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 壮一は、人生を山に例えると、頂上に着くのは六十歳だと思っていた。こつこつと働いて定年で退職する。頂上に着いたならば、あとはゆっくりくだるだけ。登ってきた時よりもゆっくりと、景色や四季のうつろいを感じながら下山し、終わりを迎える。そして、その隣には長年連れ添った妻・由里子がいるものだと信じて疑わなかった。  ところが由里子にとってはそうでなかったらしい。定年退職するその日に家を出ていくなど、なんて冷たい女なのか。部下から貰った花束がやけに重い。この花を花瓶に活けてくれる由里子はもういないのだ。壮一はため息をつきながら、シンクへとその花束を置いた。  スーツを脱ぎ、それをソファへと放り投げる。冷蔵庫を開ければ驚くほどなにも入っていなかった。側面に調味料の類が並んでいるだけで食材はなにもない。改めて由里子が計画的に事を進めていたのだとわかり、壮一は力任せに冷蔵庫の扉を閉めた。  どうせすぐに戻ってくるに決まってる。仕事を見つけたと言っていたが続くものか。娘が生まれるまでは由里子は働いていたが、それ以降はずっと専業主婦だったのだ。そんな女が五十半ばからまともに働けるものか。なにが一週間だ。一週間もしないうちに泣きをいれてくるのはそっちのほうではないのか。絶対そうに決まっていると壮一は薄く笑いを浮かべ、やれやれと大袈裟に首を振るのだった。
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