛映画だった? と思った記憶があるけれど、正式なタイトルは思い出せない」 「よっぽど怖かったのね…」 「でもね、その映画を元にしたという曲があってね、それがすごくロマンチックで幻想的で美しい感じなの。やっぱり、女の子が突然消えるみたいな歌詞で。見る人によって印象って変わるのね、と思った記憶があるわ」 「ふぅん。映画は怖そうだけど、曲はちょっと聴いてみたいかも」 「…あれ? なんでこんな話になったんだっけ?」  すっかり冷めたコーヒーを見て、急に我に返った。美しい朝を楽しんでいたのに、小さいころの怖い思い出の話になっている―。 「山がどうのってことから、ちょっと脱線したわね」  笑いながら江積さんが言った。これがほんとの、四方山話ね、と。 FiN
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加