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 途端に嫌な気持ちになり、ついさっき沸いたやる気が一気に消失する。どうやら灰皿をきれいにするには洗う必要がありそうだった。思えば、由里子がいた時は、朝になればいつも灰皿はきれいになっていた。夜のうちに壮一が吸った分を由里子が捨て灰皿を洗ってくれていたのだろう。  普通なら、ここで由里子に感謝すべき場面である。しかし、壮一にその気持ちはなかった。口にこそしないが、今まで由里子や娘がご飯を食べてこられたのは誰のおかげなのか。外で働くことは容易ではない。楽しいことばかりではないし、むしろ嫌なことが大半だ。その苦行を自分は何十年も耐えてきたのだ。専業主婦である由里子にはわかるまい。くたくたになって帰ってきた自分を労うのは妻として当たり前のことではないか。だから、灰皿をきれいにするくらいやって当然だと壮一は思う。  しかしながら、その由里子はもういないのである。灰のこびりついた灰皿をテーブルに戻す。そういえば一度だけ由里子に「灰皿に水を入れないで」と言われたことがある。壮一としては確実に消火し、火事になるのを防ぐために必要なことだった。だから、壮一はそれを聞き入れなかった。火事にでもなったらどうするんだと言って──。
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