むさしのきすげは五月のかおり

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「じゃあ、次。む、の札だから村井さん、ちょっとチャレンジしてみようか。分かるかな?」 総合学習の時間、先生に当てられた。前の学校では地元の山の名前から「あさまタイム」と呼ばれていた総合学習は転校先の学校では「けやきの時間」ということにはようやく慣れてきた。 「昔を……、間違えました。分かりません」 しかし、現在の単元である転校先でもらった「武蔵府中郷土かるた」の札はまだ全然覚えていないので、間違えて地元の「上毛かるた」の読み札「昔を語る多胡の古碑」を言いかけてしまった。それを聞いた隣の席の舞さんが小さく吐き捨てる。 「群馬アピール、ウザ」 私は舞さんに嫌われている。理由の一つは、転校初日の自己紹介で上毛かるたの大会で優勝したことがあると言ってしまったから。もう一つは、転校生なのにかるたが得意な舞さんに勝って目立ってしまったから。 「東京モンは怖いからいじめられんようにな」 幼馴染の言葉が甦る。頭が良いうえに背が高くて物怖じしない舞さんはクラスのみんなから一目置かれている。しかし、私から見ればかなり怖い。今日の昼休みも、読手をしていて「もえる若葉の浅間山(せんげんやま)」の札を間違えてアサマ山と読んでしまった時も怒られた。 「せんげんやま!ちゃんと覚えてくれないと、記憶の部で勝てないんですけど。やる気あるの?」 この学校では毎年武蔵府中郷土かるたの対抗戦がある。3人1チームの団体戦だ。普通のかるた勝負をする「競技の部」と、読み札を暗唱する「記憶の部」がある。くじ引きで、私は舞さんと同じチームになった。  上毛かるたも武蔵府中郷土かるたも読み札を覚えていなくても反射神経と札の位置が覚えられれば理論上勝ててしまう。しかし、舞さんはそれをよしとせず、2部門両方での優勝を狙っているのだ。 「なんとかカルタの方がレベル高いから札なんて覚えなくても楽勝だって思ってる?そういうの良くないよ」 毎週金曜日が憂鬱で仕方がなかった。 「ねえ、村井ちゃん明日暇?」 もう1人のチームメイトの雪さんに帰り際に呼び止められた。土曜日、塾も習い事もない私は暇だ。 「暇だったらさ、遊びに行かない?引っ越して来たばっかでこの辺のこと知らないでしょ?」 突然の誘いに緊張して声が出なかった。しかし、なんとかコクンと頷いた。 「じゃあ、明日の朝九時に校門前集合ね! 動きやすい格好で来てね。ほら、いつも村井ちゃん可愛い服着てるじゃん」 田舎の野山を駆けまわって日焼けした私の肌より東京の子は色白で、みんな垢抜けているから浮かないように私はいつも頑張ってお洒落をしていた。  翌日、待ち合わせ場所の校門前で集合時刻の20分前から待っていた。約束の5分前に雪さんが来て、1分後になぜか舞さんの姿が見えた。 「村井さんもいるなんて聞いてないんだけど」 「いいじゃん、親睦深めようよ」 「別にいいけどさあ、雪って村井さんと仲良かったの? 初めて知った」 別にいいと言いながらも不機嫌そうな舞さんに気まずさを覚えながら、雪さんについていく。  着いた浅間山(せんげんやま)公園。浅間山のふもとに広がる公園だ。広い雑木林の中には家族連れや散歩しているお年寄り、ジョギングしている大人もちらほらいる。のどかな雰囲気に包まれていた。 「じゃあ、とりあえず缶蹴りでもしよっか。うちが鬼ね。制限時間20分」 雪さんがクヌギの木にくっついて30からカウントダウンを始めた。慌てて大きなコナラの木の陰に隠れる。澄み切った空を眺めて、都会の子も缶蹴りするんだなあとぼんやり思った。一息つくと百合の花と新緑の匂い。爽やかな葉、力強い幹、まだ子供の新芽、優しい香りもエネルギッシュな香りもミックスジュースのように入り混じる。どれだけの木々が今ここで生きているんだろう。 「村井ちゃん、みーっけ」 物思いにふけっていると雪さんの高い声がした。慌てて追いかけたけれど、雪さんは思いの外俊足ですぐに缶を踏まれてしまった。  ああ、また足を引っ張ってしまった。舞さんにもっと嫌われる。そんな心配を余所に、雪さんが目を離した一瞬の隙に、イヌシデの木の陰から舞さんが駆け寄って長い足で缶を蹴った。缶は華麗な放物線を描いて飛んでいった。  缶を追いかける雪さんを背にして逃げようとすると、舞さんに手を引かれた。 「こっち」 怒っているのかもしれない。でも、助けてもらったからには人としてお礼を言おう。 「ありがとう」 「雪があんまり探さない穴場、教えてあげる」 舞さんの声は学校での声よりも柔らかい印象だった。舞さんの教えてくれたイヌザクラの近くの茂みにかかんで身を隠した。 「ここ、見つかったことないの。雪には内緒ね」 唇に人差し指を当てて囁くと舞さんは走っていった。舞さんは心なしか笑顔に見えた。勘違いではなければ嬉しい。  地面に顔を近づけると、花の香りと土の香りをより強く感じた。黄色、白、青と色とりどりの花。小さく可憐な命の名前を知りたくなった。 「降参! うちの負けだから、村井ちゃんも舞も戻ってきて」 雪さんの甲高い声を合図にスタート地点に戻ると、舞さんにハイタッチされた。 「やったね、村井さん! ナイス潜伏!」 顔をくしゃっとさせて年相応に笑う舞さんには教室の女王蜂の面影は無かった。 「舞さんのおかげ。ありがとう」 今の舞さんとは友達のように普通に話せる。 「ちょっと動かないでね」 舞さんは私の髪に手を伸ばした。 「葉っぱついてた」 少し深爪気味の白く長い指でコナラのギザギザした楕円型の葉を挟む姿は少しお姉さんに見えた。 「ありがとう」 「そうそう、舞は負けず嫌いですぐ熱くなる戦闘狂なだけで、本当は面倒見いいんだよ。だからあんまり怖がんないであげてね」 雪さんがけらけらと笑った。 「雪、失礼すぎ。勝負師って言ってよね」 舞さんは頬を膨らませて雪さんを小突いた。  3人で他愛もない話をしながら新緑の中を散歩する。初夏の風が心地よい。 「村井さん、百人一首興味ない?」 舞さんは百人一首の競技かるたを嗜んでいて、日曜日は道場に通っているらしい。師匠に、学校のお友だちを誘ってはどうかと言われているという。 「負けたの村井さんが初めてなの。絶対才能あるって」 「でも、私覚えるの苦手だから」 「確かに、まずは学校のかるた大会優勝しないとだもんね!その後、気が向いたら考えてみてよ」 「いつも足引っ張ってごめんね。頑張って大会までには覚えるから」 いつも迷惑をかけている手前、かるたの話になるといたたまれない気持ちになる。 「いいんじゃない? 今日早速1個覚えられるし、これから土曜日はあたしも付き合うよ」 舞さんが指さした先には丸太が立っている。 「むさしのきすげは五月のかおり」 そこに書かれた文字を音読する。聞いたことのあるフレーズだった。 「かるたの「む」の札。ムサシノキスゲはここにしか咲かない花なんだよ。ほら、あそこにも咲いてる」 雪さんが黄色い百合のような花を指さしてにこにこしている。きっと雪さんはこのために連れてきてくれたんだ。 「さっき隠れてたところにも黄色いお花あったでしょ?あれがムサシノキスゲ。あの香りを思い出せば忘れないよ」 舞さんが私に耳打ちした。 「あ、内緒話? 気になるんですけど」 「だめ。あたしと村井さんの秘密だから」 ねっ、と歯を見せて舞さんが微笑んだ。壁を作っていたのは私の方だったのかもしれない。東京の人を色眼鏡で見て勝手に怯えていたことは否めない。  丸太の裏には「自然をまもって住みよいまちに」と書かれていた。「し」ではなく「を」の文字が赤くなっている。 「これね、「し」じゃなくて「を」の札だから間違えないように気を付けてね。「し」は「しながわ道の一里塚」だから一文字目を聞いてとるんじゃなくて、二文字目を聞いてとるんだよ」  舞さんがすらすらと補足説明をしてくれた。  そのまま私たちは浅間山を登り始めた。山と言っても、標高はわずか八十メートル程度なので、地元の山と比べて子供が普段着のまま登れる。山頂には神社が建っていた。 「とうちゃーく!」  そう言ってはしゃぐ雪さんの後ろ遥か遠くに、うっすらと富士山が見えた。 「富士山見えるってついてるね。せっかくだからお参りしていく?大会勝てますようにって」 あやふやなお作法のまま神様にお願いをする。その後、鳥居のところにさっきと同じような丸太があることを雪さんが教えてくれた。「うめにひばりに木はけやき」と昨日間違えてしまった「もえる若葉の浅間山」の2句が書かれていた。  境内に腰掛けて、富士山を見ながらだべる。 「雪さん、誘ってくれてありがとう。やっぱり山っていいね」  言った後に、これも「群馬アピール」だと思われてしまうのではないかと不安になった。地元の山を懐かしんでいるのではなく、ふもとにまで自然が広がるこの山が素敵だと言いたかった。山頂から富士山を望むこの景色が綺麗だと言いたかったのに。 「でしょ!綺麗なところでしょ。いいところでしょ、ここ」 雪さんの代わりに舞さんが答えた。機嫌を害することはなかったようで安心した。 「昔の人も山が好きだったんだよ。だから、百人一首にも三笠山が懐かしいとか、天香久山に夏を感じるとか山の歌がいっぱいあるんだ」  舞さんがいくつかの百人一首をそらんじる。 「よく郷土かるたと混ざらないよねー。うちだったら絶対こんがらがっちゃうもん。やっぱり舞って頭いいわー」  雪さんが感心している。雪さんに褒められて少し得意げになった舞さんは私に質問した。 「群馬のかるたにも、山ネタあるの?」  上毛かるたを目の敵にしていた雪さんが初めて興味を示した。 「うん、上毛かるたも「も」の札が「紅葉に映える妙義山」だから、山の句なんだ」  去年家族で妙義山に紅葉狩りに行ったことを思い出す。紅葉がまるで炎のように真っ赤に染まり、岩肌とのコントラストが綺麗だった。 「じゃあ春と秋だから、こっちとちょうど反対だ」  今日の浅間山は「もえる若葉の浅間山」の札にふさわしく、清々しい新緑に包まれていた。もう絶対に忘れない。 「あたし、日曜は大人と一緒にかるたやってるんだけど、道場には結構地方出身の人も多くてね。地元トークになると舞ちゃんは東京の子だから将来地元トークできなくて可哀想になあって言うの」 舞さんが口を尖らせて愚痴を言う。 「都民にだって地元愛くらいあるっつーの!」 言い終わるやいなや足下の小石を蹴った。灰色の石が缶蹴りの缶よりも遠くまで飛んだ。 「引っ越して来たばっかりで何言ってるんだって思われるかもしれないけど、ここはいい町だと思う。私が大人になったら、ここが私のふるさとですって言いたい」 勇気を出して絞り出した一言だった。少なくとも今日この場所で感じた風の心地よさを私は自信を持って好きだと言える。 「じゃあ、その頃にはあたしたち幼馴染って言えるよね。あたしたちまだ9歳じゃん」 舞さんが優しく笑う。彼女の強すぎるかるた愛と郷土愛を私はきっと誤解していた。東京の人は冷たくなんかない。少なくとも舞さんと雪さんはこんなにも温かい。 「村井さん、下の名前なんだっけ?」 「ひばり。平仮名でひばり」 「可愛い名前。じゃあ、ひばりって呼ぶね。あたしのことも呼び捨てでいいよ」 「うちのことも雪って呼んでよ」 青空を見上げると3羽の雲雀が飛んでいた。大きな雲雀、一際高い声でなく雲雀、そして少し色の濃い雲雀。三者三様の鳥たちだが、仲良く並んでどこまでも遠くへと羽ばたいていった。 「ねえ、この坂下ったところにある丸太、ひばりの「ひ」の札ってすごい運命じゃない?今から行こうよ」 舞が立ち上がって言った。先ほどの丸太の標識はどうやらこの近くにもう1本あるらしい。走り出した舞を雪が追いかける。 「あ、待ってよ、舞、雪!」  背が高くて頼れる舞と、優しくて鈴のような声の雪、そしてこれからこの町の日差しをいっぱい浴びて生きていく私が駆けてゆく。
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