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「見て、可愛いでしょ。これおみやげ」
梓は笑顔でそう言うと駿に、小さな鳥のピンバッジを駿に差し出した。女子部員で登った穂高岳の山小屋で買ってきたという。金属製で直径3センチほどの小さなバッジだ。
「冬の雷鳥か」
雷鳥とは本州の高山地帯に生息する、キジに似た小型の鳥類だ。冬期は白い羽毛におおわれている。雪山に生息するための保護色となるためだ。目の端の赤い印が目立つのは繁殖期のオスの特徴である。夏は黒褐色の羽に生え替わる。
「昔の人は雷鳥の羽を拾ったら、お守りとして大切にしたんだって」
山岳信仰のひとつとして語られているらしい。梓は神妙な顔つきで告げた。
「ねえ、本物の雷鳥の羽は無理としても、これ持ってたら雪山で遭難しないんじゃない?」
「遭難なんかするわけないだろ」
駿はぶっきらぼうに言い返した。彼女は駿に断りもなく、駿のザックに雷鳥のピンバッジをくくり付け残念そうにつぶやいた。
「冬の真っ白い雷鳥には会ったことないや」
「会ったら羽をくださいってお願いしてやるよ」
「え、ほんと?」
彼女は花が咲いたように明るく笑った。
勝手に付けられたバッジを外すタイミングを逃したまま、その日から雷鳥を連れて行くことになってしまった。
あの日からもう5年の歳月が過ぎた。いまだに駿のザックにはそのバッジが付いている。だいぶくたびれてはしまったが、すでにザックの大切な一部として、なくてはならないお守りとなっていた。そして彼女自身も、駿にとって特別な存在となっていた。
あいまいな境界線から、痛みの伴う現実へと引き戻されていった。
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