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笑って
翌日も私たちはそれまでと同じように過ごした。今日がおそらく最後の日だということは、あえて意識せずに、ただ陽夏がいたころの日常を噛み締める。
やがて日が落ち薄暗くなると、陽夏は目を擦り『眠い』と言った。その指先が色を失い、かすかに透けているのを見て、私たちはお別れの時間が来たのだと知る。覚悟はしていたつもりなのにやっぱりそれが怖くて、こうすればまた色を取り戻すのではないかとかすかな望みと強い祈りを込めて、私と夫は両側から陽夏を強く抱きしめた。
だけど陽夏の色は戻ることなく、急速にその存在が淡くなっていく。とうとう繋いだ手の感触が消えたとき、陽夏はか細い声で呟いた。
「パパ、ママ。……ごめんね」
涙交じりに震えるその声に陽夏の顔を見つめる。悲しげなその顔を見て、私は自分に言い聞かせた。
笑え。私は陽夏からたくさんの幸せをもらった。だから今は陽夏のために、笑おう。
そして唇を噛み締めたあと、陽夏に笑いかけて言った。
「ママこそごめんね。もう大丈夫。陽夏のこと、これからもずっとずっと、大好きよ」
「陽夏。パパもママも、陽夏に会えて本当に嬉しかった。会いに来てくれてありがとう」
そのとき陽夏の顔はほとんど透けてかすかにしか見えなかったけれど、確かに微笑んでいた。
「行ってきます」
小さく聞こえた声。最後に聞いた陽夏の声だった。
「行ってらっしゃい」
一年前のあの日とは違う思いでそう言った。もう帰ってはこない小さな温もりに。生まれ変わりや来世なんてものがあるのなら、いつかまた会える希望を胸に。いつか、陽夏が新しい命となって幸せになることを願って。
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