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3年前の冬、ここ長三郎尾根近辺で友人が行方不明になっているという。その日大規模な雪崩が起き、巻き込まれた可能性が高い。何日も捜索を続けたが彼を見つけることはできなかったという。
何か手がかりがないかと日程に都合がつく限り、毎年この山に登っているということだった。
なるほど。彼女の表情が固い理由が判明した。とにかくどうぞ、と僕はカップに入ったコーヒーを振る舞った。
「すごく美味しいです。良い香り」
挽き立てですからと僕は胸を張った。女性の表情が和らぎ、心もほぐれていったようだ。コーヒーには不思議な魔力がある。
「......彼は大学の同級生だったんです」
「仲がよかったんですか」
彼女はゆっくりとうなずいた。
「同じ山岳部に所属してて。誰よりも速く登れてカッコよくて。みんなの憧れでした」
「へえ」
「私は山岳部に入ってすぐ彼を好きになりました。でもあの人は全然、気づいてくれなくて」
大学卒業後、就職してからも彼は雪山に1人で向かったり、ふらり気ままに山に行ってしまっては連絡が取れなくなって騒ぎになったこともあったという。
「いつも心配して帰りを待ちました。でももう待つことに疲れてしまったんです」
その後、親しくしていた他の同級生に告白されたという。最初は戸惑ったが、優しくて頼りになる人だということは確信していた。彼は一人で山にいくことはしないと誓ってくれた。
2人が恋人同士になるのに時間はかからなかった。
「私たちが婚約したことを報告したのは、彼が光流岳に入山する1週間前のことでした」
登山届を調べると単独登山だということが分かった。職場の人は彼の様子がいつもとは違っていたと言う。仕事でミスが増え、表情は固かった。彼は上司に願い出て有給をとったそうだ。上司も彼の様子を見て休みを取ることに賛成した。
「私たちのせいで、彼はたった1人で山に入ったんじゃないかって」
彼がいなくなったのが、まるで昨日のことのように語った。
「私、どうしても結婚に踏み切れないんです。彼が山に行って帰ってこなかったのは、私たちのせいなんじゃないかって思えて仕方がないんです」
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