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「着替えておいで。もうできる」
「うん、わかったよ」
にこりと笑い、彼は自室へ入っていった。
さて、と僕はコンロに向き直る。玉ねぎとスパイスを炒めていた両手鍋に、グツグツと煮えたレンズ豆を煮汁ごと静かに注ぎ入れた。ブクブクとスープが湯気をたてる。木杓子でゆっくり混ぜながら台所下の収納からフライパンを取り出し、マスタードオイルとクミンシードを入れて弱火にかける。
部屋着に着替えたカマルが再び台所にやってきた。
「チャパティ焼いて」
「はーい」
彼は腕まくりすると、棚からアタを取り出しボウルにあけた。そこに粉と同量の水、少しの油と塩をひとつまみ入れ捏ねていく。表面がツルリと綺麗になるまで捏ねてひとまとめにし、ちいさく千切ってゴルフボールくらいの大きさのものを幾つも作る。
その様子を横で見ながら僕はフライパンの火を消し、クミンシードがパチパチ音をたてる熱い油を両手鍋の中のダルカレーに注いだ。
ジュゥゥゥ!
大きな音をたてて湯気が立つ。
火傷しないようにゆっくり木杓子で混ぜると、いい香りがふわりと辺りに充満した。すかさずカマルが、空いたフライパンで先程丸めた生地を薄く伸ばしたものを焼き始める。
「ダルとチャパティがニホンのいえでたべれるなんてサイコウだよ!」
「ふふっ、カマルのお陰だね」
実は付き合い始めた当初、彼は全く料理をしなかった。これも文化の違いで、インドでは仕事が料理人でもなければ男性は料理を作らないそうなのだ。台所は女性が入る場所という概念がある。ずっと一人暮らしをしている彼、それまで食事はどうしていたのかと聞くと、出来合いのものを買って食べていたり、顔馴染みのインド料理屋に通って食べていたようだ。
元々あまり動かない仕事ゆえ、そんな食生活をしていた彼の身体はスクスクと育ってしまった。しかも彼は全く気にしていない。(インドでは恰幅が良い=裕福の象徴と考えられている為)
このままではいけないと一念発起した僕は、彼の為にインド料理を勉強し、作り始めたのだった。初めて出したチキンカレーを食べた時の彼の表情は今でも忘れない。
それでも最初は全く手伝う気配が無かった。
しかし付き合いが深まるごとに彼も次第に手伝うようになり、今ではチャパティを作るのなんかは僕よりずっと上手くなっていた。
手際良くどんどんチャパティを焼いていく彼。
タイミングを見計らって僕はダルカレーを三分割された銀色のトレーに注いだ。更に冷蔵庫からパニール、きゅうり、人参を出し、適当な大きさに切ってダルの隣にのせる。一番大きな部分にカマルが焼けたチャパティを乗せていき、あっという間にワンプレートディナーが完成した。
「さ、たべよ!」
テーブルの上に置き、早速料理に手をつけようとする彼。
「待って、カマル!」
僕が手を併せる動作をすると、彼もハッとして僕の動作を真似た。
「「いただきます」」
アツアツのチャパティをちぎり、できたてのダルカレーに付けて口に運ぶ。豆のトロミ、旨味、そして程よい塩味はホッとする味で、素朴なチャパティに良く合う。毎日でも飽きずに食べられそうだ。ふと、以前彼がダルカレーはインドの味噌汁のようなものだと言っていた事を思い出した。
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